甘い甘い、ミルクキャンディの味がした。
相楽が目を覚ませば、オフィスの白い天井が視界いっぱいに広がっていた。
触れた感触から、ソファの上に横たわっているのだと気付いて、ぼんやりとした脳を少しずつ少しずつ覚醒させていく。
ゆっくりと視線を動かして室内を見渡してみる。しんと静まり返ったオフィスの中には、相楽以外には誰もいなかった。
妙に重くて気だるい身体をどうにかソファから起こして、それから急に襲った頭痛に顔を顰める。
後頭部から火が出るんじゃないかという痛みが侵食してきて、思わず呻き声が漏れ出てしまった。
両手で頭を抱えて、不意に思い出したのは、遡ること三時間ほど前の記憶。
三時間ほど前、相楽は、市街地の巡回に出ていた。
春になると活発化する、反UC派の無断街頭演説を取り締まるためだったと思う。
『と思う』?
……なんだか記憶が曖昧だ。
人通りの多い街の一角でいそいそと演説を始めた反UC派の集団を見つけて車両を止め、近付いて行って声を掛けた瞬間に、背後から何か硬い物で後頭部を強か殴られたはずだ。それも、二度。
がつん、がつん、と立て続けに襲った衝撃に、くらくらと視界が上下左右に揺らんだ後、プツリとテレビが消されたようにブラックアウトした。そのまま気を失ったのだろう。
……なるほど、だから記憶がところどころ怪しいのか。
納得しながら、手で後頭部を撫でる。
気を失っている間に治療されたらしい。包帯が巻かれた後頭部は、触れるとじりじりと痛んだ。
しばらく続きそうな痛みに重い溜め息を吐いてから、もう一度じっくりと記憶を辿った。
……そもそも誰と巡察に出たんだろう?
気を失った自分を、医療班まで連れて行ってくれただろう相方を思い出そうとも、その姿がまったく浮かんでこない。
確か今日は、自分とその相方以外が皆、養成所の候補生たちへの指導で出払っている。
ただ黙って留守番しているのも手持ち無沙汰だな、ということで巡察に出ることにして……
……そこは覚えているのに、肝心の相方が解らない。
うーん、と唸りながら眉を寄せて、ふと気付く。
自分の身体の上に、黒いブルゾンが掛けられていた。自分はブルゾンを着用したままなので、掛かっているこのブルゾンは、相方の物なのだろう。
相方が、ここまで運んでから、眠る相楽の身体に掛けてくれたのだろうか。
そっと持ち上げて見てみると、自分のものよりも、随分とサイズが大きい。肩幅は広く、丈も長い。
ファースト・フォース内どころか、軍全体の平均から見ても華奢な部類に入る自分は、誰のブルゾンを見ても「うわ、でかっ」と思うわけだが。
しかし、いくら比較した自分が小柄といっても、このブルゾンの持ち主は、中々の体格の良さだ。ファースト・フォース内で言えば、篠原か、高山か、吉村か、関あたりが該当するサイズじゃないだろうか。
後衛の皆は前線の篠原たちに比べると、もう少し細い。
桜井は、前線ではあるが、比較的細い方だ。だから、この大きさのブルゾンを羽織るのは、身長も筋肉量もある篠原たちだと思うのだが。
無駄に身長のある篠原は、細身ではあるが、隊長だけあって鍛えられた体つきだ。軍人というより、アスリートの身体に近い。必要な筋肉だけを身につけた、均整の取れた綺麗な身体だ。
……そしていつも頭一つ分高い位置から、「モヤシか、お前は」と嫌味を……
腹が立ってきた。とりあえず、あの人のことは選択肢から外そう。
副隊長の高山は、まさに軍人、という体だ。闘うためにある筋肉を纏った屈強な身体をしているが、トレーニングも計画的に行っているからか、体型はすらりとしている。
見た目は爽やかなままなのに、腕も足も背中もがっしりとしているし、素直に羨ましいなぁ、と思う。
なぜか、自分の腕はいくら鍛えても柔らかいままだし……
吉村は、外の任務に出るとき以外は、ファースト・フォースのブルゾンとベストではなく、かっちりとしたスーツを着ていることが多い。
かなり着痩せする体型らしく、相当鍛えられているはずの体もしゅっとスマートに見えるから不思議だ。「脱いだらすごいんです」って感じだよな、と風早が言っていたことを思い出して、まさにその通りだと納得する。
落ち着いた正当派な印象なのに、対人格闘術もかなりの強さの吉村も、相楽には羨ましいほどの体格の良さだ。
関は………………
歳が近いからか、勤務中でもそれ以外でも一緒に行動することが多いのだが、彼が隣にいると、自分の小柄さが際立つような気がしてならない。
背がでかくて、しっかりと鍛えられた身体をしていて、肩幅なんかも広くて。
そういえば奴も「ちっちゃーい! 細ーい!」等々嫌味を言ってくる。いや、関からすれば嫌味ではなくて、ただ本当に「ちっちゃーい」と思ったから「ちっちゃーい」と言っただけで、他意は無いのかもしれないが。
……今すぐに殴りたくなってきた。
…………ん?
暫く悶々としながらブルゾンを眺めていたが、次に思い出したのは、目が覚める前の感覚だった。
目が覚めるほんの少し前、口内に甘い香りが広がった気がした。それで目が覚めた、と言ってもいい。
寝惚けていたとは考えられない。感覚を澄ませてみれば、今も微かに香りが残っているから。
……………口内?
飴を舐めながら寝ていたのか?
そんなわけない。詰まるだろ、どう考えても。
……………じゃあ?
ふわりと香ったミルクキャンディの匂いと、僅かに触れた、柔らかい感触。
付け足す。
『唇に』触れた、柔らかい感触。
そしてそこから滲むように広がった、ミルクキャンディの味。
…………えぇと…………?
指で自分の唇を撫でて、握り締めていた誰かのブルゾンを見下ろした。
ファースト・フォースのオフィスは、部外者は立ち入り禁止だ。
養成所にいるメンバーが戻ってくるまではまだ時間がある。
つまり自分が気を失っている間、このオフィスに居たのは、思い出せない相方たった一人。
色々と……思い出さなきゃいけないことがある、はずだ。
でも。
かっと急激に熱を持った頬を、ブルゾンで隠した。ふわりと香るのは、誰かの香水の匂いだ。
誰だったかは思い出せない、確かに、ファースト・フォースのメンバーの誰かが使っているものと同じ匂い。
思い出してはいけない様な気もする。『誰が』、とか、『何で』、とか。
思い出してしまったら、自分はまともに相手を見ることが出来なくなってしまうだろうから。
なんだか怖くて、悪い夢を見ている気分だ。