Story-Teller
XV




背後で一気に破裂した敵意に振り返った女性は、同時にくぐもった呻き声を上げる。


その薄い腹に、黒い特殊警棒がめり込んでいた。
ファースト・フォースの標準装備であるその警棒は、普段は収縮されて腰に装着したホルスターに収められている。それが振り上げられるのは、ファースト・フォースの隊員が『素手では制圧できないテロリスト』と交戦した場合だけだ。

女性が、己の腹に打ち込まれた警棒をしっかりと掴む。その指を振り払った警棒は、彼女の手の甲を勢い良く叩き落した。
パキリ、と骨が軋む音が微かに聞こえた気がした。女性が喉奥で叫ぶ。獣の咆哮のような絶叫だった。



不規則に吐き出される呼吸でぎこちなく体を起こした相楽は、今しがた女性の手の甲を砕いた警棒がスルリと己の手から落ちていくのを、歯を食いしばって見送っていた。

女性は、相楽の意識が完全に飛んでしまう直前に首から手を離していた。
そのおかげですぐに正気に戻ることは出来たが、一度身体から抜けた力はなかなか戻ってはこない。酸素が足りていない頭は思考をゆらゆらと波のように揺らしていた。


床に両膝と片腕を着けたまま、麻痺したように感覚が無い指を、転がっている警棒へと伸ばす。
その指は、黒いローヒールのパンプスに踏み留められ、ガツリ、と硬い音が聞こえた。指を一本ずつ踏み潰すかのように体重を掛けられると、激痛だけが脳に響く。

顔を上げると、女性の目はしっかりと相楽を捉えていた。その目が、強い怒りと憎悪を伝えてくる。



まずい、と脳が告げるのと、女性の足が振り上げられるのは同時だった。

咄嗟に身体を真横に放る。耳の横で、風を切る音がした。
女性の足を寸手でかわしてから、握り締めた拳で己の足を二度叩きつける。痛みは感じれども力の入っていない足を無理に動かして、地を蹴った。


伸ばした手が女性の片腕を掴む。

振りほどこうとするのを固定させて、その隙に腕を掴んだまま彼女の背後まで飛び込んだ。
細い身体を振り回すように蹂躙してから、素早く片腕を女性の首に回す。
ぎりぎりと力を入れて絞め上げると、腕の中の女性が低い呻き声を上げて相楽の腹に肘を突き入れて抵抗した。

鳩尾に女性の華奢な肘が入る。
息が詰まる感覚と共に、一気に呼吸は乱れていく。咳が出そうな圧迫感が喉まで這い上がった。
力が抜けた腕がずるりと女性から外れると、相楽の身体からすり抜けた彼女の、僅かに乱れた息が耳に届いた。

視界に入ったのは、紅いスリットドレスの裾が割れて、そこから伸びる脚が相楽の頭部を狙って振られる光景だった。




女性の脚は、相楽の後方から飛び込んで来た長身に遮られる。
シャツの襟元を後ろに引かれてよろめいた相楽の眼前を、黒い影が覆った。ばすん、と重い音が弾け、しかし相楽が受けるはずだった衝撃は襲っては来ない。


鋭い速さで振られた脚を左腕で受け止めていたのは、篠原だった。

篠原は、素早く右手を女性の顔面へと突き出し、躊躇無くその美しい顔を横薙ぎに払う。
こめかみを強打された女性は、先程の相楽と同じ様にぐらりと足元を揺らし、そのまま体勢を直せずに両の膝を着いた。
床に這い蹲ったまま咆哮を上げる女性の腕を背中側へと捻り上げた篠原は、細い手首に素早く手錠を掛ける。

女性は、乱れた黒髪の間からなおも憎悪の瞳で相楽を睨み上げていた。
光を失った瞳は、それでも強い怒りと憎しみと、そして燻る狂気を孕んだままだ。
なにが彼女を突き動かしているのか、相楽にはわからなかった。
ただ、人としての正気を失っているということだけは、はっきりと感じ取れる。


女性から目を離した相楽は、ふっと短く息を吐き出した。
フロントやホテルの外から駆け出してくる警備員達の姿が、不意にぐわりと円状に歪んでいく。

足元の感覚が薄れて、立っているのか座っているのかすら解らない。
上下の感覚が無くなった途端に、猛烈な吐き気がぶわりと沸き上がった。眩暈と相乗して、奇妙な浮遊感を強めていく。
数歩後ずさって寄り掛かる壁を探したが、背中は支えを見つけられない。



「相楽」

まるで無重力の世界に放り出されているような平衡感覚のない状態に陥った相楽は、腰を支えるようにして伸びてきた腕に倒れ込んだ。
ぐらぐらと揺れたままの視界に映ったのは篠原だ。

自分の身体を支えてたのが篠原だと理解すると同時に、力が抜けていく。

凭れ掛かるように篠原の肩に額を乗せた相楽は、それと同時に身体中を包んだ激痛に小さく呻いた。気が抜けてしまった事で、蓄積されたダメージが一気に襲ってきたらしい。
ぎしぎしと軋む全身と、出血して腫れた口許が熱を持って痺れていた。


「よく持ち堪えた」


頭上から篠原のよく透る声が響く。
返事をしようとした喉奥が熱くて、声が発し難い。それでもどうにか反応を返そうと、相楽は篠原のスーツの裾を引っ張った。
正しく意味を汲み取った篠原が、労わるように後頭部を撫でる。
その心地良さに、ようやく大きく息を吐き出した。



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