「なにが有名パティシエの絶品スイーツですか。こんな入口で延々待機させておいて」
ロビーのソファーに堂々と片足を乗せて、相楽は低く呻く。
どれだけ不貞腐れた態度を取ってみても、このインカムの向こうにいる相手には見えてはいない。ならば、せめて声だけで不満をぶつけるしかない。
自信の無さから警護の任務を遠ざけていた相楽が、それでも総司令の警護に参加することにしたのは、篠原の甘言にまんまと引っ掛かってしまったからだ。
高級ホテルの大ホールを貸し切って催される、著名人ばかりを呼ぶパーティー。
つまりそこには、超一流の料理が数多並ぶだろう。
『レーヌ・ド・ルージュ』のパーティーメニューといえば、フランスで修行し数々の賞を受賞したという有名なパティシエが直々に作り上げた美しいスイーツを振る舞うことで有名だった。
当然、甘い物に目が無い相楽も知っている。けれど、こんな大層なホテルで催されるパーティーに出席することなど無いだろうと、端から食す事を諦めていた代物だ。
相楽にとって、夢のまた夢でしかない物を、目の前でちらつかされてしまったなら。
食い付くしかないじゃないか。
そうして足取り軽く警護の任務にやって来たというのに、相楽は、イベントが行われる会場に入ることもなく、このロビーで待機を命じられることになった。
「事前にホテル内のチェックが充分に出来ない分、今回の警護は一層注意を払う必要がある。イベントの参加者は主催者が選んでいるが、それでもボディーチェックは受けてもらうつもりだ。それとは別に、ホテルの宿泊客にも目を向けようと思う」
仕立ての良いダークスーツを着こなした篠原が、シャツの上からガンホルダーを巻き着けながら早口に言った。
ファースト・フォースはホテルへ先行して、会場と周辺に異常が無いかの確認を任されている。その出発の直前のことだった。
「ホテルの入口で客を見ただけで、『黒』か『白』か見分けられる目が必要になる。勘の鋭い奴が適任だろうな」
インカムを耳に装着してから、ひらりとジャケットを羽織った篠原と目が合った。
「相楽」
未だ見ぬ絶品スイーツに思いを馳せていた相楽は、その瞬間、強烈なほどに嫌な予感を覚え、咄嗟に返事が出来なかった。
「頼んだぞ」
……頼むって、何を?
「最初っから、俺を会場に入れるつもりなんか無かったんじゃないですか」
続々とロビーを過ぎていく宿泊客やイベントの参加者たちを見ながら、相楽は口を尖らせた。
『そうだな』
「嘘つき」
『パーティー限定の絶品スイーツが振る舞われるだろうな、とは言ったが、お前も食っていいぞとは一言も言っていない。そもそも任務中に食うな』
「嘘つき」
『楽な仕事だろ。座って、ホテルに入ってくる人間を眺めてればいいだけだ』
「そういう問題じゃないです。何のために俺がここに来たと思ってるんですか」
『任務のためだろ』
「有名パティシエの限定絶品スイーツのためです」
人を刺し殺せそうな高いピンヒールを履いた女性が、目の前を通り過ぎていく。
煌びやかなドレスを着て、フロントに寄らずにエレベーターへと向かっていったところを見ると、彼女もイベントの参加者だろう。
そのピンヒールは武器になり得るかもしれないが、その他に危険性は見受けられない。
彼女は『白』だ。
つまり、相楽の任務はこれだ。
ここで、ホテルに入ってくる人々を黙って観察し、テロリストかどうかを判断する。テロリストだと判断した場合は、会場に近付く前に制圧する。
会場になど、一歩も入れそうにない任務だ。