Story-Teller
XI





……なんで、こんな目に遭ってるんだろう?
体力を削られて不規則に切れ始めた呼吸と相反して、徐々に冷静さを取り戻していく脳が、そう問い掛けてくる。



でこぼこと突起する木の幹やぬかるんだ土で足場が悪い獣道を駆け続けた。疲労が、膝から力を奪う。がくん、と膝から崩れて転がりそうになるのを必死に堪えて、ただ走り続けていた。
「立ち止まったら終わりだ」という危機感だけが、相楽の体を動かしていた。すでに、体力は底を尽きている。

熊は、背後からまるで焦燥感を与えて楽しんでいるかのようについてくる。
本気を出せばすぐにでも相楽の背中を裂いてしまえるはずなのに、悪戯に後ろをついてくる性格の悪さが腹立たしい。熊のくせに、人間のような性根の悪さだ。
苛立っても、悲しくなっても、苦しくても、足を止めることは出来ない。
止まったら最後。鬼ごっこを終えた熊は、興味を無くした玩具をさっさと潰してしまうのだろう。
潰されるわけにはいかないが、限界も近い。


何度も何度も急所を狙って振りかざされた鋭利な爪を、関は地面を転がって避ける。
視界から上手に外れた関から興味を無くすと、目標を相楽へと変える。相楽が木に影に隠れて視界から消えれば、今度は関を追う。
熊は、相楽と関を追い詰めて楽しんでいるようだった。
そんな意地の悪い熊に相楽は果敢にも銃を向けたのだが、巨大な体格に反して俊敏な熊を捉えることは出来なかった。

そうしてわぁわぁと逃げ惑ううちに、気付くと、隣に関は居なかった。完全に、はぐれてしまったらしい。
関を探しに戻ることが出来ないのは、熊がとにかくしつこいからだ。
数度の発砲で気が立ったらしい熊は、ひたすらに相楽を追い続ける。もう勘弁してくれよ、と涙目になってるのも、まったくお構い無しで。



不意に、背後から追い詰める気配が一気に近付いたことに気付いて、反射的に自分の身体を地面へと転がした。
相楽がいた空間を薙ぎ払う逞しすぎる黒い前足が、視界を横切る。
近くで感じる息遣いに、足が竦んでしまった。まずい、と思っても、力の抜けた体が動かない。
限界が近付いていた膝は立ち上がることすら出来ず、相楽は、熊から視線を外さずにずるずると地面を這って後退した。
そんな相楽を真っ直ぐに見据える目が、飢えを湛えていた。ようやく見つけた獲物をたっぷりといたぶって、腹もすっかりと空かせたのだろう。
ゆったりと優雅な足取りで近付いてくる熊に、もう駄目か、と息を止めた。



覚悟を決めかねないまま後ずさっていた体が、がくんと傾いだ。
地面に着いていた両手が行き場を失う。

後退した先に、道はなかった。
ズルリと背中から崖へと堕ちていく感覚に、相楽はぎゅっと固く目を閉じた。












全身を鈍く覆う痛みで目を覚ます。

見えたのは、ふさふさと伸びきった草の上に投げ出されている自分の手。ゆっくりと動かしてみると、土で汚れた指先がふるふるとぎこちなく反応を見せる。
ごろんと身体を転がせて仰向けになれば、夕焼けに照らされる淡い朱色の空が見える。

相楽が転がり落ちた先は、先程まで駆けずっていた場所よりも開放的な場所だった。空を覆う木々はなく、夕暮れ間近の気配がはっきりと確認できる。
伸び放題でクッションのように柔軟になっていた草に守られたのか、高所から転がり落ちたというわりには、身体中が打撲で痛む以外にたいした怪我は無い。


辺りを見渡しても、相楽の息の根を止めようと執拗な熊の姿は見えなかった。
ホッと肩をおろしたと同時に、後悔が襲う。
関と離れたのは命取りだ。
へらへらとピクニック気分の楽しげな男だが、新米の相楽に比べれば野戦でのサバイバルの知識も豊富で、何より一人で行動するよりは安全だったというのに。



身を起こして、擦りむいた膝を抱える。ちりちりと痛んで、血が滲んでいた。
背負っている鞄には、相楽が大好きな菓子が大量に入っている。それを計画的に食べれば、暫くの間、飢えには堪えられる。だが……
日が暮れ始めて、周囲の気温は急激に下がっている。薄手のパーカーだけでは、体の冷えは抑えられそうにない。

僅かに震えた肩を両腕で抱いて、木の幹に寄り掛かった。





[*前へ][次へ#]

11/17ページ

[戻る]


あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!