Story-Teller
【番外編】 PERVERSE





相楽は眉を下げながら、自販機で買ってきた缶のミルクセーキを啜った。
視線の先には、テーブルに上半身をべったりと突っ伏した状態のまま小さな声でぶつぶつと嘆いている金髪の男性。八の字に眉を下げたまま彼を眺めて、それから横目で置き時計を確認した。

相楽の部屋に、先輩の桜井昇が泣きながら侵入してきてから、約一時間が経過した。
侵入直後は号泣、といった様子で泣き喚いていた桜井も、散々叫んでようやく落ち着いてきたらしい。


「―で、どうしたんですか」


相楽がそう問えば、平均よりも整った甘い印象のある顔を、涙でぐちゃぐちゃにした桜井が顔を上げる。
鼻も目も真っ赤だ。喚きながらぐしゃぐしゃと自分の髪をかき上げるのだから、いつもは気に掛けているヘアスタイルもボロボロになっている。
暗めの金髪に赤いメッシュというど派手な髪に、精鋭部隊の一員らしい、しっかりとした体つきはきっと沢山の人の目を惹くだろうに、全て台無しな程、今の彼の顔は情けない。


「……酷い顔」


思わず出てしまった本音に、桜井はズビッと音を立てて鼻をすすった。テーブルの横にあったティッシュを四枚取り出して、ぐすぐすと鼻を拭っている。
部屋のほぼ中央に置いた簡易テーブルを挟んで座る桜井との距離は近く、ふわりと漂ってくる彼の呼気がアルコール臭で満ちていたことに眉を寄せた。
どうやら、桜井はかなり酔っ払っているらしい。


「さがらぁぁっ」


呼びながらヒィッと大きくしゃっくりを繰り返したする桜井が、四つん這いの状態でじりじりとこちらに近付いてくる。
それに気付いた相楽は、座ったまま尻を滑らせてゆっくりと後退した。
さがらぁぁ、さがらぁぁ。と。桜井はそれしか言わない。
そんな桜井に僅かに覚えた恐怖から後ずさっていた相楽の背が、遂に壁にぶつかってしまった。
顔も目も鼻も赤い桜井が、アルコール臭い息を近付かせて、逃げ場が無くなった相楽に覆い被さってくる。


「さ、酒くさいっ! 桜井さん、臭いっ! 離れて!」

「さがらぁぁ、なんでお前は女の子じゃないんだぁぁぁぁ」

「は?!」


ミルクセーキが缶から溢れないように両手でしっかりと掴んだまま体育座りで背中を壁に預けた相楽は、彼を囲むように両手を壁につけた桜井がとろんとした艶やかな目で見下ろしていることに気付いて動揺してしまった。
誰かに見られたら相当な誤解を生むであろう体勢に加えて、至近距離で吐き出されているアルコール臭で、混乱した頭がクラクラしている。


「お前が女の子だったら、上手くいくんだよぉ。さがらが女の子だったら、俺のことちゃぁんとわかってくれるだろぉぉ」

「は、はい?! なんの話でっ…うわ、くさっ」


アルコール臭から鼻を覆うにも、大事なミルクセーキを手放すわけには行かない。強烈な臭気に、涙が出て来た。


「彼女がさぁ、仕事と私どっちが大事なのって、別れるって言ってさぁ、もう何人目?! 俺はみぃんな大事にしてるのに、仕事の方が大事なんでしょって! なんで上手くいかないんだょぉぉぉ」


めそめそとぼやき始めた桜井に、ようやく状況を理解した。
桜井は、『また』恋人にフラれてしまったらしい。相楽が知っているだけでも四人目だ。
入隊してからまだ四ヶ月しか経っていないから、単純計算で、一ヶ月に一人にはフラれている。
そもそも、フラれてもフラれてもそんな早い周期で恋人が出来るということがなによりも衝撃的なんだけれど。

見た目も性格も良い人だ。恋人がぽんぽん出来るのも、純粋に桜井がかっこいい人だからだろう。
でも、なぜか長続きしない。
どうやら仕事柄、緊急招集が掛かることや、精鋭部隊とあって仕事の話を部外者にはまったく出来ないことが、相手に多大なる不安を与えているようだけれども、実際、桜井があっという間にフラれてしまう理由は、相楽にはよくわからない。


「桜井さん、いい加減離れて……」

もう解りましたから、と付け足した瞬間に、桜井のとろんとしていた目が、まるで獲物を見つけた獣のようにぎらりと鋭くなった。

その目を見たと同時に、相楽の危機感知能力が反応していた。
大事なミルクセーキを床に置いて、桜井の両腕から逃れるために体を捻る。空いた隙間から逃げ出そうと、尻を滑らせた。
しかし、桜井の腕の届く範囲から逃れる直前で両肩をしっかりと捕らえられる。肩を掴まれたまま、勢いよくベッドの上に放り投げられてしまった。
元々体重の軽い相楽は、鍛えられた桜井の腕力で為す術もなくポーーンと飛ばされて、その衝撃も相当。
ベッドのスプリングでは受け止め切れなかった衝撃が背中を襲い、うっ、と短く呻いている間に、桜井がのし掛かってきてしまった。
うわ、押し倒されてる。と脳が危険を訴えている。任務中よりも、もっと大きな身の危険だ。
獰猛な獣のようにギラギラと妖しく光る瞳をした桜井が、相楽の両手首をベッドにしっかりと縫い付けて見下ろしている。


「相楽が、女の子だったら、絶対上手くいくんだよ……」

「さ、くらい、さん?」


なんなんだ、この状況は。
号泣するほどの泥酔状態の割に強い握力で封じられてしまえば身動きが取れず、近付いてきた桜井から逃れるように慌てて顔を背けた。
そうしてさらけ出してしまった首筋に、桜井が軽く口付けて、相楽の喉から絶叫に近い悲鳴が漏れ出る。


「さささっ桜井さん?!」


パニックで裏返った声で呼びながら視線を戻すと、鼻先に桜井がいた。虹彩なんかもはっきりと見えてしまうほどの近距離に。

ああ、終わった。

物凄いアルコール臭が自分の口を覆うように近付いてくる。相楽は、酔っ払った同性の先輩に唇を奪われるという絶望的な展開に、ギュッと固く目を伏せた。




どん、と重たい音と、ひゃあ、という悲鳴が聞こえて、体を覆っていた体重と体温がふっと消えた。

離れていったアルコール臭に恐る恐る目を開く。その視界に映ったのは、部屋の反対隅にゴロンと大の字で転がっている桜井の姿だった。
解放された体をベッドから起こすと、いつの間に部屋に入って来ていたのか、関が肩で息をして立っている。
壁に不自然な体勢でへばりついてうんうんと唸っている桜井は、どうやら関に吹っ飛ばされたらしい。


「ごめん、相楽、遅くなった! 無事?!」


言って顔を覗きこんでくる関は、彼にしては珍しく焦ったように真剣な目をしていた。
いつも、任務中ですらヘラヘラしているくせに、乱れた息を整えもせずにじっと真っ直ぐに見つめてくる関に、ぎこちなく頷いて返す。
ふと、無事か、という言葉に含まれる意味に気付いて、相楽は自分の唇を指で撫でた。ぎりぎりではあったが、未遂で済んだことに安心して、長い息が漏れる。
相楽の安堵のため息に、関も同じように息を吐き出した。


「桜井さん、酔っ払うとキス魔になるからさ……相楽じゃ、力で押し負けちゃうよな」


桜井を見つめて眉を下げる関の声が、相楽を心配していたのだとすぐに悟れるほど、低くて静かだった。そんな彼の声に、悔しいけれどもこくりと頷いた。自分の力が弱いと認めるようで悔しいが、桜井に押さえこまれた体は全く動かせなかったからだ。

ウーウーと呻きながらごろごろと転がっている桜井を眺めて、それからベッドの脇に立っている関を見上げる。
オフィスからそのまま来てくれたのか、任務時に着用している黒いブルゾンを着たままで、それどころか、耳に着けた小型無線機や警棒と銃の装備すら外していない。
ようやく落ち着いてきた呼吸も、相当急いでここまで来たことを知らせていた。恐らく、任務が終わってオフィスにも戻らずにそのままここに来てくれたのだろう。


「なんで……」


ぽつりと呟けば、関は片眉を下げた。


「一時間前にメールくれてただろ。桜井さんが泣きながら部屋に来てるって」


言われて思い出す。そういえば、桜井が部屋に上がり込んできた時に、何気なく関にメールを送ったような気はする。
だがそれは、関の部屋が桜井の隣室で、桜井と仲も良く、数日前も一緒に部屋呑みをしていたと聞いていたからであって、別に助けを呼んだわけではなかったのだが。

それでも、仕事中に抜けてくれてきたことに、今は感謝する。危うく唇を奪われてトラウマになるところだったから。


「ちょっと外の巡回に出てたから、気付くの遅くなった。ごめんな」

「いや……」


関が、謝ることではないのだが。
喉元まで来ている感謝の言葉がなかなか口から出て行かず、相楽はもどかしさで視線を落とした。天の邪鬼な性格のせいで、お礼すら言えないことがある。
唇を噛み締めて、どのタイミングで言えばいいのか窺ってみても、なかなか答えがわからない。
黙り込んだ相楽を見ていた関は、すっかり落ち着いた息を大きくふぅ、と吐き出してから、未だ転がっている桜井の隣にしゃがみこんだ。


「桜井さん、酔っ払っても相楽には手ぇ出さないでねって、俺何回も言いましたよね!」

「関ぃぃぃぃ、どうして俺は上手くいかないんだぁ」


関の咎めるような声も聞こえていないのか、桜井はめそめそと床の上で体を丸めて泣き崩れている。関はやれやれと首を振ってから、彼の体を抱え起こした。
足元がおぼつかない桜井の体を支えて立ち上がり、相楽に向かって苦笑する。


「部屋まで戻しておくから」

「あ……うん……」


半ば引きずるように桜井を連れて、関は相楽の部屋を出て行ってしまう。二人分の背中を見送ってから、相楽は重たい溜め息を溢した。
結局、関に礼を言っていない。

ふと視線を落としてみれば、床に置いていたミルクセーキの缶が倒れて、中身が床の上に溢れ出している。いつもならば勿体ない! と悲観に暮れるところだが、それよりも、去ってしまった関の背中ばかりが頭から離れない。

しばらく床の上のミルクセーキの水溜りを見つめていたが、意を決して、テーブルの上に置いたままだった携帯電話を手に取った。
脳裏に浮かんでいるのは、相楽を見つめてから、ホッとしたように微笑んだ関の表情。
……死ぬほど照れ臭くて、躊躇ってしまうけれど。
アドレス帳の『関 大輔』の文字の上で、通話ボタンを押した。

らしくない程に、声が震えていたことに、相手が気付かないように願いながら、たった一言。


「ありがとう」


電話の向こうで、やけに嬉しそうに笑った声に、相楽は慌てて電話を切った。
いろいろと、まだ混乱してるんだ、きっと。

助けに来てくれた姿に、ひどく、ほっとした。そんなこと、絶対に言ってやらない。





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あきゅろす。
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