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少し前までは薄桃の彩りを全身に纏わせていた木々が、今は青青とした健やかな葉を天へと伸ばしていた。力強く上へ上へと伸びる姿の清清しさは、見ていて飽きない。
じりじりと皮膚を刺す様な暑い陽射しを受けて、物の怪たちは一斉に暗いねぐらへと逃げ込んでしまった。彼らは、暑さに弱い。
大半の物の怪は、この時期は夜にならなければ外へは出てこない。昼に溜まった鬱憤を、夜に晴らすのだ。なので夜な夜な宴会が開かれる。人里から奪った酒を振舞い、川から拾った魚や、木の実で豪勢な宴会を催して、饗宴に耽る。何の制限もない、自由な日々だ。
私は、といえば、毎日飽きもせずに木々を眺めて過ごす。
ヒトとして過ごしていた時も、『彼』と並んでそうして過ごしていたからだ。
暑い季節には、木陰から日に日に重量を増していく艶やかな緑の葉を見上げて、ひんやりと冷やされた麦を炒った茶を啜る。
ほのかに外気が冷えた頃になってくれば、燃えるような紅へと変わっていく周囲を歩み、『彼』はよく栗を外套に包んで持って帰っていた。
深々と降り積もる雪に支配され、音を遮られる頃になれば、社務所の窓を開け放ち、辺りを白へと変えていく情景を肴に酒を煽る。
そして、薄桃が咲き誇る季節には、『彼』と並んで散り逝く姿を見届けていた。
今は隣に無い温もりに、私は微かに苦笑してみせた。
視線の先にある木々の茂る地区は、結界で守られている。己の力を分け与えて作った結界とはいえ、私には、そこを抜ける術は無い。
ヒトに崇め奉られていた今代の神子の力は、本来ならば神や物の怪の加護など無くとも強大なものだったようだ。
思ったよりも強靭な結界を張ってみせた『彼』には、今さらながら感心した。所詮はヒトと侮っていたが、『彼』ならば、これから何が起こっても民を守れるだろう。
あの結界の向こうで過ごした日々は、夢だと思うのだ。
昨日のことのように、『彼』の一句一言が思い出せるというのに、その姿が思い出せないのだから。
低く、甘い、私の好む音を発する口すら、思い出せない。
『彼』を抱いたときの温もりが腕には残っているのに、その身体がどんな形をしていたか、どんな目で私を見ていたか、もう、思い出すことは出来ない。
……それで良い。
あの向こうの世界と、私の住む世界は別のもの。違う世界のものを、こちらには持ってきてはいけない。秩序を乱してしまうからだ。
夜行の後暫くは、私がヒトと過ごしていたことに疑心を持つ同胞たちも多かった。それどころか、ヒトを守るために多くの同胞を殺したのだ。
けれど、今の私には、ヒトの記憶など朧気で不確かなものでしかない。
それを感じ取った彼らは、再度私に忠誠を誓ったようだ。
一度ヒトのもとへと居た私に再度盲目的な畏怖を向ける彼らを、やはり私は嘲笑してしまう。
何度も思うのだ。
私も、『彼』も、同じだと。
同種に畏怖と尊敬に塗れた薄気味の悪い目を向けられる『彼』に、同族に対する深い好意を抱いたのが始まりであっただろうか。
それとも、最初から、愛しいという想いがあったのだろうか。
ここ最近、そんなことを厭きもせずに延々と考えている。
『彼』に対して抱いた気持ちのすべてを、はっきりと理由付けて、心に繋ぎとめておきたいからだ。
曖昧なままでいれば、きっと、さらに数千の刻を生きる私は、忘れてしまう。
忘れたくはないのだ、もう、『彼』に関してのすべてを。
2013/3/11