デスクの上に置いたアルミの缶を、指先で押してみる。
十分程前に、オフィスから一番近い自動販売機で買ったおしるこ缶は、取り出し口から出てきたばかりの頃は火傷しそうに熱かったのに、もう冷め始めていた。
プルトップに爪を引っ掛けて開ける素振りをして、すぐに手を離す。意味のないその行動を幾度か繰り返していれば、黙ってそれを眺めていた幼い視線が揺れた。
「……飲まないんですか?」
静かに聞いてくる声は、男臭さで満たされている軍の基地では少し浮いてしまうような、優しいアルトだ。まだ幼い印象を与える声で、その容姿も少年と青年の中間といった未成熟なあどけなさがある。
デスクに片肘をついて手のひらに顎を乗せたまま冷めたおしるこ缶を弄ぶこちらの姿を、じっと眺めて不思議そうに首を傾げていた彼に、口端を持ち上げて笑ってやった。
「実は猫舌なんだ。もう少し経ってから飲むつもり」
「そうなんですか」
こちらの返答に納得した彼は、こくりと一度頷いてから、両手の中に収めていたココアの缶を煽る。そのココアは、おしること一緒に自分が買ってきたものだ。
彼の容姿は幼くても、嚥下する度にその首筋で立派な男の証しである喉仏が動く。
この年頃の少年特有の、危うさが匂う。
未成熟で未完成の色気を纏う容姿も、経験の少なさから来る考えの浅はかさに気付かぬ精神面も、すべてが危うい。
彼を見ていると、そんな時期が自分にもあったな、と妙に居心地の悪い感慨に耽ってしまう。
「相楽」
呼ぶと、彼は缶を下ろして、指先で軽く唇を拭う。
今まさに『大人』へと成長する段階を踏んでいる彼の仕草にいちいち気を取られながらも、平静を保って微笑した。
「くだらない質問してもいいか」
「いいですよ。話相手になってもらうために、ここに来てるんですから」
そう言って微笑を返す彼に、思わず苦笑してしまう。
彼が所属している隊は、毎日が戦争のように忙しい。
その合間を縫って彼がこのオフィスに足繁く通う理由は、こちらの仕事内容に関係している。
『医師』である自分は、彼の精神的安定を保つ必要がある。
身体的にも精神的にも常に緊迫した状況下に置かれている彼の隊は、まだ未成熟な彼の精神面を著しく乱す恐れが有ると危惧されていた。
それを防ぐ為の『カウンセリング』と称した彼と自分との一時間ほどの世間話は日課となっている。
カウンセリングといっても、大した事はしていない。
近況を聞いて、辛い事はないかとさり気なく聞き出して、不安を取り除くだけ。
未成熟だと周囲から危ぶまれていても、彼自身はその幼さも乗り越えるだけの気丈さがある。
だから、こちらとしては何も心配することはないのだ。
けれど、個人的に彼のことは大層気に入っている。
だからこそ、念入りに彼を観察して、もしものことが起こらない様に、又はもしものことが起こってしまった時の為にすぐにケアを出来る準備をしているのだ。
「相楽は、幼馴染みはいるか?」
問えば、彼は首を傾げる。質問の真意が掴めないのだろう。
けれど、こちらから意味の無い質問をすることは少なくない。
すぐに意図を探る事を辞めた彼は、暫し宙を睨んでから口を開いた。
「幼馴染みとは違うかもしれませんが、中学からの付き合いがある友人はいます」
「へぇ。相楽とつるんでいられるなんて、物好きだな」
茶化すように言えば、彼は眉を下げて困ったように伏目がちになる。
「そうですよね。俺と一緒にいても、面倒なだけだろうに」
「それだけ相楽に魅かれたんだろう。今も連絡取ってるのか?」
「ええ」
ほんの少しだけ口元を綻ばせて、彼が頷いた。
少し冷めた性分の彼にしては珍しい、柔らかな表情だ。それほど、その友人とやらが大切なのだろうか。
「……風早先生は?」
彼が問う。
一瞬息を止めて、横目で彼を窺った。
純粋な目で見つめてくる彼の表情を見て、その問いに深い意味が欠片も無いことを確認してから、そうだな、と指先を揺らす。
デスクの上で、所在無げにころころと転がされてばかりのおしるこの缶を見下ろした。