ゼンリョクシッソウ
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「凉介は」

 不意に聞こえた声に顔を上げる。

 目が合った大地は、昔から変わらない大らかな笑みを向けていた。

「将来は何になりたいの?」

 問われて、言葉に詰まった。

 何になりたいなんてわからない。
 俺は医者にならなければいけない。その道しかない。
 なりたいものなんて、考えたことも無かったのだから。


「…わからない」
「わからない?」
「…父親のように、医者になるつもりなんだと思う。大学は医学部に進むつもりで。卒業したら、どっかの病院に勤めて…」

 そういうレールが、自分の足元にある。

 医学部に進んだ俺は、きっと医者になる。医者になって、働く。けれど、そのビジョンがはっきりと見えてはこない。

 ─レールは突然途絶える。俺は、医者になって、何をしたいんだろう。
 そもそも、医者になりたいと、本当に思っているのだろうか。



「…俺は、大地みたいにはなれそうにないから」
「俺みたいに?」
「やりたい事もはっきりしない。何かに全力になる事もない。楽しくない。毎日同じ事を繰り返して、もう、何も感じない」

 小さく小さく吐き出して、俺は首を横に振った。ただの愚痴になってしまった。言いきってしまってから、居心地の悪さを覚えた俺は誤魔化すように苦笑した。

「昨日、お前の代わりにアタリのボタン押した時、すっげぇドキドキした。久々にあんだけ興奮したわ。………本当につまんねぇ奴だよ」

 大地の絡みつくような視線を無視して、立ち上がった。ふわりと香ったおしるこの甘い匂いに眉を寄せてから、ゆっくりと歩き出す。




 非日常を求めて大地に近付いてはみたが、得たのは自分の空虚さだけだった。何も無い自分の毎日をまざまざと再認識させられただけだ。

 変わることの無い毎日。

 ただ過ぎるだけの毎日。

 大地と俺は違う。根本が違ったのだ。


 進む足が重くて、胸がズキズキと痛かった。家に戻れば、また参考書を開いて、『兄の代わり』を目指すだけの毎日を続けることになる。

 ………それが、恐ろしく思えるようになってしまうなんて。




「凉介」

 呼ぶ声に、足は止めない。

「凉介!」

 静かな周囲に大地の声はトンと響いた。
 もう夜だというのに大声を上げるなんて、そういうところは成長してないんだな、と笑いたかった。


 笑うことは出来なかった。引き攣った口元は、笑みの形すら成さない。


 再度大地に捕まった俺は、ぐっと眉を寄せて大地を睨んだ。眉間に力を入れていなければ、みっともなく泣き出してしまいそうだったからだ。

 そんな俺に、大地は手を伸ばす。びくりと震えた俺の頭を何度も撫でる。

 やめてくれ、と手を払いのけても、その温かい手は俺から離れなかった。

 握り締めていたおしるこ缶と同じ温かさの、大地の手だ。それが酷く優しくて、俺はゆるゆると抵抗の手を止めて俯いた。






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あきゅろす。
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