夜十時過ぎ。
右手に持った携帯電話で時刻を確認してから、首に巻いたマフラーに顔を埋める。
自宅前の自動販売機の隣に座り込んで、俺はじっと待つ。左手で握り締めていた百二十円を指先で弄って、夜の静けさの中、寒さに耐えながら。
足音が目の前で止まる。
顔を上げれば、妙に呆気にとられたような顔をした腐れ縁が見下ろしていた。
「よう」
声を掛けると、ハッと我に返った大地は、え?と口をへの字に曲げてみせる。
「なにしてんの?」
問われて、緩慢な動作で立ち上がる。ここに座り込んでから、十分は過ぎていただろうか。寒さで体の節々は既に固まっていた。
冷えた肩を手で撫でてから、自分と全く同じ高さにある目を見る。
きょとんとした栗色の瞳が俺を映して、何度か瞬きをした。
「昨日、当たってたから」
「何が?」
首を傾げて眉を寄せる大地に、左手を突き出した。意味を汲み取らずにポカンとしている大地に苛立って、手を無理に引っ張る。
手のひらの中に百二十円を捻じ込んでやると、一層戸惑った大地の目が俺を見ていた。
「何これ?」
「おしるこ缶一本分」
「ん?」
まだ理解できずに眉を上げたり下げたりしている大地に、俺はさっさと背を向けた。もう寒さに耐えられない。
真っ直ぐに玄関に向かおうとした俺は、大地の手に簡単に捕まって、足を止めざるを得なかった。
腕をしっかりと掴まれて、渋々振り返る。
同い年なのに俺よりも断然青年らしい顔をした大地は、俺を真っ直ぐに見つめていた。
「ちゃんと説明しろよ、凉介」
呼ばれて、懐かしいな、と冷静に思った。
高校に入ってからは、男子は大体苗字で呼び合っている。名前を呼ばれることが、酷く懐かしく思えた。
「昨日、おしるこ缶買ってったろ?」
面倒臭さを前面に押し出しただるい口調で問えば、目を大きく丸める。
何で知ってるんだ、と言いそうな口を軽く睨んでから、大袈裟に目を逸らした。
「当たったんだよ、おまけ。大地、気付かないで帰っただろ」
「え?まじで?」
「まじで」
パッと、一気に大地は嬉しそうな表情に変わる。そんな喜んだって、気付いていなかったのだから意味が無いのに。
まだ俺の腕を掴んだままの大地は、空いた片手に握られている百二十円を見下ろしてから、俺を見つめる。
「これは?」
「…当たった分、俺が飲んじゃったから」
目を逸らしたまま言えば、大地が噴き出した。ムッとして視線を大地に遣れば、口に手の甲を当てて、大地は笑いを押し殺している。
「なんだ、言わなきゃ気付かないのに。昔から律儀だよな、凉介は」
「…盗んだみたいで嫌だろ」
「そうかぁ?俺だったら、ラッキーだって思うんだけどなー」
どうにか笑いを飲み込んだ大地の手を振り払ってから、俺は今度こそ玄関へと足を進める。
その背後から聞こえたのは、大地の低くて、けれど柔らかい色の声だった。
「どうしておしるこ買ったって知ってんの?」
「…いつも見えてたから」
思わず足を止めて返して、それからチッと舌打ちした。いつも見ていたなんて、まるでストーカーみたいだ。
「俺の部屋、すぐ上だから見えるんだよ。いつもお前、この時間におしるこ買ってくだろ。五月蝿かったから見てただけで」
「あー。だから今日、この時間に待ってたんだ」
俺の言い訳に納得した様に言う大地が、自動販売機に硬貨を入れる音がする。振り返ってみると、やはりおしるこのボタンを押したのが見えた。