カクテル擬人化 -side story-
とある秘書の回想2 (BL)





杏が、魚塚の店で働いていたのは、二年前までの話だ。

 大学卒業を控えているというのに就職する気もなく、そもそも二度ほど留年をした経験があるので卒業できるのかも怪しく、コンビニやガソリンスタンドのアルバイトで生活費を稼いでいた杏は、とあるバーの求人広告に目を遣る。
 元来、酒好きだった彼は、何気なくそのバーを訪れ、そして働き始めた。

 それが、魚塚と杏の出会いである。




 高校までボクシングをやっていた杏は、元々の目付きの悪さとボクシングで培われた体格の良さから、とにかく他人を寄せ付けないオーラを放っていた。

 他人の言動に物怖じしないマイペースであるのも祟ってか、気付かぬうちに『番長』などという、時代錯誤でありながら物騒な呼ばれ方をし始めた頃には、彼は孤立していた。
 と言っても、彼自身は特に気にはしていない。
 毎日を難なく適当に過ごせていれば、それで良かった。



 そんな彼の転機が、魚塚のバーで働き始めたことだった。



「杏は手が器用なんだな」

 魚塚にそう言われて、初めて自分が細かい作業を得意としていることを知った。
 今までの自分は、粗暴な態度でしか過ごしてこなかったから、そんな事に気付きもしなかった。


「けっこう思いやり深いんだな」

 酔いつぶれた中年を目が覚めるまで介抱してやっていたら、魚塚に褒められた。
 優しい、だとか、頭を撫でられたのは初めてだった。


「杏がいると、仕事がはかどるよ」

 そう言って魚塚が微笑んでくれた時は、「自分でも、役に立てているのか」と、純粋に嬉しかった。


 今まで、魚塚のように真っ直ぐに自分を見てくれる人は居なかった。
 自分の容姿と態度で全てを測り、『野蛮』だの『劣等生』だのと決め付けられることに慣れていた杏には、それが妙にくすぐったいような嬉しさがあった。

 それからだ。杏が真面目に取り組むようになったのは。



 大学へ行き、きちんと授業を受け、バイトまでの時間はバーの休憩室で黙々と参考書を開く。
 それまでの自分では有り得ないような真面目さに、戸惑いを通り越して楽しくなってしまった。


 「杏は、暗記力がいいな」と魚塚に言われて嬉しかったから、手当たり次第に参考書を暗記してみた。そうしたら、ホイホイと簡単に多種多様な検定に受かった。

 自分は、思っていたよりも優秀な方だったらしい。魚塚と出会わなければ、自らを劣等生と決め付けたままだっただろう。


 気が付けば、魚塚には、誰よりも深くて固く揺らぎの無い信頼を寄せていた。




 大学を卒業して、半年が経った頃だった。

 いつも通りバイトが始まる三十分前にバーへと入れば、まだ開店前だと言うのに、見知った男が一人、カウンターでグラスを煽っていた。
 その姿を見たとき、反射的に「うわ」と心底不愉快そうに顔を顰めてしまえば、彼はケラケラと楽しそうに笑う。


「相変わらず俺のこと嫌いなんだな、杏」

 背の高いチェアーに腰掛けたまま長い足をふらりと揺らしたその男は、魚塚の親友だった。

 ここ数年で急激に勢力を伸ばしているとある財閥のトップである彼は、神という。
 いつもピシリと質のよいスーツを着て、それなのに奔放に振舞う彼を、杏はあまり好きではなかった。

 神には特に声を掛けずに、杏はさっさとカウンター奥へと進む。
 そこでは、魚塚が神のためにマティーニを作っていた。それすら、気に食わない。

 杏は、魚塚の作るマティーニが好きだった。魚塚のマティーニは、特別なもののように思っていたのに、こんな男に飲ませるなんて、と悔しくもなる。

「まだ開店前っすよ。準備の邪魔でもしに来たんすか」
「杏」

 思わず棘を混ぜれば、魚塚の諌める声が耳に届く。ムッとした表情のまま、エプロンを締めた。

「なぁ、お前さ、俺の秘書にならない?」

 唐突に神が発した言葉に、一層怪訝に眉を寄せて彼を見た。
 何言ってんの、と視線で伝えれば、彼はにやりと楽しそうに笑う。

「俺について来れる秘書を探してるんだけど、なかなか居ないんだよな、条件に合う人が」
「あっそ」
「優秀な人はいっぱい居るんだけど、『面白い奴』が居なくてさ」
「芸人でも呼んできたら」

 神に適当に相槌を返しながら、店のテーブルを一つずつ丁寧に拭き始める。
 カウンターに居る神の視線が刺さるのを、頑として無視した。


「俺は色んな物を自分の目で見て歩きたいんだよ。でも、一般的な秘書は、そんな俺にはついて来れないらしい。それじゃ困る。ついて来て、一緒に見てくれなきゃいけない」
「……あんた、社長っていう自覚あんの?」
「あるから毎日歩き回ってんだけど?」

 溜め息を吐き出した。

 この男の嫌いなところが一つ出た。
 社長という位のくせに、毎日毎日ふらふらと出歩いては、社交だとか言って遊んでいるところがだ。

 魚塚いわく「それが神の方針だからね」らしいが、杏だけでなく、彼の秘書とやらも理解できないのだろう。秘書が可哀想だと思った。


「秘書云々の前に、あんたが変わったら?」
「俺が変わったら、俺の会社は潰れるな。間違いなく」

 マティーニを口に運ぶ横顔に、思わず大人気のない鋭い視線を向けてしまう。

「前からお前のこと気に入ってたんだよな。仕事が出来るのは大前提だけど、お前は他の奴らよりも達観してる。お前なら、俺について来れる」
「頼まれてもついていかねぇよ」
「杏」

 不意に聞こえた魚塚の声に顔を上げた。見れば、魚塚は心配そうに目を細めていて、どうやら神との会話をハラハラと聞いていたらしいことに気付く。
 テーブルを拭き終わって魚塚の隣に戻れば、彼は真っ直ぐにこちらを見ていた。

「杏、俺からも頼む」
「……なんて言った?」

 思わず耳を疑って聞き返せば、魚塚はこちらを見つめたままだった。




→3へ続きます

2012/10/13
written by 鈴城はるま



あきゅろす。
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