カクテル擬人化 -side story-
Bitter Valentine's Day(BL)
【バレンタインデーSS】

<ジン + ウォッカ ← カカオリキュール>

※魚塚の 高校時代 〜 大学時代 の話





 触れた生暖かい感触が、キモチワルイ。


 加賀尾の口が魚塚の唇を塞いで、柔らかな感触を楽しむように何度も啄ばんでは離れていく。
 時折舌を口内に突き入れられて魚塚が嚥下しそうになれば、嬉しそうに笑ってみせる。

 狂ったように魚塚を攻めては、魚塚の懇願を待つ。
 意識が飛びそうなギリギリのラインで動きを止めて、その後を強請らせようとするのが、加賀尾の常だった。

 けれど魚塚は決して加賀尾の思う通りには動かない。

 たとえ、腕を縛られて動きを封じられていても。
 衣服を剥かれて羞恥に震えても。
 どんな屈辱で死にたくなっても。

 この男の望む通りになんて、絶対、なってはやらない。

 
 鼻先に漂う加賀尾の甘ったるいカカオのような香水の匂いがくらくらと頭を麻痺させて思考を曖昧にしても、嬌声を上げて縋り付くようなことはしなかった。

 この男に服従はしない。
 それだけが、あの時の魚塚のたった一つの生きる理由だった。







 チョコレートの匂いが嫌いだ。

 それは、あの男の匂いと酷似しているから、という意味で。


 大学の院内を、その嫌いな匂いが満たしていた。
 それに気付いて、魚塚は早々に中庭へと逃げる。

 文庫を一冊持って出てきたはいいが、まだ二月だ。屋外で読書をするには、まだ寒すぎる。
 かといって、あの匂いに包まれた屋内には、居たくはない。
 講義の最中は仕方ないとして、それ以外では出来るだけ避けていたかった。

 幸い今日は天気が良い。
 陽の当たるベンチに座って、文庫と一緒に持ってきたパーカーを羽織る。
 まだ寒いが、堪えられない程度ではない。

 小さく息を吐き出してから、そっとブックマーカーの挟まれたページを開いた。
 けれど、どれだけ視線を這わせても、内容が頭に入っては来ない。


 もう一度息を吐いてから、魚塚は渋々文庫を閉じた。

 ぼんやりと院内を見れば、窓の向こうで仲が良さそうな男女が頬を染め合っているのが見える。
 女は俯きがちにソワソワとしていて、男は綺麗に包装された手のひら大の箱を持ってニコニコと嬉しそうに笑っていた。

 よかったね。と冷めた気持ちで呟いて、目を伏せた。




 二月十四日。

 バレンタインデーである今日は、朝から構内が浮ついた空気で包まれていた。そして、例の苦手な匂いの蔓延だ。

 数日前から、「誰にチョコレートを渡すの」という女性たちの殺伐とした雰囲気と、「今年は貰えるだろうか」という男性たちの焦燥が見え隠れしていることに苦笑して覚悟はしていたのだが、やはり、この甘ったるい匂いには堪えられなかった。



 どうしてもあの男のことを思い出す。
 大学に進んで、関係を一切絶ったというのに、まだあの男への恐怖感は拭えなどしなかった。
 

 去年の今頃も変わらずに加賀尾と一緒に居たな、と思い出せば、眉間の辺りが痛くなる。
 一種の拒否反応であるそれに苦笑して、目を伏せた。




 高校を卒業すれば、加賀尾から逃げられる。
 その算段を立てていた魚塚は、高校の卒業式が終わるまで、魚塚が『何をする気なのか』を悟られてはいけなかった。

 加賀尾は盲目的に自分だけを見ていた。
 卒業後もずっと共にいると、信じていたようだった。
 だから、それを利用した。


「加賀尾」


 去年のバレンタイン当日。

 自分は初めて自ら加賀尾に手を伸ばした。

 加賀尾の制服のボタンを外して、ベルトに手を掛けて、驚いたように目を丸めた加賀尾の意識を奪うように、初めて自分からキスをした。
 沸き上がる吐き気を必死に堪えてから加賀尾を見つめると、すぐに押し倒される。
 いつもよりも性急な動きで服を剥がれて、「成功だ」とそっと目を伏せた。


 それから卒業までの一ヶ月。
 加賀尾に服従して、加賀尾の望むように行為に及んで、可能な限り加賀尾と時間を共にした。
 まるで、魚塚が遂に加賀尾の好意に応えた様だった。

 けれどそれは全て、作戦のうちだ。
 そうして彼を油断させて、一気に逃げ出した。





 一年前のことなのに、昨日のことのように鮮明に頭に浮かぶ。
 自分から加賀尾の口を塞いで、猫の様に加賀尾に舌を這わせて、どろどろに溶けたみたいな気味の悪い甘い声で喘いでみせた。
 あんな経験、もう二度としたくない。



 目を開けると、さっきまで頬を染め合っていた男女の姿は見えなくなっていた。
 視線を揺らすと、渡り廊下を手を繋いで歩く二人の姿を発見する。

 加賀尾からの性的な執着に対する嫌悪感からか、今の魚塚には、恋愛的な感情というものが欠落している。
 それどころか、他人への執着というものすら無く、むしろ他人との関わりを嫌う傾向があったのだが、大学に進学してから約一年で、随分改善された方だろう。

「うーおつかっ」

 この男のおかげで。



 視線を右に揺らすと、両手に大きな紙袋を持った親友が駆け寄ってきていた。
 どさりと魚塚の横に置かれた紙袋からは、あの耐え難い甘い匂いが漂っている。
 思わず顔を背ければ、親友は「おい」と両手を腰に当てた。

「これ、全部お前宛てなんだけど」
「……何それ、嫌がらせ……?」
「違う違う」

 親友には、自分がチョコレートが大嫌いだと告げてある。
 理由は言っていないが、親友は「そうなんだー」と納得したはずだったのだが。


「お前にチョコレート渡したいっていう女の子いっぱいいるのに、今朝からふらふらふらふらふらふら姿消してるって嘆いてたんだぞ?」
「ふぅん……」
「だから預かってきた」

 なんでだよ。と言いそうな口を塞ぐ。

 人付き合いが上手で誰からも信頼される親友は、それと同時に誰にでも親切だ。
 困っている女子がいて手を差し伸ばさないわけないでしょー。などと言われるのは目に見えている。

「一応、チョコレート食えないって伝えたんだけどな。気持ちだけでも受け取って、だとさ」
「……受け取るって、付き合うって意味?」
「それはお前の気持ち次第なんじゃない?」

 隣に置かれた紙袋を見下ろす。
 つまり、この中に気になる女の子からのチョコレートがあったら、そこで交際成立。そういうことらしい。

「……ただのチョコレートなのに」
「ただのチョコレート、されど女の子にとっては違うんだよ、魚塚」

 ふと真顔になった親友を見上げれば、その口元が微かに笑みに歪む。

「好きな人がいるとさ、こんなただのチョコレート渡すだけでも死にそうなくらいに緊張するんだよ。製菓会社の陰謀だって言われても、それに懸けてんの」

 よくもまぁ、ここまでペラペラと他人の擁護が出来るもんだ。
 無言で親友を見上げていれば、親友はニッと満面の笑みを返してくる。

「ところで魚塚、チョコレートに合うお酒といったら?」
「……無難にウィスキー?」
「今夜バイト?」
「いや……休みだけど」
「じゃあ俺の家来ない? ちょうど良いウィスキー貰ったんだよねー」

 結局それかよ。と思わず笑ってしまう。

 無類の酒好きな親友は、バーでアルバイトをしている魚塚に酒を注がせるのが好きらしい。
 まだまだ半人前のバーテンダーだというのに、「プロっぽい」などとはしゃがれると、流石に照れるのだが。



 立ち上がって、紙袋を持ってみる。意外と重い。

「恋愛感情って、重いんだな……」
「そうだぞー。時には相手を食い尽くすからね」

 けらけらと笑う親友に、魚塚は笑えない。
 まさに、恋愛感情から自分を喰らい尽くしてしまおうとしていた男のことを思い出していたからだ。



 甘ったるい感情。
 甘ったるい匂いで包まれ、すぐにどろどろと溶けて手を汚してしまう、醜いもの。
 それを押し付けて、愛を量ろうとする日。
 

 嫌な日だ。
 呟くと、親友はきょとんと目を丸めてから、ふっと笑う。

「俺は好きだよ、駆け引きみたいだろ」

 変わり者の親友に、魚塚は溜め息混じりの笑いを吐き出した。




2013/2/10
written by 鈴城はるま



あきゅろす。
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