ヤドカリ




「ゆぅ君、友達が泊まりに来たんだべ? 烏賊、多めに持って来たはんでな」

「友達? いや、こいつは」

「布団ば、もう一組必要だべ? 今持ってくるが」

「ちょ、まっ、ミヨ婆ちゃん」


 嫌な予感は当たっていた。
 ミヨは、凪が雄大に強引に寄生しようとしているとは露知らず、孫の様に可愛がっている雄大の友達が遊びに来たと解釈したらしい。

 いそいそと玄関脇に烏賊を置いて去ろうとするミヨに、慌ててサンダルを突っ掛けて引き止めた。


「婆ちゃん、布団はいらないから」

 早口で言えば、ミヨは途端に眉を吊り上げる。


「いいはんで、早く烏賊ばこさえろ」

 半ば怒鳴る様に言って、ミヨはさっさと歩いて行ってしまった。
 なかなかの高齢で、腰も曲がってしまっていると言うのに、その足取りは軽い。

 たまに強引で、かつ面倒見の良いミヨのことだ。
 いらないと言っても、ミヨの家にある予備の寝具一式を運び込んで来るに違いない。
 そうなったらもう、凪を泊めてやるしか選択肢は無いではないか。


 ミヨが置いて行った烏賊の入ったビニール袋を持ち上げて振り返れば、そこに凪の姿は無い。

 溜め息と共に居間を覗くと、我が物顔で座布団に座る凪がニコニコと笑っていた。


「ミヨ婆ちゃんって良い人だね。隣の家の人? ところで、『烏賊ばこさえろ』ってどういう意味? 訛りかな」

「……」

 ボストンバッグを畳の上に置いて胡坐を掻く凪が問うが、雄大は無言で居間を通り抜け、その奥にある台所へと進む。

 支度の途中だった夕飯を眺め、その次に手に握った烏賊の入った袋を見下ろした。

 その間にもどうにか凪を追い返す手段を考えてみるが、ミヨの手前、無理に押し出すのは気が引ける。


 とにかくミヨに怒鳴られたので、烏賊ばこさえる………烏賊を、調理しなければ。

 どうやらミヨが一度茹でたらしい。このままでも食べられるが、何か一手間を掛けて……


 ………では、ない。

 確かに烏賊の調理は大事だ。
 新鮮な烏賊をどう食べるかは、大事なことではある。

 だが、それよりもっと大事なのは凪の事だ。

 このまま今晩泊めてみろ。
 この強引さから予測できるのは、明日も明後日も明々後日も居座ることだ。


 雄大が振り返れば、座布団の上できょろきょろと忙しなく居間の中を見渡している凪が見えた。
 視線が合うと、白い歯を見せて満面の笑みを返してくる。


「おい。今すぐ出て行け」

「えー? ミヨ婆ちゃんは泊まっていいって雰囲気じゃん。それに、烏賊もその量じゃ一人で食べ切れないでしょ?」

「いいから出て行けって言ってんだよ」


 烏賊をシンクに置きながら言えば、凪は暫くジッとこちらを見上げていたが、不意に口を尖らせて眉を寄せた。


「こんなにデカい家に一人で住んでるくせにケチなんだな、ゆぅ君は」

「ゆぅ君って呼ぶな!!」

「布団持ってくるの重いだろうから、ミヨ婆ちゃんの手伝いに行ってこようかなー。ゆぅ君はケチだって言いつけてやるー」

「誰がケチだ!!」


 思わず叫んでいる間にヒョイと立ち上がった凪は、さっさと玄関へと去って行く。
 勿論、凪が背負ってきたボストンバッグは居間に置きっ放しだ。


 玄関のコンクリートのたたきとサンダルの底が擦れる音がした。
 勝手に雄大のサンダルを拝借したらしい。

 窓の向こうで、パスパスパスと軽い足音がする。
 遠慮無しに隣家の玄関を開く音の後、楽しげにミヨと話し出す凪の声。


「ミヨ婆ちゃん。俺しばらく、ゆぅ君の家にお世話になるからさ、よろしくね」

「何を勝手なこと言ってんだ、あいつは!!」

 聞こえてくる凪の言葉に一人で憤慨すれば、裏の林から五月蝿い蝉の鳴き声が響きだした。

 その鳴き声に掻き消される凪の声に、雄大は重い溜め息のあと、両手で頭を抱えた。






 ある夏の日。我が家にヤドカリが住み着いた。




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あきゅろす。
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