ヤドカリ



 状況を理解できずに瞬きを繰り返す雄大を見上げて、凪はにっこりと笑った。
 唇の隙間からちらりと見えた八重歯は、母性本能を擽ると女子が騒いでいたのをふと思い出す。

「ねぇ、七瀬君。今日から、この家に住ませてよ?」

「……なに?」

「一軒家に一人暮らしって贅沢じゃない? 一人くらい居候が増えても問題無いでしょ!」

 唐突過ぎる申し立てに眉をひそめた雄大の小さな反論を含んだ声は、明るく強引な意見に掻き消された。
 凪の垂れがちな流し目が楽しげに緩んで、雄大を見上げている。

「家賃はちゃんと払うし、邪魔もしないからさ。ねぇ、いいでしょ?」

 言葉は甘えた懇願めいた色を含ませているのに、雄大を見つめるその目には、否とは言わせないような強引さを秘めて。
 凪の放つそのアンバランスな空気に、雄大は再度ごくり、と音を立てて唾を飲み込んだ。




 藤真凪の話題は、その容姿の華やかさだけでは留まらない。
 むしろ、もう一つの話題の方が圧倒的に問題を帯びている。


 藤真凪は、転々と家を渡り歩いて暮らしているらしい。
 それも、一人暮らしの女性の家に同居するという形で、だ。

 その容姿を武器にして……なのか、藤真凪にコロリと魅了された女性達は、簡単にこの怪しい男を家に招き入れてしまうのだ。

 そのまま寄生された女性は数多。
 かと思えば、「藤真凪が家を探しているらしい」との噂が流れれば、ことバーゲンセールの様に詰め掛け、自分の家へと勧誘するのだと言う。


 その瞬間を、雄大も実際に見たことがある。
 我が我がと藤真凪に詰め寄る女性達と、その中心で誰に対しても平等な柔和な笑みを向ける藤真凪の姿に、何か宗教めいた恐ろしさを感じたものだ。



 藤真凪が家を移り住む理由は定かでは無いが、雄大の男友達の中では、意中の女性が「藤真凪ファンクラブ」になってしまったが為に已む無く失恋を強いられた者も少なくない。
 故に男性陣からは、半ば嫉妬と憎悪めいた感情を含めた悪質な噂ばかりを流されている。

 例えば、藤真凪が家を移り住むのは、寄生した女性に飽きたからだ。とか。

 藤真凪は、寄生した女性の精神を操る催眠術士なのだ。とか。

 前者はともかく、後者の現実味の欠如には雄大も笑うしかない。



 兎にも角にも、藤真凪は女性からは大いに好かれるが、同性には妬みの種でしか無い男だ。

 雄大も、女性関係のだらしなさは他人の事だ、と気にしたことは無いが、ふらふらと放浪する性分は好きにはなれなかった。

 とはいえ、同学年ではあるが学部の違う藤真凪との接点は無く、結局は『噂の人』程度の認識で終わっていたのだが。




 しかし、なぜ、そんな噂の藤真凪が、我が家に来たんだ。


「家賃は十万! 破格でしょ? 食費と、生活費と、光熱費を差し引いても、十分だと思うんだけど?」


 なぜ、俺なんだ?


「何、その顔? あ、なんでそんなに金持ってるって? 大丈夫、怪しい金じゃないよ! 実家が社長さんなだけだから!」


 なぜ、女性ではなく、俺なんだ?


「あ、でもさ、俺、家事は出来ないから。そこの所はお世話になります!」


 なぜ、接点も無い俺の所に来たんだ?


「ねぇ、聞いてる? 七瀬君」


 なぜ、大学からも離れた、こんな過疎地に住む俺の所に?


「……お邪魔しちゃいますよーぅ」


 なぜ、って、おい?!

 ぐるぐると廻る疑問に追い込まれていた雄大は、凪が片足を玄関の上がり框に掛けたことでハッと我に返った。

 今にも侵入してきそうな凪の肩を両手で押さえれば、雄大より背の低い凪は雄大をきょとんと見上げた。



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