ラストオーダー
オーダー2





「カナタさんはどこに住んでるんですか?」

そう聞けば、カナタさんは眉間に皺を寄せてあからさまに不愉快そうな顔をした。

いつもと同じように大学の講義が終わってから、憧れのカナタさんが働く喫茶店に駆け込んだ。
こちらの姿を確認したカナタさんは少しだけ顔を顰めたけれど、また前と変わらずに注文票を手に近付いて来てくれるのが嬉しい。
いつもと同じ「珈琲!」という変わり映えの無い注文を受けてさっさとカウンターに戻ろうとしたクールビューティー・カナタさんに、ずっと持っていた疑問をぶつけてみた。

そうしたらこの顔だ。

「……聞いてどうする」

「あ、いやいや、別に押し掛けようとかそんなんじゃなくて」


慌てて否定してみたけれど、カナタさんは尚更眉を寄せる。
……数週間前。うっかりカナタさんにセクハラ紛いの発言をしてしまってから、カナタさんは酷く警戒した視線を向けてくるようになってしまった。
それまではまるで天使のような穏やかな笑みを向けて接客してくれていたのに、今では常時眉間に皺が寄った状態だから、ちょっと切ない。

でも、前よりも気軽に話せるようになった。あんなセクハラ発言以上の失言は無いという、一種の開き直りだけど。
それでも距離は縮まった気がするから、プラスマイナスゼロだよな。
長所であり短所でもあるこのポジティブすぎる思考回路が、こんな時に役立つなんて思わなかった。


「バイトの帰りとか、遅くなるんじゃないですか?」

「まぁ……でも遅くても十時には終わるし……」

「十時?! 遅いっす!! 遅いっすよ、カナタさん!!」


思わず声を大きくしてしまった自分に、カナタさんの更に冷たい視線が突き刺さる。店内に居たお客さんも少し迷惑そうにチラチラとこちらを窺っていた。カウンターの向こうの店長さんが、人差し指を口許に立てて、「しずかに」というポーズをしていた。
おろおろと頭を下げながらすみません、と小さく呟いて、カナタさんを見上げる。真剣な目で見つめれば、カナタさんは片眉を下げて見つめ返してきた。

「十時って、もう真っ暗っすよね……!」

「暗いな」

「危ないっすよ! 襲われますっすよ!」

「あんたにか」

「そう…………って、えええっ?!」


再度叫んだ俺に、今度は誰かが咳払いをした。
パッと片手で口を覆って辺りを見渡すと、視線がチクチクと刺さっている。カウンターの向こうの店長さんは、ぶんぶんと首を横に振って、今度は両手の人差し指を口許で交差し、「しゃべるな」のポーズだ。
申し訳無さに肩を落としていると、カナタさんが口を手で隠して笑っているのが見える。肩が小刻みに揺れて、細かく息が切れているあたり、結構な爆笑だろう。

……カナタさんが笑った!!

セクハラ発言以降からカナタさんが自分に向けてくるのは、冷たい視線か軽蔑した視線か迷惑そうな表情だけだった為に、例え馬鹿にした笑いだったとしても嬉しい!
今なら! 今なら行ける気がする!

前にも同じように考えて、カナタさんに軽蔑されるセクハラ発言事件になったというのに、自分はまたそう考え至ってしまった。


「カナタさん! 俺が家まで送ります!!」


………カナタさんが黙った。
またあの時の様に目を真ん丸にして、黙ってこちらを見つめている。

…………やっぱり、また、やってしまったらしい。

沈黙と視線に耐え切れずに口を開きかけた瞬間、すみません、と入口付近に座っている貴婦人が声を上げた。
パッと視線を逸らしたカナタさんは、背中を向けて貴婦人の方へと行ってしまう。


「あぁ……」

貴婦人の注文を受ける背中を見つめながら、堪え切れずに重い溜め息を漏らした。

……いや、でも、今回は決して下心とか何も無く、カナタさんを心配して……
そもそも前回のセクハラ紛い発言も、綺麗だなぁ、と思ったから、綺麗ですね、と言ってしまったわけで、下心なんかは特に……
…仲良くなりたいなー、は下心になりますか?

だとしたら、自分は常に下心でいっぱいなんです。
下心しか無い目でカナタさんを見ているんです。
すみませんカナタさん、すみません。
でも、仲良くなりたいんです。
もっと話をしたいんです。

悶々と考えていると、カチャン、と目の前にカップが置かれた。中身は、ミルクたっぷりの珈琲。
反射的に見上げると、カナタさんが眉間に皺を寄せて見下ろしている。


「カナタさん……」

「送ってくれなくて結構」

すがる様に見つめてみたけど、カナタさんから返って来たのはバッサリとしたNO。
ですよね、と肩を落として珈琲の入ったカップを揺らしてみる。

「歩いて五分で着くから」

「……ごふんっ?!」

思わず顔を上げて目を丸めれば、カナタさんは思った以上に微笑んでいた。切れ長の目を緩めて、口端が緩やかに引き上がっている。
あ、すっごい綺麗。と見惚れていると、すぐにいつもの冷たい視線に戻ってしまう。
腕を組んで視線を床に落としたカナタさんは、小さく溜め息を吐いてからちらりと見てきた。

「お前、なんかよく解んない奴だな」

「……それは、そのー……迷惑ですか?」


恐る恐る聞けば、カナタさんはジッと見つめてくる。背中を嫌な汗が伝い、テーブルの上に置いた掌をぎゅっと強く握り締めた。

こんな真正面から「迷惑です」なんて言われたら、もう一生立ち直れない。
考えただけで涙が出そうになった自分の耳に、くすりとカナタさんの軽い笑い声が届いた。
顔を上げれば、カナタさんが笑顔で首を傾げている。


「……退屈はしないな」


…………………。


思考が上手く巡らなかった。
それって、それって、カナタさん。


「カナタさん、俺はカナタさんが大好きです!」

「調子に乗るな!」


バンッ、と大きな音と共にテーブルに伝票を叩きつけて、荒々しくカウンターに戻って行ってしまうカナタさんに、慌てて姿勢を正した。


「か、カナタさーん」

「うるさい、黙れ!」


カウンターから飛んでくる罵声に、シュンと肩を落として珈琲を見下ろす。けれど、ジワジワと緩んでしまう口許は隠せなかった。

いつもと同じ、ミルク多めの珈琲を、にやけた口のまま流し込んだ。




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