ラストオーダー
オーダー12


初めてカナタさんに「綺麗っすね」と本音を伝えたあの時。

もう、本当に終わったと思った。

この喫茶店に来るのも最後だと思った。



「だからね、その時は、あー、これがラストオーダーだなーっ、て泣きそうになっちゃってー」



ある日カナタさんにその時の事を話したら、カナタさんは思いっきり顔をしかめた。


「ラストオーダーって…なんか意味違うくないか?」


言われて、へ?と首を傾げた。


「ラストオーダーって、簡単に言えばその日の最後の注文のことだぞ?
………なんかお前の使い方、微妙に…………」


その時は盛大に笑って誤魔化した。







でも、カナタさん。

やっぱりラストオーダーはラストオーダーでいいんすよ。



今日、俺は、あなたに最後の注文をする。














カナタさんは振り返らなかった。

いつの間にか風は止んでいて、妙にシン…とした空気が流れている。

これが、最後の来店。

伝えることは出来なかったけれど。

貴方を苦しめただけだったけれど。

もう、終わりです。



「カナタさん、たくさん迷惑掛けてすみませんでした」


努めていつも通りの明るい声で口を開いた。


「あ、でも、出来れば喫茶店は続けて下さいよね!
カナタさんは、このお店の看板みたいなもんなんですから!」


カナタさんがいるだけで、店内が華やいで見えたのは、きっと俺だけじゃない。

「だから、あの…」


震えそうになった声は、一度飲み込んで、カナタさんの背中に満面の笑みを送った。

せめて最後は、笑っていようと思った。

カナタさんに会えるだけで、毎日楽しくて嬉しくて、だからいつも無意識に笑ってしまっていたから。

それは、今この瞬間も変わらない。

そうして、言い終わるか言い終わらないかのうちに踵を返した。

振り返らないカナタさんの背中を見るのは、もう耐えられなかった。


「さようなら」










階段を降りようとした時、背中に軽い衝撃を受けた。

ドンッ、と一度だけ。

そして、背中からじわりじわりと伝わる温度に、状況を理解出来ずに思考が止まる。


「…カナタ、さん…?」


呼べば、微かにシャツを引っ張られる感覚があった。

細い、その白い指で背中にしがみつく、そんな感覚があった。

その指は、暫く躊躇いがちにシャツを掴むだけだったが、不意にギュウッと強く握り締めてくる。

自分の肩に、カナタさんの額が乗せられるその温かさが、まるで夢のように頭を侵食していく。

熱い。

カナタさんに触れられている箇所が熱い。

もう、夢でもいいとさえ思った。










「―…自己中」

「…は、い…?」


ポツリと背後から呟かれた言葉に我に返った。


「変態。能天気。

端迷惑。キモい。

うざい。鬱陶しい。

暑苦しい。空気読まない。

個人情報盗む」


トントンとリズム良く紡がれる言葉が心臓に杭を打つ様だ。

どれも自覚がある罪状に、死刑宣告を待つ囚人の気分で立ち竦む足はガクガクと震えていた。

カナタさんに嫌われる要素は多分にあるじゃないか、と体が冷えきっていく。







「……いつも、笑ってて」

「いつも、俺のことばっかり心配してて」

「意味、わかんなくて」


カナタさんの指が、背中に食い込んだ。

その指が、その声が、戸惑った様に震えているのに気付いてしまう。


「…カナタさん…?」

「……なにが、愛してるだよ……」


低くなったカナタさんの声が、背中に響いてくる。

押し付けるように肩に埋め込まれたカナタさんの額が、ゆっくりとかぶりを振った。


「嘘つきだよな…」

「嘘なんか…」


反論しかけた言葉を遮って、カナタさんは再度「嘘つきだ」と呟いた。

一度だけ溜め息を吐いて、カナタさんは絞り出す様な声で言う。


「好きなやついるのに、俺のこと『愛してる』なんて言うなよ…」

「…………」


少しだけ、カナタさんの言葉が理解出来ずに戸惑った。


「雨の日の、好きなやつ、俺は、晴れてる日に、会ったのに、」


その空気に気付いたのか、カナタさんがポツリポツリと吐き出す。

そのカナタさんの声が、不自然に途切れ途切れになっていた。

次いで、震えた様な小さな嗚咽。





カナタさん?







恐る恐る振り返った。


ハッとして、カナタさんは俯いて背を向けようとする。


その両肩を掴んで、押さえつけた。


細い肩が、自分の手の中で小刻みに揺れる。


俯いたカナタさんの顔をゆっくりと覗き込もうとすると、カナタさんは顔を逸らそうとした。


その両の頬に手を添えて、出来るだけ優しく、壊れ物を扱う様にこちらを向かせる。



―真っ赤になってしまった瞳から、薄く涙が溢れていた。

目が合うと、一度睨んでからそらされる。











抱き締めて腕の中に収めたカナタさんの肩が、小さく震える。

もがく様に離れようとするカナタさんを逃がすまいと力を込めて、より強く掻き抱いた。

密着したカナタさんからか、それとも自分からなのか、ドクドクと強い鼓動音が聞こえる。



カナタさん。
カナタさん。と無我夢中で名を呼んだ。



「カナタさん」

「離せ…」

「離しません」


ハッキリと言い切って、そして更に強く抱き締める。


「カナタさんだからです」


カナタさんは息を飲んで、必死に嗚咽をやり過ごそうとしている。

うっすらと見上げてくる瞳が紅くて、それすらも愛しいと感じてしまった。



『傷付けないように』

『苦しめないように』



そういう自分の配慮は、全然形にならなったみたいだけれど。

だからこそ、もう全て、包み隠さずに伝えてしまおうと決めた。





「雨の日に会ったのは、カナタさんです。
初めて会った日からずっと…ずっと、貴方を好きでした」


言えば、カナタさんの瞳が丸く広がって、ジイッと見上げてきた。

嘘だろ、と音も無く呟いたカナタさんに、心から穏やかな笑みを返す。


「嘘じゃないです」


俺がカナタさんに初めて会ったのは、雨の日なんですよ。











声も無く胸にしがみついて肩を震わせるカナタさんを、優しく抱き締め直した。

落ち着かせる様に片手で背を撫でて、もう片手でカナタさんの頭を引き寄せる。


腕の中にいる愛しい人の体温に、心は温かく満たされるように光を射していく。


まだ震えるカナタさんの耳にそっと口を寄せて、囁いた。


「カナタさん、愛しています」


再度呟けば、一度びくりと体を堅くしたカナタさんは、暫くの間の後、コクコクと頷いた。


やっと伝わった、と呟いて微笑めば、真っ赤な瞳が見上げてきて、キッと睨んでくる。


「……お前は馬鹿だな」


少し掠れた声で呟かれたその言葉に、思わず口許を緩ませて、また強くカナタさんを抱き締めた。







また強く吹き出した風が、白いカーテンとカナタさんの髪を揺らすのが酷く綺麗だと思った。


「綺麗っすね」


呟けば、カナタさんは涙で濡れた瞳を細めて、本当に本当に綺麗に笑った。










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あきゅろす。
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