ラストオーダー
オーダー10




聞き慣れた声で進行する講義の内容は一切頭に入ってこなくて、潔くペンを机に置いた。

ルーズリーフを綴じたファイルもパタンと閉じ、両肘を立ててぼんやりと窓の外を眺める。

講義を受けていない学生達が楽しそうに談笑しているのが見えて、僅かに胸が痛んだ。


…………カナタさんに、嫌われてから、三日目。


喫茶店には行ってない。
否、行けない。

ポジティブだと思っていた自分は、想像以上に繊細だったらしい。

カナタさんが自分を否定する声が、目が、手が、苦しかった。

そうして、またそんな仕種を見るのが怖くて、喫茶店には行ってなかった。

例えばこれが、親しい友人と喧嘩したとなれば、自分はこんなにも悩まない。

自分が悪いなら、はっきりと謝って、頭を下げて、それから仲直りすればいい。

相手が悪いなら、許して、仲直りすればいい。



だが、カナタさんとのことは違う。



嫌いだと、近寄るなと言われても、カナタさんが好きだ。

譲歩して、大人しくカナタさんの前から姿を消すなんて事も、本当は微塵もしたくはない。

毎日会って、毎日その声を聞いて、毎日好きだと心の中で訴えて。

それが、自分の中の最高の幸せだった。


諦めろと言われて諦められるものではない。


ただ。


自分の意思を貫いた先にあるのは、カナタさんの辛そうな、悲しそうなあの表情なのかと思うと、自然と足は喫茶店から逃げる様に遠ざかった。


本当にカナタさんを好きなら、もうカナタさんの前に現れないのが先決なんじゃないか、と……





いつの間にか終わっていた講義にハッとした。
続々と講堂を出ていく学生を見送りながら、傍らに置いていた携帯電話を手にする。

もう今日は、講義を取っていない。

今までの自分なら、こうしている時間も惜しい、と風のように喫茶店へと向かっていたのだろう。
そんな日が遠く感じるのは、何故なんだろうか。


鞄にファイルとペンケースを入れても尚、腰を上げる勢いが無かった。

喫茶店へ行くのが日課だった自分から、それを奪えば、何もする事が無い。
随分つまらない人間だな、と嘲笑を漏らした。


「おい、優希」


不意に頭上から降り注いだ声に顔を上げた。

見れば隣には、机に片手を付いて見下ろしている菅田がいる。

ああ、と半ば無理矢理口許を笑みに歪めてみせる。


「菅田も講義終わったの?」

「おぅ」


短く返して、菅田は机に腰掛けた。

この講堂は、次の時間は空き教室らしい。
学生達が出て行った今、自分と菅田以外の姿はない。

菅田は暫く黙っていたものの、小さく息を吐いてから口を開いた。


「なんか…あったのか?」


いつも呆れ気味に自分の話に鋭いツッコミを入れる菅田には珍しく、酷く優しい、心配した様な声だった。

不覚にも、涙が出そうになって俯く。

そういえば、随分と菅田にも迷惑を掛けたな、と片手で眉間を押さえながら思い起こす。

毎日毎日毎日毎日、カナタさんカナタさんカナタさん。
それはもう、菅田が「やめてくれ!」と懇願する程、語り続けていたわけだから、ノイローゼの一つや二つなっていてもおかしくない。

それでも律儀に毎日、最後まで付き合ってくれる親友が、今は涙腺をこれでもかと言わんばかりに刺激してくる。

グッ、と唾を飲み込んでから、机の上で組まれた自分の指を見つめた。


「カナタさんに…」

「おぅ」

「嫌われた…」

「……はあ?」


斜め上から、呆れた相槌が返ってきた。

いやいやいや、何も言わなくていい、菅田。
「今さらじゃねえ?」とか、「元々好かれてないだろ?」とか言う言葉は重々自分でも理解している。

自分の言葉に語弊があったんだ。
カナタさんに嫌われた、じゃなくて、元々カナタさんは自分を好きなわけではなかったから。


「調子に乗って誤解してたんだ」


ポツリと漏らせば、菅田は黙っている。


「…歳が近い、ただの客。俺がしつこくしてたから話してくれただけで、客以外の何でもないんだよな」


実際言葉にすると、思い悩んでいた時の数倍の衝撃を伴う事実だと感じた。

そのまままた言葉が出て行かず、グッと喉が鳴った。

再度ふるふると痙攣して溢れそうになる涙を、眉間を押さえて必死に堪える。

失恋して泣くのは、さすがに女々しすぎる。



そうして、ただ必死に涙を堪えていた自分は、菅田がいつの間にか真正面に移動していたことにビクリとして顔を上げた。

菅田は、やっぱり呆れたみたいな溜め息と表情で見下ろしている。


「馬鹿かよ、お前は」

「……ば…馬鹿だけど…」


いきなり核心を突いてくる菅田に、堪えていた涙がちょっと出た。


「何がただの客だよ」

「…だって…」

「ただの客の文化祭、わざわざ見に来るのか?」

「………」

「ただの客の体調気にして、別メニューのドリンクなんか作るのか?」

「………それは…毎日、通ってたから…」


どうにか反論すると、菅田は持っていたペンケースを振り上げる。

え?あれ、もしかして。

と、ポカンとしているうちに、予想通りペンケースが自分の頭に振り下ろされた。

それも、角が。


「!!?い、痛っ!?」

「だから馬鹿だっつってんだよ、この馬鹿!!!」


菅田が叫び、講堂内にその声が響いた。

正直、いつも斜め上から目線の菅田がこんなに声を荒くしているのは初めて聞いた。

ペンケースで殴られた頭を押さえながら、呆然と菅田を見つめる。


「俺だったら、お前なんかとっくの昔に『キモい・近寄んな・触るな・店に来るな』で拒絶してるっつーの!」

「さ、されたんだよ、拒絶!」


つい三日前にカナタさんに言われた言葉が、リアルに思い出されて涙ぐみながら反論した。

すると、菅田は再度ペンケースを振り上げる。

ひぃぃぃっ、と体を丸めて頭を守る様に両腕で覆った。

しかし、いつまでたっても予期した衝撃は与えられない。

そろそろと腕の間から覗くと、菅田はギュッと眉を寄せて見下ろしていた。


「…しなかったんだろ、今までは」

「………」

「明らかにストーカー紛いなお前に、カナタさんはさ、ずっと相手してくれてたんだろ」


黙って菅田を見上げていると、菅田はフッと苦笑した。

馬鹿だよな、お前は。と付け足してから、机に起きっぱなしだった自分の鞄を押し付けてくる。

意味が解らずに目を白黒させていると、いつもの呆れた表情に戻ってしまった。


「本当にいいのか、このままで」

「………いくない」

「じゃあ」




行ってこい







弾かれた様に。





菅田の言葉が背中をドンと押した様に、講堂から飛び出した。

出る前に一瞬だけ見た菅田は、眉を下げて笑っていた。






大学の敷地を飛び出して。



人通りの多い繁華街を抜けて。




いつもは律儀に待つ赤信号も突き抜けて。




公園の並木道を真っ直ぐに。




大きな橋を渡って。




そして。





商店街の少し外れ、住宅街との間。


モノクロの、こじんまりとした喫茶店の前。






痛いくらい乱れた脈拍もそのままに、その黒い扉を引いた。






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