依頼をどうぞ。
いち
多少疲れて帰ってきた狼にそっと差し出されたのは新しい任務であった。
その書類をじっと見つめた後、笑顔の康に向かって狼は言った。
「オレに休みは無いんスカ?」
その瞳には微かに涙がたまっていた。
けれども、康は無情にも
「ないな」
そう言い放った。そう言われてしまえば、所詮狼もしがいない部下。
可哀そうに休む暇もなく依頼主である彼女の元へと送りだされた。
彼女とは、もう何年来の付き合いだろうか。
魔方陣の中で考るのは、依頼主である彼女との関係である。
一種の仕事仲間?お得様?幼馴染?
よくわからない関係ではあったが、確かに彼女の傍は居心地がいい。
一括りにされた絹のような黒髪に、切れ長の目からのぞくコバルトブルーの瞳。
端正に整った顔に豊満な胸。
そしてカリスマ性溢れるオーラに、冷静沈着な性格。俺様な性格だって、彼女にかかればたちまち長所になってしまうのだから驚きである。
なにもかも狼とは反対だったが、彼女は狼のことを気に入っており、狼も彼女のことが好きである。
「よっ、と…」
着地した先は見慣れた彼女の執務室。
いつもならばこの瞬間で彼女に抱きしめられるのだが、今回はそんなアクションがない。
不思議だ。
首をかしげてくるりと執務室を見渡すも彼女の姿は見えなかった。
さてどうしようか。
依頼主に合わなくては仕事のしようがない。
少し悩んだ挙句、狼は執務室を出て彼女の寝室を目指すことにした。
いつまでも個々にとどまっていても仕方ないし彼女の寝室ならばいままで何度も行ってるし、顔も覚えられているから問題ないだろう。
そうと決まればさっさと彼女に会いに行こう。
ただの扉なのにえらい装飾が施されているドアノブを回してドアを開けて、これまた装飾の施されまくった廊下に敷いてある赤じゅうたんの上を歩く。
彼女いわくこれくらいしないと他ファミリーに示しがつかないようだけれど、狼にとってはこんな中を一人で歩くことに多少緊張することは気づいてもらえない。
こうして歩いているだけでもあそこに置いてある高価そうなつぼを割ってしまわないか心配だというのに。
彼女は一言
「端金だ」
というだろうが。
執務室から離れたところにある彼女の寝室のドアノブを捻り、開けていく。
開けた先に見えるベッドに人ひとり分のふくらみがあることを確認した。
「なんだ、お前ここにいたのか」
中に入り、ドアを閉める。
ベッドに近寄ってふくらみを揺らし、起こそうとする。
しかし何故だろう。この気配は完全に起きているだろうになんで起き上がらないのだろうか。
「帝王、なんで寝たふりをするんだ?」
きょと、と彼女の名前を口にすると、ようやく彼女、帝王は枕から頭を上げ、狼を見た。
その顔は
「な、なんだよ、帝王。なんでそんな泣きそうな表情してんだよ」
いまにも泣きそうに歪んでいた。
いつもの自信たっぷり不敵な笑みではなく、主に演技でしか使われない帝王の表情である。
レアもレア。超レアである。
けれどもそのレアに巡り合えたことを喜ぶほど狼に余裕はなかった。
「…狼…っ!」
布団から腕を伸ばし縋りついてきた帝王のせいで、狼の思考回路は完全にショートしたためである。
「え。と…なにがあったのかオレにちゃんと話してね」
とりあえず泣きやむまで布団に引きずり込まれそのまま腕の中に閉じ込められることを許した。
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