掌編・短編小説集
2



「綾川、今度はミスしてないか?」
 横から掛けられたからかうような声に、私――綾川美咲は、手に持った書類から顔を上げる。
「う、あの時はごめん、谷口くん。でも、同じ失敗は繰り返さないよ!」
 それは少し前のミスに関してのこと。今回任せられた仕事と同じ内容だった。
 同期の彼――谷口くんにも関係のある仕事で、迷惑を掛けてしまった。付き合いの長い谷口くんはそれを心配してくれたのかも知れない。
「綾川って、いつも一生懸命だよなぁ。だから、あんまり要領良くないのに安心して仕事任せられる」

「なぁ、綾川。飲みにいかないか?」
「ごめん、用があるの」

「綾川ってさ、最近、毎週金曜日になるとやけに機嫌良くなるよなぁ。少し前まで落ち込んでたから心配してたんだけど、良かった」
 同僚にかけられた言葉に、私はきょとんと顔を上げる。
 同期の彼とはそれなりの付き合いになるから、多少は私の変化くらいは分かる。
「え、そう、かな?」
 .ぎくり、と心の奧が軋む。悟られぬように普通に返すけど。
 今日は、彼――雄司が家に来る日だ。だから当然嬉しくもなる。
「何かあるのか? 男でも、できたか?」
「う、ううん、別に」
 でも、彼のことは言えない。
 だって、私た
ちの関係は人に言えるようなものではないのだから。


「おかえりなさい!」
 ドアの鍵を開ける音に、寝そべって本を読んでいた私は、飛び起きる。
 一週間ぶりに会う雄司に、嬉しくてつい顔が緩む。
 確かにこれならば、職場でこういう顔をしているのかも知れない。
「ただいま」
 雄司は、そんな私に小さく笑って、キスをくれる。
 ただ触れるだけの、優しいキス。それでも、甘くて、幸せな気分になる。

「ねぇ、今日は何時までいられるの?」
「泊まってくよ」
「え、ホント!?」
 嬉しくて飛び上がるが、でも、本当に大丈夫なのかと不安になってくる。
 雄司は、私と違って独り身ではないのだ。彼の家には、彼を待つ人がいる。
「……お、奥さん、は?」
 口に出すたびに胸が痛んだその言葉にも、少しは慣れてきたような気がする。
 後ろめたさと恨めしさ。色んな感情が入り混じる。
「仕事が立て込んでるって言ってきた」
 悪いとは思いながらも、零れ落ちる笑み。
 私は、嫌な女だ。嫌なだけではない、酷い。
 自分の幸せのために、彼女を犠牲にしている。考えないようにしているけど、自分でもよく分かっている。
 それでも、雄司は私にとって何者にも代えがたいものだから。雄司のためにならば、なんだって背負う覚悟がある。

「ご飯出来てるよ。今日はね、雄司が大好きな美咲ちゃん特製エビグラタンなのですー。プリプリのエビとホワイトソースが絶品! あ、それとも先にお風呂入ってくる?」
 嬉しくて嬉しくて、声が弾む。
 ご飯の用意でも、お風呂の用意でも、すぐに出来るように私は立ち上がる。
「他に選択肢、ないわけ?」
「え、わ!?」
 でも、雄司は悪戯っ子のような笑みを浮かべ、そのまま私を引き寄せた。
 大きくて広い腕に抱きしめられて。雄司の匂いにほっとする。
「俺は、美咲ちゃんが食べたいです」
 耳で甘く囁かれて、力が抜けそうになる。
「……へんたい」
「変態で結構」
 背けた顔。その所為で彼の真っ正面にきた耳は、格好の餌食で。ぺろりと舐められ、私は肩を震わせてしまう。
 あとはもう、例によって例のごとく。いつも通り。私に拒絶することなんてできる筈もなくて。
 食事もお風呂も後回し。そんなものは、些細な問題だった。



2/7ページ

[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!