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めいん
月の女神、陽の男神
ごちゅーしん。♀▽▲ですよー



その月は女神でありました。長い銀髪とそれその物を思わせる、さえざえ光る金の瞳。何時なん時もほっそりしとした且つ優美な肢体に、刀を携えておりました。女神は地上の言葉ではいい尽くせない程美しい方であられましたが、悲しいかな口元に笑みを浮かべられる事はなかったのです。

その太陽は男神でありました。若木の肌の様な茶の髪と雄々しくもありながら、何処かなつこい色を残す鳶色の瞳を持っておりました。そして、いつも金色の頭巾を被り柔和な笑みを浮かべ世界を照しておられました。

ある夕暮れの事でした。男神が一仕事終えて宵の邸へ帰る所でした。務めを果たそうとふわりと天へ高く上がってきた女神を見て笑って挨拶したのです。女神は一瞥くれただけでしたがとてもとても嬉しくて、声すらも出なくなってしまったからでした。それからは何時の間に、挨拶が慣例となっていきました。最初面と向かって話すら出来なかった女神でしたが、徐々に言葉を返すようになっていきました。そして互いに天にある時はお話さえする程になっていったのです。二つの神は沢山沢山お話されました。女神は夜の静けさと光が落ちた海の儚く美しい様を話し、男神は昼の快い喧騒と己れを見ては手を振る人の子どもや頭を垂れる動物達の愛しい様を話ました。それらを聞くと女神は寂しい様な悲しい様な心持ちになってしまうのです。何故なら、女神に手を振る者は居ないのです。男神は旨を聞くと言いました。ならばワシがそなたに手を振ろう宵の口で暁の口で見送ろう、と告げたのです。女神は勝手にしろとそっぽを向いたのですが、実はあまりに嬉しくて赤く染まった白い頬を隠す為でした。

男神は女神へ手を振るようになりました。毎日毎日。晴れた日も雨の日も風の日も。勿論、雪の日でも。女神が見えなくても手を降り続けました。女神はその瞬間がお務めの中で一番好きでありましたが、一番悲しくもありました。暫しのお別れを意味するのでしたから。女神の胸にある闇が広がり始めたのもまたその頃だったのです。もっと陽の傍に居たい……女神は願いました。しかし願いは叶う筈もないのです。男神は光溢れる世界を司り、女神は闇が満ちる世界を司るのです。共に同じ世に存在できるのは陰と陽が融け合うほんの一時のみ。幾ら共にあろうと思っても叶いはしないと眷族である蝶や星に諭されても聞き入れません。逢いたい気持ちは募り募って、夜陰に紛れて男神は何をしているのかと捜しに行く事さえする様になってしまいました。邸へ帰ってからも男神は休む暇さえありません。様々な眷属達が入れ替わり立ち替わり尋ねて来て、まるで祭の様でした。稲妻だったり、隻眼の龍だったり、八咫烏と鶴だったり、はたまた、西に住む鬼も男神を慕って集いました。分け隔てなく礼を言い厚遇する精悍な面には変わらぬ笑みが零れていました。

女神は思いました。それを私にだけ向けて欲しい、それを私だけの物にしたい、いや……違う、違う。この陽、その物が欲しい……。とうとう女神の闇はどろりどろりと外へ熔け出してしまったのです。そうなってはもう誰も止める事は出来ませんでした。熔け出した仄暗い闇に取り込まれて、眷属は皆動けなくなってしまいました。そして、朔の晩に愛しい陽の名を一頻り叫ぶと抜き身の刃を食んで走り出したのです。女神は走って走って走り続けました。顔には笑みが浮かんでいましたが、誰もが目を背けたくなる様な凄絶なものでした。一足飛びで夜を抜け出して邸へ飛び込み、眷属達を引き裂きながら名を呼び続けました。男神の所へ行かせまいと龍や稲妻や鬼、八咫烏、鶴が寝所への道を塞ぎますが、あっと言う間に泥々とした闇にどっと呑み込まれてしまいます。けれども皆、もがきながらも、もがきながらも慕う男神の元に辿り着かせまいと必死なのです。

眠りに着いていた男神が妙な胸騒ぎを覚えて、起き上がったのはそんな時分でした。邸へ急げばあちらこちらで眷属達が、濃い闇に飲まれ苦しげに泣き叫んだり息も絶え絶えに埋まり込んでおりました。それはそれはもう地獄を下に見るような惨い物でした。この中心に変わり果てた女神が座り込んでいたのです。認めると、虚ろだった瞳に光が宿り口角を上げて見せました。眷属達は口々に女神に近付くなと言いました。しかし、男神は解っていたのです。女神が狂ってしまったのは己が原因であり、鎮めるには自らを捧げなければいけないと。制止を振り切り、男神は手を広げました。迎えに来てくれたのかありがとう。と、笑いかけたのです。その胸に女神は飛び込みました。抱き締めると唇を強く重ねました。男神の中にとろりと闇が流れました。陽を糧にする男神にとっては闇は毒なのです。そのままふっと意識を失った男神を抱き留めて、曉の邸へ連れ帰ってしまいました。邸の中で女神は眠り続ける男神を、ずっとずっと愛でました。暖かい体に己の冷たい体を寄せて子守唄を細く細く唄っていました。


月も陽も出ない真っ暗な夜が永く永く続きました。太陽が無ければ草木は育たず昼を生きる動物は何も出来ません。やがて、動植物がはたはたと死に絶え始め、人も酷く闇を恐がり外へ出ようとしません。これを見ていた天に住まう裂界武帝と大地の奥底に住まう第六天魔王は地上を憂いました。お互いの眷属である月と太陽が互いに昇り合わない限り、世界はやがて端から少しずつ蝕まれ最後には跡形もなくなってしまい、ついには闇ばかりの世界になってしまうのです。やがて、曉の邸へ二柱の神が顕れました。邸は荒れ果てて美しかった往時を偲ばせる物は何一つありませんでした。また屋内には眷属達が消滅する事すら出来ず、ゆるくゆるくのたうちまわっておりました。あまりに惨い様に二柱は胸を痛めながらもゆっくりと寝所に歩みました。果してそこには月と太陽が共に在りました。天上には満天の星が散らされ、厚い御簾の先には薄い絹が垂れ静かに静かに揺れています。その先に男神を腕に抱きながら女神は喉を震わせておりました。一瞬、二柱の足がひたりと止まりました。

どうしてかって?

それは歌があまりにもの悲しかったのもあります。けれども、それ以上に何処か空恐ろしい程に女神が妖しい美しさを湛えてていたからに他ならなかったのです。また、力なく身を任せる男神も平生の雄々しさや明るさは成りを潜め、下された茶の髪や頬や首筋に充分な艶を残して妙に言葉を失わせるのです。
二柱は女神に話し掛けました。地上はお前と陽が昇らぬ為に、闇だけの世になってしまった。務めに戻り動植物達に安寧を与えておくれ。早く務めに戻らなければ世界は崩れ、お前達も消滅するであろう。と、かいつまんで話すとこのような事を仰られました。しかし、女神は頑として聞き入れようとはしないのです。折角陽と常に共に一つにあれるようになったのです。女神には男神しか必要なかったのです。地上がどうなろうと関係ありません。私には陽がいればいいのです。世界が消え去った後も陽と共に尽きるのならば本望なのです、と繰り返すばかりでした。二柱はそんな女神にほとほと困り果ててしまいました。そこで、第六天魔王は男神を指差して、共に消えると言うならば止めはしない。しかし、主が消える前にこれはなくなるであろうと告げたのです。


そうなのです。闇を受けた男神の体はゆっくりゆっくり蝕まれていたのです。本来ならば明るく輝いているはずなのに、足先から指先からずんずん黒ずんでいっているのです。穢れが全身に拡がれば消えてしまう。火を見るより明らかな事でした。女神は悩みました。共に果てるならば本望と二柱へ宣った気持ちに嘘はありません。しかし、男神が先に消えるのならば話は別です。女神は男神を大変愛していましたが、消滅によって永遠に自らの手中にと思う程退廃的な愛情を持ち合わせてはいませんでした。寧ろ全く逆の思想を持っていたのです。そこではたと女神は気づくのです。己が為した所業を。地上にもたらした結果を。濃密な闇は急にさぁと取り除かれました。後に残った女神は美しい金の瞳から一粒だけ、涙を落としました。涙は男神の髪をぱちりと滴りました。そこへひんやりとした口付けを一つ優しく落としました。

そして、神々によって太陽と月は生まれた時と同じく二つに戻されました。闇を祓われた太陽は随分と床に臥せっておられましたが、めきめきと力を取り戻して朝と昼をまぁるく明るく照らす様になりました。月も謹慎を言い渡されて、永らく邸に籠っておられでしたがようやく禁を解かれてぴしりと冷たい光で夜を照らされ始めました。けれども、女神は長く美しかった御髪をばっさりと切られてしまいましたし、もう男神とは目交ぜすらされなくなってしまいました。第六天魔王と裂界武帝が通ずる事を固く戒めたからもありましたが、目を合わせてしまえばまた前のような惨事を起こしてしまうのを互いに恐れていたからでした。

境に、男神は物思いに耽るようになりました。宵の邸に様々な眷族達が尋ねて来ても、どんな素敵な贈り物を贈られても笑みにはいつものこちらまでほわりと温かくなるような力がありません。何処か淋しげな、苦しげな笑みなのです。気に病んだ眷族達が尋ねるも、何でもないとだけ告げるのです。それから幾らも経たないある日、宵の口に邸へ帰らずに男神は自らの主である第六天魔王の元へ足を運んでいました。女神の闇より濃い、くたくたと泡が上がりそうな闇の中を苦心しながら進みました。辿り着いた先で魔王は陽の古い名を呼び歓待します。男神は丁寧に挨拶した後に、こう話しました。某は近頃おかしい心持ちなのです。気付けば月の……女神の事ばかり考えているのです。想えば想うほど平らだった内が掻き乱され、務めも満足に果たせません。事のあらましを聞いた時には驚き悲しくも思いもしましたが、今はひたすらに逢いとうて逢いとうて堪らないのです。言葉の一つも掛けてみたいのです、胸に手を当てて言われるのです。そうです。真実、男神も女神を愛していたのです。

思いの丈を訥々と語った陽は押し黙りました。どうせ、叶わぬ願いなのです。自らの気持ちを打ち明けて、この釈然としない塊の置場所を見つけたいばかりなのでした。魔王はたっぷりと時間を置いてから言を発しました。ならば、何ゆえ在る?何ゆえここで地に臥せる?留まるならば、さもあらればあれ、謎掛けのような言葉を残されました。それを聴くか聞かないかの内に男神は平伏していた体をがばりとあげ、喜色を満面に浮かべました。感謝を延べ場を丁寧に辞し、走り出しました。走って走って雲一つない月の元へ駆け付けました。

驚きながらも女神は身動ぎはしませんでした。外耳に届く言は十中八九、叱責や謗りなのです。せめて真正面に受け止めるのが贖罪であると正面に男神を見つめたのでした。すると、どう言った風の吹き回しか少しばかりはにかんで、髪を切ったのか……良く似合っているよ、とないつもの優しい暖かい笑みを女神に投げ掛けたのでした。余りの範疇外の様に女神は髪を振り乱して……っ馬鹿者!叫んで男神へ飛び込んでいったのでした。

こうして、二つの神はまた一つになりました。これを眺めていた二柱の神は安堵したように見合せて、薄い闇の中に月と太陽を隠しました。裂界武帝にも男神の上申が伝わっていたのです。想いが同じならば誰が其れを押し止めましょうか。惹かれ合うならば尚の事。逢えぬ時が苦しいのならば互いの上に幸福と安寧があればと願えばいいのです。やがて月と太陽は離れましたが、面には別離の為に滲むはずの憂いはありませんでした。逢いたいと想えば触れたいと想えば通い合えるのです。何より気持ちが重なっているのですから。男神は手を大きく振りました。女神はそれを見て微かに笑み綻んだのでした。

そうそう、その晩の月は橙がかった温かい色だったそうですよ。



支部から転載。おとぎ話風が好きなんですよね〜。

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あきゅろす。
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