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水平線に涙する


目覚ましく疾く過ぎ去る


俺は鉤爪の無数にある龍を連想した

地表すれすれを飛ぶ龍がその腹にある鉤爪に
物を人を記憶を心を
引っ掛けて引きずり去ってしまう

二度と戻らない

龍の鉤爪は、どれだけ膨大にものをかけてもまだまだ飽きたらず
永遠に現世のあらゆるものをはみ、さらう

龍は玉を巻き付ける毛糸のように世界を巡る

何度でも何度でも

世界を巡る





変な寝相で目が覚めた。
右腕は頭に巻き付き、左腕は後ろ手に、何かを掴もうとしていた。足だけ妙に揃ってくの字だった。

変な夢を見た。夢の中の俺の考えることも変だった。普段の俺なら絶対に思わないこと。どっちかって言うと同居人が考えそうなことを考えていた。一緒に暮らして一年経つから、いろいろうつってきたのかも知れない。

しびれて冷たくなった右手をさすりながら、俺はため息をついて窓越しに窓を見上げた。
灰色の空。
曇ってもいないのに、灰色の空。
東京の空。
俺が生まれた山あいの村の空はもっと青かった。
彼は生まれた時から東京暮らし。灰色の空しか知らないのだろうか。
彼ならば、俺のふるさとの空を見て感動するだろうか。
あれこれの考えに真っ黒く塗りつぶされた彼の脳みそも、少しは晴れて澄むんだろうか。


また、
変なこと考えた。




「いつまでも寝てんじゃねえよツバキ」

いつの間にか枕元に立っていたフジに、頭を蹴飛ばされた。軽蔑気味に見下ろす視線と鈍い痛みに、思わず舌打ち。

「いてえな。いつ帰ってきたんだよ」
「今だよ。ドアの音聞こえなかったのかどあほ」

言いながら彼はキッチンに消える。
冷蔵庫からペットボトルの水を取り出して直接飲む様子が、音だけ伝わってきた。キャップを開け閉めする音がやけに騒がしい。
朝帰りのくせに元気だな。

俺はまだ体を横たえたまま、ぼんやりと彼が振りまいて行った残り香を知覚した。

知らない香水。

「フジ」

あ?
言いながら彼が戻ってくる。シャワ-を浴びるためか、玄関の洗濯機の前で服を脱ぎ始めた。

「いつから男を好きになったの」

ジーパンに手をかけた彼の動きが、一瞬、一瞬だけ、止まった。

「…別に。てめえにやられすぎて慣れただけだ。男なんか好きになるわきゃねえっつの」

フジはため息混じりに言って、同時にGパンがするっと足首まで降りる。

俺は布団から抜け出して、彼の足下ににじり寄った。冷えた床に座り込んで、目の前のトランクスのゴムに指を引っかけた。
彼は無言で俺を見下ろす。その視線を受け流して、俺はゴム痕と内出血のある腰を見つめていた。

「何してんだ変態」

冷ややかな彼の声。

俺と彼の関係は恋人とも友達とも言えない。
同じ部屋に住み、たまに飯を食い、俺がほしい時にはセックスして、そうじゃない夜、彼はふらふら違うところに眠りに行く。
俺はおかげで色んな香りを知っている。彼がいつも違う香水を持ち帰ってくるから。
甘ったるく媚びる香料、女の香水は嫌いだ。

けれど今日のにおいは違う。気取った高級感の、スーツを着た男がつけるような。

最近は彼が夜明けに俺のにおいをまとうことは少なくなった。
彼自身のにおいは、俺の布団にいつまでも消えず、残ってるのに。

「なんで抱かれたわけ」

腰骨についた歯形。肋骨の辺りに爪痕。
彼が入れられる側だったことは、容易に察せられる。

「だから、慣れたんだって。誰のせいだと思ってるんですかぁー。離せよパンツ、洗うんだから。それともオカズにすっか?」

ギャハハッ、下品に彼は笑う。

彼が言ってることは嘘じゃないとは思う。
アナルセックスに前ほど抵抗はない様だし、突っ込む側専門だったフジがケツで快感を受け入れるようになったのも、俺は勿論気づいてる。
けど、フジから求められたことは、ない。

セックスは性欲処理だ、って、頭の中哲学や計算式や無駄な知識でいっぱいの彼は言ってた。
気まぐれに女を抱いて男を抱いて、自分が抱かれるのは俺がバカみたいに彼を欲しがったから。軽蔑が嫌悪を上回ったから。

他の誰がそんなに彼を欲したというの?

「いらないよそんな汚ねえ下着」

引っかけた指で、彼の下着を引きずりおろした。
途中で皮膚を傷つけたけど気にしてられない。
頭の上から彼の憎悪が降ってきたけど気にしてられない。
俺は何を言わずに緊張したケツに舌を寄せた。
吐き気がするような白い苦味を舐めとった途端に、前髪を掴まれて引きはがされた。

「やめろツバキ。風呂入んだよ俺は」
「嫌気が差すのね」

はぁ?
彼が声を上げるか上げないかのうちに、ぞろりと垂れた長髪を思いっきり鷲掴みにした。
彼の顔が痛みにゆがんで、前髪を掴む力がゆるんだ瞬間、俺は立ち上がった。
彼が声も出せなくなるほど、髪をギリギリと引き上げる。それを犬のリードみたいに引っ張って、風呂場に無理やり引きずり込んだ。

季節柄床は震えるほど冷たい。
Gパンと下着を両足首にまとわりつかせた彼は、入るなりバランスを崩して床に倒れ込んだ。裸の体が床や壁にびったりついて、悲鳴が上がった。

俺はシャワーの蛇口にのばした自分の手を、ぼんやりと眺めた。
ダメージボロボロの長髪が、数本絡みついていた。脱色されているけど根本は黒い。
こんなに黒い部分、長かったっけ。
思いながら、蛇口をひねる。

「冷ッてえ! やめろツバキてめ、クソ! 殺すぞ!」
「すぐ暖かくなるよ」

掴みかかろうとする彼の腕をバシバシ払っていると、やがて水はお湯になり、うっすら湯気が立ちこめ始めた。
シャワーの勢いをゆるめて、彼の肩に緩やかにかけてやる。
彼は攻撃を止めたけど、殺気のこもった目で俺を睨みあげている。
数秒間、静かな空間に佇んだ。

「何がしてえの」

ボソッと彼が言う。

「わかんね」

ぼやっと俺が返す。
何でこんなに乱暴にできるのか、自分でも不思議だった。
そもそも俺は動機というものを考えたことがない。
ただ東京にきてただ彼と住み、ただ彼を抱きたかった。なぜ抱きたいのかすら、考えたこともなかった。
考えなくても時は進んだ。
俺が動かしたものも放置したものも、時間が押し流してくれて、世界は勝手に変わっていった。彼、フジだって。

かつて俺に依存していた彼は、灰色の空虚に飲まれて死んでいく。

頭の中に言葉が流れた。灰色の空虚って何だ。

「フジ。ベランダで泣いたとき、覚えてる? 怖いって泣いたとき」
「…覚えてる」
「あの時怖かったものは、まだ怖いの」
「…忘れた」

あの時のような涙を、彼はあんまり流さなくなった。
まどろむような時間は、どこか永遠だと信じていたのに、何もしないまま薄れて消えた。
そのことが悲しいのか寂しいのか、やはり俺にはわからなかった。

「痛えんだけど」

シャワーを当てている彼の右肩が赤くなっていた。言われて俺は左肩に的を変えた。

床から天井までもこもこと湯気が膨らむ。
服を着たままの俺の背中に汗がにじみ始めた。

何だか俺は泣いていて、立ってるのがバカバカしくなってしまって床にへたり込んだ。
だらだらと床にお湯を吐き出し続けるシャワーが、突然俺の手から奪われた。彼が動くのを、床メインの視界の隅で見る。

昨日の夢のことを考えていた。
龍がさらっていく。
俺のちっぽけな思考も。欲望も。彼の原石だった感覚も。曖昧で絶望的な許しも。

龍なんて、いないって、誰かに言ってほしいのに。

「ツバキ」

彼が呼んだ。
俺はゆっくりと顔を上げた。

彼の複雑そうな顔が一瞬見えた。頬に張り付いた髪の先から、水滴が滴っている。
お湯に塗れてもひび割れている唇に、噛みつきたいと強烈に思った。

フジ、と呼びかけたとき、目の前にシャワーが現れて、ざっとお湯が噴き出した。


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