その五
至極幸せそうに顔を緩ませる男と、不満そうな顔の少女。
対称的な二人の間を、白い湯気が不定期に揺らいでいる。
「いや〜。噂通りいいお湯じゃないの」
「そうですねー」
まったく棒読みの名前の言葉にも、青雉はニコニコと嬉しそうな表情を隠さなかった。
「あららら。名前ちゃんったら、こんな素敵な温泉にこんな素敵な男と二人っきりで入ってるってのに、ご機嫌斜め?」
「そんなことないですよー。湯加減はちょうどいいし、お肌はさらさらですし、最高にいいお湯で満足してますよ。ええ。邪魔な存在が一人いなければ」
「まあまあ。そんなこと言わずにもっと近くに寄りなさいな」
「っ!絶対却下です!」
手を広げて名前を呼びよせようとする青雉に、名前はきっと胸元のタオルを強く引き寄せた。
どうしてこのような状況になったのか。
それは、遡ること十分前。
「……今、なんて言いました?」
「だから、温泉は貸し切りだから」
「そこはいいです。そうじゃなくて」
「ああ、一緒に入る、ってとこ?」
「そうですよ!何で私が大将と温泉に、」
「名前ちゃん、名前」
「っ!何で私がクザンさんと温泉に入らなきゃならないんですか!」
だん、と興奮した名前がちゃぶ台を叩くと、湯呑みの中のお茶が波打った。
青雉はそれを横目で見ると、更に言葉を紡ごうとした名前の口元にそっと指を添えた。
突然のことに驚き固まる名前に、彼は留めの一言を投げ掛けた。
「名前ちゃん、い・つ・つ・め」
「っ!?」
「『一緒に温泉に入ること』これがおれからの五つ目のお願いね」
「なっ…!?」
ニッコリと微笑む青雉の言葉に名前は呆然とするが、その意味を飲み込むと顔を真っ赤にした。
「さ、最初の約束忘れてませんか?!」
「約束……?」
「っ、へ、変なお願いはしないって……」
「全然変じゃないでしょうが。せっかく二人で来たんだから、一緒に入りましょうよ。あ、なに、それとも名前ちゃん、何かそっちのこと期待してた?」
「なっ!?ち、ちがいますっ!」
「大丈夫。風呂は貸し切りなんだし。おれ達以外は誰も来ないよ」
「けどっ」
どうしても納得出来ない名前だったが、青雉の次の言葉で彼女は絶句しながらも頷くしかなかった。
「あの時おれの誕生日祝いたい、って名前ちゃんの言葉、あれ、嘘だったの?」
「っ!!」
「それとも、名前ちゃんって簡単に人との約束破れちゃう人だったんだ……」
「っっっ!?」
「あーあ…同じ正義を背負ってる海兵がそんな」
「っわかりましたっ!入ればいいんでしょう!一緒に入れば!」
こうしてまんまと青雉の口車に乗せられてしまった名前は、彼が密かに後ろでガッツポーズを作っていることも気付かずに、顔を真っ赤にしながら風呂に入る準備を始めたのだ。
「…………なんか、今思うとすっーごく理不尽な気がする」
冷たい外の空気に肌をさらすうち、段々と思考が落ち着いてきた名前がボソリと呟く。
「うまく嵌められたっていうか、してやられたっていうか」
「え、何が?」
とぼけた顔をする青雉の表情は、自分が確信犯であることをありありと現していた。
相手を煽り興奮させ、正常な判断力を奪う。
更に、以前に自らが言った言葉の真意と、名前の海兵としてのプライドに触れることで、じわじわと罪悪感を植え付け、選択肢を一つに絞らせる。
何気ない会話のようだったが、先程のことはすべて青雉が名前の性格を知った上で仕組んだことだった。
名前はなんでもないような顔をする青雉を恨めしげに見つめる。
流石海軍大将、普段飄々としているくせに、こういう他人に対する心理戦は大の得意技なのだ。
「名前ちゃん」
「何ですか…って何か近いです」
ジリジリ、と近づいてくる青雉に、名前も同じようにジリジリと後ずさる。
しかし、そこは狭い湯舟の中。
伸ばされた青雉の長い腕に、名前はあっさりと捕まってしまった。
というか、能力者であるはずなのに妙に元気すぎる、この男。
「っ!!な、なにするんですかっ!」
タオルを巻いた名前を楽々と持ち上げると、青雉はその細い身体を胡座をかいた自分の上に跨がせた。
「っっっ〜〜〜!!?」
「名前ちゃん、捕まえた」
心底嬉しそうに微笑む青雉は、名前が抵抗するよりも早くその細い腰に手を回した。
「っ!離してください!降ろしてください大将!」
「えー…ヤダ」
「ヤダってあんた!」
「あんま暴れない方がいいよー。タオルはだけちゃうから。おれとしてはおいしいけど」
「っ!?」
途端タオルを抑えおとなしくなった名前に、青雉は気をよくする。
「ううー……変なことしないって、言ったじゃないですかぁ…」
「(かーわいい)だから変じゃないって。スキンシップ、スキンシップ」
「うう…大将の馬鹿ぁ」
動くと肌と肌が触れあってしまうため、下手に動けない名前は、胸元を抑え縮まる。
「……ていうか名前ちゃん、三つ目のお願い忘れてる」
「み、みっつめ……?」
「名前で呼んで、って言ったじゃない」
「っ…!」
青雉は名前の腰を引き寄せ、真っ赤になった耳元にわざとらしく囁く。
「名前ちゃん……」
「やっ、耳元だめっ」
「ん……だったら、ちゃんと、」
「っ!!っク、クザンさん…」
「………………」
「……?クザン、さん?」
急に黙ってしまった青雉に、不安になった名前はそれまで俯いていた顔をあけ青雉のほうを見た。
背丈の差があるため、必然的に名前は青雉を見上げることになる。
つまり、上目遣い。
名前は気付いていないが、青雉の位置からだと、彼女の少し紅色にほてった白い肌と、タオルの隙間から谷間がよく見えるのだ。
「ど、どうしたんですか、クザンさん」
黙ったままじっと自分の方を見つめる青雉に、名前は更に彼の名前を呼ぶ。
「…………名前ちゃん」
「な、なんですか?」
「…………勃っちゃった」
「っっっ!?!?!?」
「ほら」
「っっ!?」
そう言うと青雉はグイ、と名前の身体を引き、二人の間の距離をゼロにする。
密着した肌と肌。
例の部分は腰に巻かれたタオルで直接的にはわからないが、それでも意識してしまう。
「ほら、ドキドキしてるでしょ」
「く、くくくクザンさんっ!!」
「あー名前の身体やーらかくって気持ちー」
「っ!はなっ!離してくださいっ!」
「名前、可愛い……」
「っ!?やっ、な、どこ触って」
「名前……」
青雉はふと目に入ったうなじが赤く染まってるのを見て、今すぐ名前を押し倒したい衝動に駆られその白い肌に触れる。
青雉の細長くかくばった指が肌を滑るたび、名前の身体がビク、と反応した。
「やっ…クザンさんっ」
「……おれってかなり我慢強いタイプだと思うのよね」
「な、なにいって……」
「まあ、今日はこのくらいで勘弁してやるか」
「っっっ!??」
そう言って青雉は、その白く艶やかな肌に唇を押し付けた。
わざと水音をたてながら、ねっとりと嘗めあげる。
最後にちゅ、と音を立て名残惜しげに唇を離すと、青雉は名前の様子を伺った。
「あらららら。反応がねぇと思ったら…ちょっといじめすぎたか」
自分の肩に頭を預ける名前の目は閉じられていて、どうやら気を失ってしまったらしい。
温泉に長い時間浸かっていたのもあるのだろう。
青雉は完全に自分に身を任せている名前と、その首元にたった今自分がつけた印を見て微笑んだ。
お願い、いつつめ。
『一緒に温泉に入ろう』
(予想以上の収穫に、自分の理性があとどれくらいもつだろうかと不安になる)
(同じくらい、愛しいという思いが降り積もる)
(まあ、部屋も同じなんだけどねぇ…)
*END
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