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矜持と傲慢 下 (HQ:影日)
日向が行方不明になって、二日が経った。
その間、部活は行われていたが、全員身が入っていないのは明らかだった。
特に影山は酷かった。
トスが荒れているだけではなく、四六時中何かを捜すように四方八方に視線を投げている。
その『何か』が、何であるかわかるだけ、澤村や菅原は辛かった。
普段の生意気な口の悪い後輩が、この時ばかりは年相応に幼く、弱々しく、痛々しかった。
しかし、誰もどうすることも出来ず、深い無力感に苛まれながら白いボールを追うのだった。
その夜、止めていた息を一気に吐き出すように、影山は勢いよく目を覚ました。
自室のベッドの上で、荒い呼吸を繰り返す。
背中に湿りを感じる程に寝汗が酷く、胸が苦しかった。胸元のシャツを鷲頭かんで呼吸を整えようとする。
「………日向」
影山は上着を引っ付かみ、自室を後にした。転げるように自宅の階段を駆け降り、外に出る。冷気が影山を刺すように襲ったが、まるで感じない。影山は自転車に跨がった。
*
体育館の扉を抉じ開けるように、雪崩れ込むように影山はコートの中央まで駆けて足を止めた。
目の前には真っ暗な中で月明かりに照らされるネットとポールがあって、そこだけ白く発光しているようだった。そんなわけないのに。
影山は吼えた。
決して高くない、けれど身体の奥から発せられた音に体育館は妙な雰囲気を帯びた。
叫びが途切れてから、影山はネットを睨んだ。そして問いかける。
「どういう罰だ?」
皮肉っぽく、影山は口角を上げた。
「俺のせいか?でも、そうだとして……てめぇに何の関係があるんだよ?」
無意識にぽたりと、涙が頬を伝う。それを拭いもせず、影山は激昂する。
「ましてや日向に何の関係があんだよッ!!」
糾弾がタガを外したように、影山の涙腺を決壊させた。ぼたぼたぼた、涙が落ちるように、影山の身体も重量に従うように崩れ落ち、蹲った。
「……三日も耐えられない…」
ましてや、このまま日向がいない日常に戻るなど不可能だ。
「返せッ!!日向を返せよッ!!」
突き刺すように冷たい体育館に、影山の悲痛で切実な声は反響し、ゆっくりと凪いだ。
体温を奪っていく程に冷たい床に影山はしばらく蹲っていた。まるで床と接着している銅像のように。
何の変化も訪れない数分の後、影山はおもむろに上体を起こして上着のポケットからケータイを取り出した。アドレス帳から目当ての人物の名前を見つけると躊躇なく、発信のボタンを押した。
「キャプテン、お願いがあります」
*
「わかってると思うが、これはバレたらヤバいぞ」
「はい」
澤村の緊張した声に影山は空気を確かめるようにボールをつきながら、抑揚もなく返した。
澤村は念を押すようにつけ加える。
「一週間の部活動停止…いや、最悪大会出場停止になるかもしれん」
影山は頭を振る。
「日向がいなければ、インハイなんて行けません」
明かりのついた体育館には全バレー部員が集結している。さらに日向がいなくなった試合と同じ配置についていた。
「あの時のように試合をします」
影山の提案に澤村は当初、聞く耳を持たなかった。だけど当然訊かなければならなかった問いに対する返答に、結局バレー部員を集めることにした。
『何の為にそんなことを?』
『日向を取り返す為に』
澤村はその時のことを思い出しながら、更に問う。
「条件は日向が消えた時と変わらない。……本当にこれで日向が帰ってくるのか?」
「いいえ、変わりました。…少なくとも俺は」
影山の言っていることが澤村には理解出来ない。しかし、影山の口調から日向の失踪について思い当たる節があるのだ伺えた。なら何故それを早く言わないのかと思ったが、おそらく言葉では説明出来ないのだろうと結論付けた。大体、日向が消えてから影山を誰が想像出来た?
思いつめたように一心不乱に日向を捜し回る影山を、苦しそうにバレーをする影山を、コートの中で迷子のように突っ立ていた影山を、誰も予期していなかった。
結局澤村を始め、烏野高校排球部員一同は影山の、馬鹿馬鹿しい賭けに乗ったのだ。
日向と、影山が心配だったから。
そして試合は開始する。
試合に入ってしまえば、全員がバレーに夢中に、そして真剣になった。ただ、深夜の体育館の中でする試合はどこか静謐で、普段とは違う雰囲気を持っていた。
そうこうしている内に影山のチームは一人足りないこともあり、やはり点差はどんどん開いていった。
それでも全員、黙ってバレーを続けた。影山の目から光が失われていなかったからだ。
そして第二セットも終盤、影山が動いた。
澤村のレシーブがぶれて、影山のいる位置から大きく逸れた。しかし、影山は諦めなかった。
無理な体勢から、地を蹴る。
部員はさすがに無理だろうと思った。万一そこからトスを上げることが出来ても、そのトスに反応して動ける人間がいないだろう、と。
いや、いる。
アイツなら、この無茶なトスにも反応出来る。そして影山の身体は、指先は、アイツの高さを、タイミングを、しっかりと記憶している。
そう、記憶しているのだ。
三年契約をしているものだ。部の全ての人間と。
日向が失踪するまで、影山はそう思っていた。
しかし、そうじゃなかった。
確かに日向とも、他の人間ともいつか別れる日が来るだろう、遅かれ早かれ。
でも、それで終わりではないのだ。
いつかセッターではなくなる日が来るだろう。そんな日を今の影山は想像することも出来なかったが、それでもただの影山飛雄になる日は、来る。
その時、確かに影山飛雄の中に彼らは残っているのだ。
身体も脳も、関わった全ての人の痕跡を残しているのだ。
代わりの利く人間なんていなかった。
ましてや、日向の代わりなどいるはずもなかった。
日向がいない二日間、影山は今までにない苦痛を味わった。
トスを上げた先に誰も居ない、あの絶望なんて比じゃなかった。
寂しいとは、こうも沈痛か。
悲しいとは、こうも憂悶か。
怖いとは、こうも切迫か。
思い知らされた。
日向がいなくなって初めて、影山は思い知らされた。
あぁ、だから。
だから、日向を返せ。
俺には日向が必要なのだから。
確かに気付いたのだから。
「日向ァッ!!」
影山のトスの先に、日向は現れた。
軽やかに、重力を感じさせないように跳躍している。
日向の手にボールが吸い込まれる。一瞬の後、響いたのはスパイクの、床にボールが叩き付けられる音だった。
「オッシャ!!」
着地した日向が周りの静けさにも気付かず、スパイクが決まったことを喜ぶ。そして確認するかのように影山に顔を向けて―…影山の瞳に映った光に首を傾げて呟いた。
「…あれ?何で夜?」
語尾は潰れていた。
影山が押し倒さんばかりに飛び付いて、抱き締めて来たからだ。
日向はそれに訳がわからず暴れたが、影山が力を緩めることはなく、抵抗は弱々しくなっていく。
二人以外は動かなかった。動けなかった。そこにある特別な空気に触れることすら許されないかのように、見守った。
日向はおずおずと腕を持ち上げる。震える影山の背を、優しく撫でた。
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