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矜持と傲慢 上 (HQ:影日)
「もっと速く!!」
真っ暗な、それこそ永遠に明けない夜のような黒の世界で、がなるような声が聞こえる。
「もっと速く動け!!もっと高く跳べ!!俺のトスに合わせろ!!」
俺の声。
「勝ちたいなら!!」
あぁ、なんて独り善がりな声だ。
「……気は済んだか?」
ビクッと影山は震える。自分以外に誰かがいるとは思いも寄らなかったからだ。声は前方のずっとずっと奥の方から聴こえてきた。しかし、どれだけ目を凝らしても姿までは確認出来ない。
影山は声の主をずっと前から知っていると思った。己の琴線に触れる深く、重い声。しかし、はて誰だったか。
「貴様の声で、貴様のトスで、誰も彼もが離れていくぞ」
「俺の言う通りにすりゃ勝てんだよ!!役立たずなんていらねぇ!!どいつもこいつも使えねぇ!!」
あぁ、やめろ。止まれ。口を閉じろ。何度もそう思うのに、影山の口は止まらない。どうしては自分はこんなことを言ってしまうのだろう。
「……代わりなんかいくらでもいる」
吐息のような影山の呟きに、ふと奥の闇で小さく笑う気配がした。影山はぞわりと総毛立った。
「……弱いな」
眠そうな、退屈そうな声色とは裏腹に声の主はきっぱりと断ずる。
弱い?……俺が?
「俺は弱くなんかない」
「慢心だ」
「違う。事実だ」
「貴様の代わりなどいくらでもいる」
影山は喉をつまらせた。つぅーっと冷たい汗がこめかみを伝うのを感じる。
「代わりがいると思っている内は、貴様は永遠に上には行けぬ」
「…何を…言ってる?」
「貴様は誰よりも弱い」
怒気なんて生易しいものじゃない、何かとんでもない感情が孕む声に影山は動けなくなった。
「思い知れ」
闇に、堕ちる。
*
キュッキュッと床とシューズの裏が擦れる音が体育館に響き渡る。
いつもの練習風景が広がる。季節は春で、彼等は青く、そして吐き出す息は熱かった。
影山はタオルで額からこぼれ落ちる大量の汗を拭う。
バレーは、実にいい。
影山にとって、バレーとは物心つく頃には既に傍にいて、まるで親に手を引かれるように、導かれた行為だ。
そして今、この時、影山は世界で、人生で、最も満ちていた。
頼もしい先輩に、張り合える同級生に、自分を信じてくれるスパイカー。
それだけあれば、他に何が必要だと言うのか。
ちらりと影山は日向を見る。日向は頭を月島に肘掛けにされて憤慨している。でもきっと数秒後には笑って月島と練習しているんだろう。自分とは恐ろしい程に正反対で、だからこそパズルのように上手くハマる彼。しかし、このパズルには同じ型がいくつも存在するのを影山は知っていた。
高校の間は、きっと影山は日向とあるだろう。しかし、そこから先も一緒ではない。きっと、チームを成す度に自分の型にあったピースを見つけていく。
昨日のおかしな夢を、影山は思い出す。真っ暗な闇の中で何かと会話する夢。人ではない何かと。そうだ、あれは人ではなかった。そいつは何と言ったか。代わりしか見付けられない内は、貴様はどんな高みにも昇ることは叶わぬ、と。貴様は誰よりも弱いのだと。そう言った。
影山は頭を振る。馬鹿馬鹿しいと、心の中で一蹴した。
誰と組んでも、誰が相手でも、俺は強い。
影山はタオルを乱暴に投げ捨て、コートに踏み出した。
事が起こったのはそれから数時間後の練習中だった。5人ずつに別れて試合をしていた。日向と影山は同じチームで、つまり日向と影山の連携を強化する目的もある練習だった。
試合は接戦だったわけだが、第二セット途中で誰もが予想出来ないことが起こった。
それが起こった時、コートにいる全ての人間がよく理解出来ていなかった。
いつものように影山が上半身をバネのように捻りながら、一切の隙も無く、一分の乱れもなく、完璧なタイミングで日向にトスを上げた。美しいと形容してしまえる程の影山の手から、指先から、まるで精密機械のように正確なトスが繰り出される。
そのトスの先に日向が跳んだのを、誰もが瞼に焼き付けた。
焼き付けたはずだったのに。
影山のいる位置から、日向がスパイクを打つ瞬間、体育館の上窓から光が射し込んだ。影山は反射的に瞬きをしたわけだが、次の瞬間呆然とした。
日向が降りてこない。
詳しく説明すると、日向はもう空中にはいなかった。
コートにも、いなかった。
どこにも、いなかった。
日向はまるで風に舞い上がった木の葉のように、忽然とコートという世界から消えてしまった。
確かに影山のトスは通っていたのだと示すように、反対側のコートにボールと強烈なスパイクの音だけを残して。
*
当然、大変な騒動になった。試合中に、一人の選手が忽然と姿を消したのだから。
試合をしていた影山側のチームは皆、日向が跳んだのは見たが、逆光でスパイクを打つ瞬間は見えなかったという。反対側のチームは日向がスパイクを打った瞬間、ボールを追ったので、その後の日向を視線で追った奴はいなかったという。そして体育館の誰も、日向がどうなったか見た人間はいなかった。
嫌な予感がしつつも、始めは誰もが日向の悪戯だと考えた。ふざけながら体育館中に響き渡る声で、日向に投降を命じたりもした。しかし数分間部員の虚しい声が硬い体育館の壁に吸い込まれて、静まり返ると誰もがただ事ではない様子でお互いの顔を見合わせた。
「……日向が消えた…」
誰かがぽつりと呟いた言葉でその場は騒然とした。
とりあえず練習は中断し、バレー部全員で学校中を捜し回った。しかし結局、それも全て無駄だった。日向は見付からなかった。
最終的に澤村は顧問の武田に事情を説明し、校内放送を流したり、一縷の望みをかけて自宅に連絡したが、全て徒労に終わった。
夜も攻めてきて、さすがに部活動自体が中止になった。職員会議も行われて、武田は監督不行届きの責任を追求されるはめになった。
「ボゲ日向ァッ…」
影山は奥歯を噛みながら、述懐した。
部室ではとりあえず今日は帰宅を命じられた部員が着替えていたが、やはり空気は重い。
皆、狐につままれたようだったし、何より日向が心配だった。
澤村はそんな皆に激を飛ばし、とにかく士気を下げないようにした。
大丈夫、日向は帰ってくる。信じろ。
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