褪ロラ
11
がさりと葉擦れの音がして、躍り出た”影”の標的はまたしてもアキくんだった。
半歩だけ足を引いて、手首を翻す。剣先で中空に線を引くような、たったそれだけの動きだった。
一瞬で前足を失った”影”は、それでも尚牙を剥いたが、数歩退いたアキくんの喉元には届かなかった。
ナイフでも驚いたけれど、あんな細剣で物体を両断するなんて信じられなかった。本来なら、あの形状の武器は刺突を得意とする。切りかかったところで、深い傷を負わせることは困難であるはずだ。それが、一薙ぎしただけで獣の脚が宙を舞った。
ロヴィの言っていた通りなら、武器の強さはそのまま意思の強さだ。
アキくんはあの華奢な剣で、それでも”影”を切れると確信していたのだ。
小さな体と、たった一振りの細くて頼りない武器。
それでも、この場の圧倒的な支配者は彼だった。
「馬鹿、後ろだ!」
アキくんの背後から、もう一頭の獣が躍り出てきた。息を潜めて、いつの間にか忍び寄っていた伏兵だった。前方には、前足を失ってもまだ、後ろ足と頭部とで体勢を立て直した”影”がいる。前後に挟まれてはもう為す術はない――、僕がそう諦めかけた瞬間、エルドさんが手にした太刀を勢いよく振り被った。
黒い衝撃波が巻き起こった。振り抜いた大太刀の残像がそのまま黒い影になって、真っ直ぐに”影”に向かって突き進む。後ろ足に力を貯めていた獣を真っ二つに引き裂くと、それを見届けるより早くアキくんは体を反転させた。漆黒の細剣が、振り向きざまに獣の喉元を刺し貫く。深々と刺さったそれを手前に抜くどころか、もう一度強く押し込んで、アキくんはその細腕で強引に右へ押し切った。ぶちぶちと生々しい音を立てて、獣の首は胴体から引きちぎられた。
戦いは呆気なく終わりを告げた。もう”影”の気配は感じられない。
一頭は胸を刺し貫かれて。もう一頭は首を落とされ、前足のない一頭は頭から全身を縦に切断された状態で地面に転がっている。いずれも切断面からは少しずつ黒い靄が立ち上り、徐々にその体は結晶化を進めていた。
――黒い絵の具は、あらゆる色を混ぜて作るという。この光景は、その逆を辿っているかのようだ。一つずつ、黒に混ざっていた色が抜け落ちていき、最後にはどこまでも透明な結晶になる。まるで、色褪せるように。
「お、おい……。お前、それ……」
「……?」
アキくんの手首の辺りには、鋭利なもので切り裂かれたような傷が出来ていた。真新しい血が少しずつ滴って、手首から指先へと赤が流れ伝う。
「ああ……、怪我しちゃった。手当てしなきゃ……。面倒だな」
「面倒って、お前な……」
ロヴィはその横顔を固く強張らせて、二人を見ていた。
「ロヴィ、……ロヴィ。どうしたの」
「……。ああ、いや……」
つと目を逸らして、なんでもないと笑った。
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