[携帯モード] [URL送信]

褪ロラ
10

 もう一度、”影”は苛立たしそうに力任せの勢いで右の前足を薙いだ。完全に見切っていたかのような絶妙なタイミングで両足を踏み切って、ロヴィは”影”の大きな足に一瞬だけ飛び乗った。いや、膝を折り曲げたその両足がその感触を捉えた次の瞬間には、それを踏み台にして更なる跳躍を見せた。重力を振り切って頭上に飛び上がったロヴィを、影は為す術もなく振り仰ぐ。その無防備な肩をめがけてロヴィは左腕を大きく振りかぶると、落下する勢いに全体重を乗せて振り抜いた。

 「終わったな」
 「……すごい」

 普通ならきっと、こんなことはあり得ないはずだ。だって、あんな小さな刃物でこんな巨大な塊を両断できるはずがない。けれど、これは多分普通の戦いではない。彼の武器もまた、ただの黒いナイフではないのだろう。
 肩から真っ二つにされた”影”は、力を失ったように足を折り曲げて床に崩れ落ちる。ズンと腹の底に響くような重い音が、建物中に響き渡った。

 「……伊達にこんな生活を何年も続けてはいないさ」

 シャロンさんの淡々とした言葉は、僕の胸に確かな重みを持って響いた。


 **********

 地面に蹲り動かなくなった”影”は、虹色に煌めきながら徐々に色褪せていく。疎らに黒を残しながら結晶になっていく巨体と、無彩色の青年が静かに向かい合う。弾痕や切断面からは絶えず黒い靄が立ち上り、今やロヴィの体を隠すように包み込んでいる。闇色の装いが靄に融けて、次第にその底へ沈んでいくようだった。

 「あの靄って、確か体に悪いんじゃ……」
 「動くな。ここで見ていろ。あいつなら大丈夫だ」

 シャロンさんの言葉通り、次の瞬間嘘みたいに靄が消えた。今まで確かにそこにあったものが、瞬き一つの短い時間で跡形もなく消え去ってしまった。余りに現実離れした現象に思わず目を瞠って、しかしやはり靄など初めからなかったかのように視界は晴れている。
 残ったのはそこに佇むロヴィの姿と、完全に無機質な結晶になった”影”だったものの残骸。徐にロヴィは左脚を浮かせると、固唾をのんで見守る僕の前で結晶を蹴りつけた。
 否。それは、蹴るというほどの動作ではなかった。ただ、靴の先で触れただけだ。
 不可思議で、幻想的な光景だった。絶妙な均衡で保たれていた形が瓦解するように、ほんの一度の接触で結晶は粉々に崩れ去った。粉なんて言葉も、適当ではないかもしれない。質量も重力も、まるで感じられなかった。もはや埃や塵に等しいだろう。巨大な塊が一瞬で灰燼に帰したのだ。その異様なほどの脆さと完全な崩壊は、現実にそこで起きている現象だとは到底思えなかった。



[*前へ][次へ#]

10/12ページ


あきゅろす。
無料HPエムペ!