彼は新世界の魔王になる 5 俺は制服の中に携帯電話が入っている事を確認すると、稲葉達が互いに甘ったるい雰囲気の中で周りが見えていないうちに素早く寮を飛び出した。 できるだけ早く、稲葉達に見つからないよう走って校舎の最上階にある屋上へと向かう。 幸いなことに部活動が終わった後だったので、途中で誰にもすれ違うことはなかった。 静かに屋上の扉を開け、そのまま真っすぐフェンスへと近づく。 フェンスをよじ登り、あっさり乗り越えた後、俺は家族と入院中の親友へ向けて最後のメールを送った。 自分の部屋ではおちおち遺書すら書けなかったので、メールでしか俺の気持ちを残せないことだけが返す返すも悔やまれる。 本当はあんな奴のために自分が死ななきゃならないなんて嫌だ。でも、もうこの学園に俺の居場所なんてない。 親友のご両親の話では、退院次第彼は転校するそうだ。当然だ、稲葉みたいな危険な奴がいる学校に自分の子を置いておきたい親など何処にもいない。 父さんと母さん、妹はSOSを出した俺を救出しようと精一杯手を尽くしてくれたが、理事長の妨害によりそれも叶わなかった。 居場所も逃げ場も失くした俺に出来る唯一の抵抗、それは学園で俺の身に起きた真実を遺書という形で親しい人達に残すこと。 そして……―― 「礼一!? なっ、何しようとしてんだよ!!」 乱暴な音を立てて屋上の扉を蹴破った稲葉と、彼を追ってきた信者たちに俺は最上級の笑顔を向けた。 「決まってんだろ? 俺がお前らに殺されたことを証明するために……飛び降りるんだよ」 笑顔に反して吐き捨てた毒に、稲葉達の表情が凍りついた。 信じがたい言葉に会長が顔色を変えて叫ぶ。 「ふっふざけんな!! んなのっ、勝手にてめえが飛び降りようとしてるだけじゃねえか! 被害妄想も大概にしやがれ!!」 「被害妄想って、こういうのとか?」 薄く嗤って、見せつけるように一つ一つカッターシャツのボタンを外していく。 動かぬ証拠を稲葉の前に晒され、会長達は声を失くしていく。 胸元まで開けた時、稲葉の口元からヒッと引きつった声が漏れた。汚いものでも見るようにすぐさま眼を逸らす。 ハッ、さすがにここまでヤッてるとは予想できなかったか。自分からこうなるように煽っておいて、よくそんな態度が取れるもんだな。 「き……気持ち悪いっ」 思わず稲葉の口から洩れた本音に、俺は冷たく嗤った。久方ぶりに出た笑い声は、明るさなど微塵もなくどこまでも陰惨で冷え切ったものだった。 稲葉達はそんな俺を見て、怯えたように後ずさる。 そんな連中の姿に益々俺の口元は弧を描く。 はて、自分はこんな嗤い方をする人間だっただろうか? いや、そもそも自分は何故己のことを『人間だと思っている』のだろうか? はっと思考の海から抜け出す。 今、俺は何を考えていた? とうとう死を前にして気でも触れたか? まあ、それも悪くはないか。 横目に稲葉達の姿を捉えると、俺は何も言わず彼らに背を向けた。 あの煩い稲葉とその信者達も、さすがにこれ以上俺を追い詰めようとはしない。一様にどいつも顔面蒼白になっていたが。 「おいっ……待てよ……!」 いや、一人……俺の最期を邪魔しようとする奴がいた。 信者達の中で、一番俺を憎んでいたはずの会長だ。 長いザンバラな赤い髪を風に吹かれるままに任せ、とても焦った顔で俺をじっと見てくる。 「会長命令だ、今すぐ、こっちへ戻ってこい! 馬鹿なこと考えるな!!」 もう後ろを振り向くことなく、俺は会長の言葉を右から左へと受け流す。 ふと正面を見れば、山の向こうへ真赤な夕日が沈もうとしていた。空の色も常とは異なり、血を溶かし込んだように真紅に染まっている。 絶好の自殺日和じゃないか。ありがとな、神様。 どうやら最後の最後で貴方は俺に温情を掛けてくださるらしい。できるならこうなる前に、早く助けて欲しかったなあ……。 眼に薄く涙が浮かぶ。 これで本当に最後なのだと思ったら、自分の人生の無意味さに言い知れぬ悲しみが込み上げてきた。 こいつらに泣き顔など見られたくない。これはちっぽけな俺の最期の意地。 俺の人生を目茶目茶にした奴らに、死ぬまで弱みを見せたくなかった。 せめて顔面からぐちゃぐちゃになるよう、思い切り勢いをつけて飛び降りよう。 決心を篭め、軽く後ろへ下がる。 俺に聞き入れる気が無いとわかったのだろう。後ろから会長が走ってくる足音が聞こえた。 思えば俺がこの高校で頑張ろうと思えたのは会長に憧れていたからだ。 入学したての頃、不良達に絡まれてボコボコに殴られていた俺を、たった一人で助け出してくれたのが会長だった。 この人みたいに強くなりたい。頼られる人間でありたい。 そんな一心で勉学に、スポーツに武道に明け暮れた。でもいくら頑張っても中々筋肉がつかなくて、友人達に栄養取れってよくからかわれたっけ。 憧れが大きかっただけに、かつて俺を助けてくれたその手で殴られたのは辛かった。 もう心配いらないと笑い掛けてくれたその声で罵倒される度、胸が張り裂けそうだった。 でも、こんな辛い思いも今日で最後だ。 ごめんな、父さん、母さん、莉歌子(りかこ)。 そして時久(ときひさ)、今までダチでいてくれてありがとな。今まで、ほんと楽しかったよ。 脳裏に大切な人達の笑顔が浮かぶ。 幻の彼らに微笑むと、俺はその身を勢いよく空へと投げ出した。 背後で稲葉達の悲鳴が聞こえる。 そのまま来る衝撃を待ち構え眼を瞑っていた俺は――、突如下に現れた黒い穴の中へ知らず知らずのうちに吸い込まれたことに気付かなかった。 「嵯峨ァ――!!!」 この時、会長が俺の名を呼んでたなんて、きっと俺の幻聴……。 . [*前へ][次へ#] [戻る] |