古の恋人《13》* === 南大陸・南部 === 風は爽快に草原を駆ける。何も恐れるものはない。そう思って疑わなかった。なぜなら…自分には最愛の彼がいるのだから。 『お、トエさんの家が見えてきた』 ルーンは風から体を離し人型になると、ふわりと大地に降り立った。 『ここはいつ来ても静かでいいな』 トエ婆さんにも結婚の報告をしなくてはと、ルーンは駆け足で家に向かった。小さな一軒家の傍で一人の老婆の姿を見つけ、ルーンは笑顔で叫ぶ。 『トエさーん!』 だが、トエは振り向きもしなかった。 『トエさん、そんな所でどうし――』 トエの近くまでやって来たルーンは、一瞬漂った血の匂いに気づく。よく見てみると、トエの体は前かがみになって蹲っていた。 『トエさん!?』 ルーンが大声を出してトエの体を触る。手にまだ暖かい赤い液体が付いた。 『これはっ』 「ぅ……ルー……ン」 『トエさん!』 まだトエの息はあったが、正面には大量の血がへばり付いていた。その醜態に眩暈がするが、トエの肩を掴んで顔を覗きこむ。 『何があったんだ!? 一体誰に!』 「ル、アが……な」 『何!? どうしたんだ、トエさんっ』 「ルシアが、狙われて……」 そこまで言うとトエはがくりとうな垂れた。この時ルーンの手の中で、儚くも一つの命が消えた。 『トエさん……? トエさん!!』 必死に呼ぶが二度とその目が開く事はなかった。ルーンはきつくトエの痩せた体を抱きしめ、そっと地面に横たわらせる。 ― ルシアが狙われている ― トエは確かにそう言った。精霊の王ならその身を狙われる理由が判る。だが、何故村の老人まで殺さなくてはならなかったのか。ルーンはトエから目を離し、泣きそうになるのをぐっと堪えて立ち上がった。 『……ルシア』 異常な不安が襲う。ルーンは徐々に風を集め体に巻きつけた。そして、昼間にルシアが居る長老の家を目指し風を飛ばした。 === 精霊村 === ルーンの目に映った光景。それはルーンから声を奪った。雪が溶け、青々とした草原が広がっているはずの広大な敷地に、どれだけの命が失われたか分からない程流された血で、草原は真っ赤に染まっていた。 ルーンは震えていた。この恐怖と絶望に。そしてそこら中に放置された死体を見る。精霊村の住人全員が死んでいた。 『そんな……何で……っ!?』 大量の血の匂いに酔ったのか、気が動転して次の行動に移せない。 正しい判断も下せない。何がどうなっているのか。 誰でもいい、教えてくれと唸っていた。 『風の神! 風の神!!』 激しい混乱状態に陥ったルーンの元に、シルフ達がやって来た。 『シルフ……これは一体どういう事なんだ!?』 『それがっ……数時間前に突然兵士達がやって来て、村の人間を殺したの!』 『それから王が連れて行かれたわ!』 シルフは悔しげに叫んだ。シルフ等比較的弱い精霊は、直接生物に手出しできない。王を、ルシアを助けたくても見ている事しかできないのだ。 『どこ、だ? ルシアは』 『人間の城に連れて行かれたわ! 首謀は数十年前に滅んだティレニア王国の貴族達よ!』 ―ティレニアの貴族― 彼らは国が滅んでもなお、奴隷を敷いて自由気ままに過ごしていた。この精霊村は森で隔絶された場所の為、ティレニア王国貴族の牙にかからなかったが。 その貴族たちが、ルシアを攫った理由は一つ。 東西中央大陸に出来つつある列強国に対抗する力を得る為。 今までも何度かルシアの元に貴族共の遣いが来たが、ここまで強行手段に出たという事は恐らく、それほど追い詰められていたのだろう。 『シルフ、そこへ連れて行け!』 『はっはいぃ!!』 ルーンは暴風を吹き荒らし、シルフ共に渇を入れた。 シルフ共は一斉に飛び上がり、ルシアが連れ去られたティレニア貴族の所へ向かった。 ←前へ|次へ→ [戻る] |