古の恋人《08》 南大陸の南部地方には名も無い村が3つあった。だがそれらは一つに合体し、やがて「精霊村」と呼ばれるようになった。 精霊村の長は以前通り長老が勤めたが、長老の家にはいつもルシアとルーンの姿があったという。 精霊村の噂は各地に広まり、直に海の向こうまで伝わった。噂好きのシルフの仕業だろうと、ルーンが愚痴をこぼしていたらしい。 精霊の王は覚醒を伴ってその存在が周知のものになる。つまり生まれてすぐ精霊の王だと分かる訳ではなく、ある程度成長してから気づく方が多かった。 自分が精霊の王だと知っても、ルシアは何一つ変わらなかった。相変わらず畑を耕し、炊事洗濯は毎日きっちりこなし、そこらの主婦よりよく働いていた。 ルーンも精霊だ。 王の傍にいるのは当たり前。あの日から何度もルシアの家に足を運ぶようになり、ルシアも彼女と日々の小さな喜びを分かち合った。 名も無い村は名を持っても何も変わらなかった。変わったのは周辺の国々だった。 ちょうど西では新たな国が出来つつあり、それは中央、東大陸においても同様であった。 建国にあたり、指導者は絶対的な力を欲した。当然ルシアの絶大な力も。 何度も何度も精霊村に兵士が来たが、ルシアはどの国にも降らなかった。 どれだけ金を積まれても、どれほど素晴らしい名誉を与えられても、ルシアは強くあり続けた。 いつしかルーンはそんなルシアに特別な感情を持ち始めていた。 『そういえば、最近は兵士共も来なくなったな』 ルーンは畑の真ん中で、綺麗な秋空を見上げながら言った。 「そうだね、もうすぐ冬だからかな」 その畑でせっせと働くルシアが答える。 彼にとって兵士などどうでもいい部類に入るのだろう。 本当に、この男は鈍いのか懐が深いのか、ルーンにも分からなかった。 南大陸は比較的温暖な気候だが、一応四季はある。春と秋が長く、その分夏と冬は非常に短い。 大抵冬は2ヶ月ほどだが、それでもその間は雪が積もった。 「ルーンはいつも冬をどう過ごしているの?」 『別に何も』 「寒さは平気なんだ」 『耐えれん訳ではないが、大体は暖かい国へ渡る』 「あはは、渡り鳥みたいだね」 ルシアは無邪気に笑った。 鳥と同位に扱われ、ルーンはちょっとむすっとした。が、ルシアの笑顔に絆されてしまう。 「ねぇ、ルーン。今年はさ、一所に留まって冬越しをしてみない?」 『え?』 「いや、その……一緒に雪を見たいなぁと思ってね。どうかな?」 『ルシア』 ルーンは心の底から嬉しかった。 だがこの気持ちの高ぶりをどう表現すればいいか分からず、戸惑っていた。そんな風に慌てるルーンを見て、ルシアは優しい微笑みを見せる。 「ルーンは白くて綺麗だから、きっと雪が似合うよ」 『なっ! ばっ馬鹿者! からかうな!』 「あははっ、本当だってば」 『う、うるさいっ!』 ルーンは顔を背けた。異常に心が乱れていて、何故か息苦しい。 ―キレイ― なんて、言われなれた世辞の言葉。 それでもルシアが相手だと話は別だ。なんて事無い一言でも、その時見せたルシアの笑顔が頭から離れなかった。 ***** 紅葉も終り、森はじっと冬を待つ。精霊村の人々もまた、冬支度を始めた。やがて地草に霜が降り、漸く雪の季節がやってきた。 「今年はまだ雪が降らないね」 『いつもはもっと早いのか?』 「うーん、そうだね……去年の今頃はもう積もってたからなぁ」 ルシアは窓の外を眺めていた。ふと、隣に立つルーンと目が合う。 「雪の精霊とかいるのかな」 『さぁな、上の方から適当に落としてるんじゃないか?』 「え? 落とすって?」 『――――』 「……ルーン?」 聞き返すが、ルーンは答えない。なんとなく気にはなりながらも、また窓の外に視線を戻した。 冬には仕事は一時中断で、薄い壁から入る隙間風に耐えつつ冬を越す。ルシアの家もそう頑丈ではない為、やはり異常に寒かった。 ルーンは人間の服を着込み、小さい暖炉の傍で身を縮める。すると背中に毛布が掛けられ、振り向くとそこには穏やかな顔をしたルシアがいた。 2ヶ月の間、ルーンはルシアの家に泊まる。 別段ルーンは気にしなかったが、ルシアはやはり苦しくなる時が多々あった。 何気ない会話、不意に触れる柔らかな肌、自分だけを見つめる汚れない瞳に、ルシアの全ては奪われていった。 ←前へ|次へ→ [戻る] |