古の恋人《05》 「るしあー!」 名もない村の端で、子供たちがそう叫んだ。 呼ばれた男は笑顔で振り向く。 「あれ、君たちまた来たの」 「だってルシアのお話すっごく面白いんだもん」 「るしあー、また聞かせてー」 「はいはい、もうちょっとで仕事終わるからね。それまで遊んでおいで」 ルシアが言うと、子供達はそろって駈け出した。 その元気な姿を見つめる彼の目は穏やかだった、がどこか寂しそうにも見えた。 「ルーン」 その名を口にしたのはこれで何度目だろうか。それを数えると切りがなかった。 不思議な少女、ルーンとの突然の別れを、今でも鮮明に思い出す。 あの時、どうしてもっと強く引き止めなかったのか。 無理やりに仕事を手伝わせておいて、これ以上彼女に何を頼めるというのだ。 そう思ってあの時の出来事を忘れようとした。 だが、忘れるなど出来なかった。 日に照らされ透き通るように輝く金の髪に、白く細やかな肌。 不器用だが一生懸命な姿勢に目を奪われ、時折見せる強い眼差しにこの心の全てを奪われた。 ルーンは今まで出会った人間とどこか違っていた。 きっと自分とは出会うはずもなかった、特別な子なんだろう。 手の届かぬもの、追いかけてはならぬもの。 そう頭では理解しているつもりでも、気持が晴れることはなかった。 ***** 「ルシア! 大変よ!」 滅多な事など起こらないこの村に、慌てる女性の声がした。ルシアは手を止め、畑から顔を出す。 「どうしたんです? 猪でも出ました?」 「何呑気な事言ってるの! 長老が倒れたのよ!」 女性の声は畑中に響き渡った。 「長老が!?」 さすがのルシアも大声をあげる。そんなルシアを初めて見る女性は不意をつかれた。呆ける女性に向かって走り、肩を掴む。 「長老は今どこに!?」 「あ、今は村医の家に」 「わかった! ありがとう!」 素早く礼を言うと、ルシアは女性を放置したまま村医家に向かった。 「真剣なルシアっていいかも」 女性は惚れていたが、今が緊急の時だった事を思いだし、他の村人の所へ急いだ。 名も無い村は3つある。 西にルシアの住む村、東にトエ婆さんの住む村、そしてその中央にある村は比較的大きな村だった。 長老というのは中央の村の長のことで、ルシアも何度かお世話になっていた。今年で90を迎える、元気なお爺さんだ。 「長老ー!」 ルシアの慌てる声がして、村医の家からある男が顔を出す。 「あれ? ルシアじゃないか、どうしたんだ?」 「どうしたって。長老が倒れたって聞いてそれで……」 ルシアの事情を聞いた男は、一瞬固まり、すぐに大声で笑い始めた。 「あーはっはっはっ! 倒れたって、一体誰に聞いたんだぁ」 「誰って、え?」 「長老はぎっくり腰だよ」 一つの間。そして、 「えぇ!? ぎっ、ぎっくりって……なんだぁ」 ルシアは急激に脱力した。深い溜息が漏れる。対する男はまだ笑っていた。 「はははっ、まあ見てやってくれよ。結構痛そうだからさ」 そう言うと、男はその場を去った。ルシアは彼を見送った後、村医の家にお邪魔した。 中には数人の女性がいて、真ん中に腰を痛めて寝込んでいる長老の姿があった。ルシアが長老に声を掛けようとした時。 『ご老人、痛みはどうだ?』 「ああ、そなたのおかげでだいぶ良いわい。腰に効く薬草に詳しい者がいて助かった」 『いや、これは』 褒められたルーンは、少し照れを見せる。 その可愛らしい仕草が、目が、声が、ルシアを支配していた。 「ルーン?」 『?』 聞き覚えのある声で呼ばれて、ルーンはくるっと振り返る。その先に居たのは、紛れもなく自分の心を苦しめた男だった。 『!? ルシアっ』 ルーンは無意識に家を飛び出した。何故か、その場に居たくないと思ったのだ。 また離れ離れになる。 そう感じたルシアは、普段の彼から想像もつかない程の血相でルーンを追いかけた。 「ま、待ってくれ! ルーン!」 ルシアは名を呼び続けた。 ルーンは何度も立ち止まりそうになりながら、走るのを止めなかった。 ただ、本当に逃げようと思ったら、風になればよかったはずだ。 ルーンがそれをしなかったのは、もしかしたら。 「っルーン!!」 ルーンの腕がルシアの手に掴まった。 掴まれて離れなかった。 ルーンは無理やり抜け出そうとするが、今度は両肩を掴まれて正面を向けさせられた。 ルシアの顔をはっきりと捉えたルーンは、言葉を失くした。 「ルーン、なぜ逃げるんだ」 『――』 「……ルーン」 ルシアはそっと手を離した。 自由になったルーンは、それでも逃げはしなかった。 「ルーン、私は」 ルシアが何かを伝えようとした時。 遠くで女性の叫び声がした。 ←前へ|次へ→ [戻る] |