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42話:40 風の加護


優しく漂う懐かしい香りに、涙があふれて止まらなかった。

心が軋んで痛くてどうしようもない時、包んでくれたのは皮肉にも殺戮神と呼ばれ続けてきた神々。

だけど、人間の歴史にどう残ろうとコウには関係なかった。

『もう……いいぞ、コウ嬢。無理ばかりして、カルディアロスも心配している』

無機質な地下空洞に突如現れた羽翼の女は、美しい金の羽を広げコウの体を包んだ。

帝都には精霊避けの結界がはられている。神といえど精霊がここまで奥地に踏み込むことは今までに一度もなく、帝国兵士らは驚愕の眼差しで風神フェザールーンを黙認した。

「なぜここに精霊が……」

アモンの問いに答える気はなく、だがやはり少し無理をしているのだろう、ルーンは口数も少なくただコウを優しく見つめた。

『ここは毒されている……王が居るべき場所ではない』

「ルーン、あなたこんな所まで入ってきて……大丈夫なの?」

『心配はいらないぞ。カルディアロスの力を借りている。コウ嬢が地下へ行くのが見えてな……いてもたってもいられなくなった』

探しにきてみれば、この様だ。

『帝国はもう救えない。捨てるしかないぞ、こんな国は』

「ルーン……! いきなりそんなこと……っ」

『急じゃないさ。私はずっと世界を見守ってきたからな、分かるんだ。……大きく膨れ上がった国が滅ぶ直前の様子も、引き金をひく瞬間も』

だって。
人間なんてたとえ時代が移り変わろうと何も進化しない生き物だから。

『同じことの繰り返しだ。ティレニアがそうであったように……呆気なく、終わる』

「……っそんなこと! お願いだから言わないで!」

離れたままの視線をこちらへ向けることに必死で、ただ祈るようにフェザールーンを見つめた。

『……分かっている』

何の悪意もない綺麗な目に見つめられ、風神も嘘をつく気にはなれなかった。

『我々はもう決めたからな。これからは……コウ嬢の望む未来が、私の行く場所だ。何があっても離れることはない』

今みたいに飛んでくるからと、照れて笑う彼女はやはり可愛らしらしかった。

『……あいつが呼んでる。行こう』

ルーンの羽根がコウの体を覆うと、アモン達の視界からその姿は完全に見えなくなった。

精霊を支援する風もなく、大勢の人間に包囲された状況では、そうして精一杯に庇うことしかできやしないのだろう。
馬鹿に純粋で、精霊というものはどうしようもなく滑稽だ。
アモンは心内でそう吐き捨てた。

「お前達のささやかな抵抗など何の意味もない」

『……』

「何一つコウのためにならないが、守りたいか、精霊の神」

アモンの問い詰めに、ルーンは僅かな反応を見せた。少し、肩が震えている。
だが、唸るような声で呟いた。

『……コウ嬢の願いならばどんなクズ野郎だとしても手出しはしない。だが……私は絶対に貴様らを許しはせんぞ。覚えておくがいい。本当に愚かしいのは何者であるか、抗い悔いて……孤独に死ねばよい』

残酷な言葉が吐き捨てられた直後、吹くはずもない突風がアモンらを襲った。

視界は完全に遮られ、砂煙と古血が宙を舞い、地下空洞は一瞬にして赤黒く染められた。

誰よりも先に立て直したのはアモンだったが、彼が辺りを確認したときには既に、精霊とコウの陰かたちすらなかった。

後方の兵士もあちこち捜索しながら部下に叫ぶ。

「奴らがいない……? どこへ消えた!? っ探せ! 必ず見つけ出せ!」

「だがっ……この地下空洞に出口はない! それに奴が通ってきたフィムタナへの階段はとうに塞いでいるんだ!」

「では何故消えた!? 我らの目の前でここを突破するなど考えられん!」

この包囲を通過したとしても、地下の奥にはさらに多数の兵士がいた。こうも簡単に逃げおおせられる訳がないのだ。

「おちつきなよ」

カツン、カツン。
騒がしい地下にアモンが鮮明な靴音を刻む。

「風神が転移を使ったんだろう。まだそんなに力が残っていたとは驚いたが……コウは地上(うえ)にいる」

「まさかそんなっ……この帝都で精霊が転移魔法など……」

「そう遠くへは行っていない。消耗を避けるためにここと座標を近づけたはずだからね」

「ここの真上と言えば……まさか」

「フィムタナのさらに奥――皇帝の館だ」

皇帝の敷地に、他国の人間が、しかも今最も危険人物とされる精霊王などが足を踏み入れているかもしれない。
彼らの中でそんなことは許されないのだ。子供であろうと何だろうと万死に値する。

兵士らは血相を変えて地上を目指した。


 *****


コウの体は羽の様に軽かった。風のルーンが背中を包んでくれているからだろう。

その優しさを十分に感じながら、それでも目に焼き付いた光景は消えなかった。

あの少年が死んだ。
少年と共に捕らえられた、とある種族の罪なき人々も殺された。

『コウ嬢、咄嗟のことだったから、ここが限界のようだ。だが、あまりいい場所ではない。早く帝都を抜けよう』

「ルーン……ごめんなさい。貴女たちにまで無理をさせてしまって」

『気にすることはない。我々が勝手にやっていることだ』

「だけど……」

それでも眉を下げて泣きそうな顔をするコウにやさしく微笑んで、心配するな、と囁く。

『それにしても奴ら、精霊王を殺そうとするなんて何を考えているんだ。アムリアなき人の世に未来があると思っているのか……。やはり、粛正せねばならぬか』

風神はギリッと奥歯を軋ませる。ティレニア崩壊後、度々権力争いで乱れた南大陸に介入し、醜い権力者共を風神自ら裁いていった。
それが神のすべきことなのか、正しいことだったのかは誰にも分からない。
けれど彼女にはそうするしか他に手段がなかった。

けれど今は違う。完全なる仲介者として最良の存在がいる。
それが――アムリアだ。



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