プロローグ 太陽は沈み、暗闇の世界へと変わる。明りの灯る家々が立ち並ぶ姿は、温かな蛍火のようだ。 それらの内の一つ、比較的明るい光をもつ部屋で、お気に入りの本を読む少女がいた。 午後6時、下の階から漂う夕飯の匂いが彼女の部屋へと伝う。 *** 精霊世界へ *** 少女は琥珀の瞳を窓へ向け、暗空に架かる月を見つめた。風が柔らかな亜麻色の髪を揺らす。それは少し肌に冷たかった。 彼女は正真正銘、普通の家に生まれた普通の女の子。学校から帰り疲れた体を趣味の読書で癒していたところだ。 「……あ」 風に紛れて、微かに食欲をそそる匂いが漂ってきた。 「もうすぐ晩御飯かな」 少女は読みかけの本を定位置にしまった。 大きく開け放たれた窓を閉め、普段通りに部屋の扉を開けた。 母親は後ろを振り返る。しかし特に何もない事を確かめると、「気のせいかしら」と呟いて夕食の支度を続けた。 「おまえ、夕飯4人分作って……、それ誰の分だい?」 居間にいた父親が顔をのぞかせ、そう指摘した。言われた母親も不思議そうにしている。 「お母さん、うちは一人っ子じゃん。全部で3人でしょ、3人!」 「そ、そうよね? どうしたのかしら……、私ったら」 多少の違和感を感じながらも、夫と子供の言う事が正しいと判断した。 人数分の食事を運ぶと、揃っていただきますを言う。 残された1人分の夕食。 消えた記憶。 これからも、家族にとっては何一つ変わらない日々が続く。 だが、生まれ育った地を遠く離れて一人佇む少女にとって、今日という日は一生忘れることなど出来ない日となった。 ←前へ|次へ→ [戻る] |