42話:19
無数の針に刺されては精霊王と言えどひとたまりも無いだろう。だが血だらけの相手を更に嬲り殺すのも彼は好きだった。
相手が女であれば、なお更のこと。
東国の獣将からアシュラと呼ばれていた彼は、血の赤を見ると興奮して手が付けられなくなると同軍からも忌み嫌われるほど、殺戮に見境のない男だった。
「……あれ? おかしいなぁ」
大量の棘が突き刺さった場所へ来たアシュラだが、想像していた光景と何処か違っていることに違和感を覚えた。
精霊王の隣に居た数名も巻き添えにしたはずだけれど、無残に飛び散っているであろう血痕がひとつもなかった。
「あの女は殺るなーって言われてるから外したつもりやけど、その女も何処にもおらんし」
不可解な現状に苛立っているのか、アシュラは思い切り眉を顰めて地面を見つめた。
不意に、風が踊った。
アシュラが後ろを振り向くと、風神の翼に守られるようにして寄り添う二人の女を見つけた。
「うっわ、精霊にしてやられたかぁ」
『貴様……何者か知らんがコウ嬢に手を出しおって……許さんぞ!』
「アンタこそ誰? 邪魔するなら容赦せんけど」
『それはこっちの台詞だぁー!』
バサリ、と大きく羽ばたいて、フェザールーンは風の塊を刃の様に先の尖った形にして不気味過ぎる髑髏男にぶん投げた。
「効かんし」
ルーンの攻撃を軽々と避け、胸元からするりと赤珠を取り出した。
彼は飛び込んでくる精霊に向けて赤珠を翳し、精神力を一気に溜め込んだ。
『……! それは……』
「バイバイや、風の精霊」
ルーンがその赤珠に触れた直後、熱く焼け焦げる様な酷い音がした。
『っうああああっっ!!』
自然精霊が大量の邪気に当てられた時、一瞬にして精神を消耗してしまう。それだけなら未だしも、その赤珠には特別な力が備えられていた。
西の技術から生み出されたという、精霊を消滅させてしまうおぞましい魔具。それは様々な形にされ、精霊の加護による防御壁を破壊するなど、戦道具としては頻繁に用いられてきた。
そんな、人間の創り出した玩具などに負ける古の神ではなかったが、そういう類の物は扱う者の力に拠る。
そして何より、封印という守護壁を解除し、自然と一体になっている彼女にはそれなりに応えるものだった。
『ぐぅぅ……、こんなもの……』
「……あれ、おかしいな。もっとこう、一瞬で蒸発するみたいになる筈なんやけど」
『こんなもので我々を消せると本気で思ったのか。愚かな人間よ』
ルーンを背に隠すようにして現れた金髪の青年を見て、アシュラは一瞬たじろいだ。その目が冷酷で残忍で恐怖を抱かせるものであったから、アシュラは逃げ場もなく身を縮めるしかなかった。
『しっかりしなさいフェザールーン。風の神が聞いて呆れる』
『仕方ないだろう! 咄嗟だったんだからな!』
『あのまま本当に蒸発するかと思いました』
『んな怖ろしいことをしれっと言うなよ、しれっと!』
カルディアロスは何食わぬ顔でルーンをあしらい、再び目下の少年を見下ろした。
「風の……神やと? そんなもんが何でここに」
『我々が精霊王の傍に居ることが可笑しいか? まさか彼女に手を出すなど……命知らずも甚だしい。人間とは本当に愚かで浅はかな生き物だ』
じゃり、と前に出るカルロに反応し、アシュラは飛び起きて数メートル後方に下がった。
「珠で消せんのは痛いけど……全く効かん訳ではないし? 俺の駒やったら自然精霊くらいどうにかなるやろ」
アシュラの目に火が灯った。
その強い意志を受けたかのように、何も無い空中に黒い影が生まれ、そこから這い出るように気味の悪い物体が顔を出した。
ズルリと飛び出たのは、白煙を纏った四脚の獣だった。姿は狼に良く似ているが、その身体は人より大きく、口元は深く削られ、長い舌が無数の牙をなぞった。
どう見ても、生きているようには見えなかった。
「びっくりした? でも一匹だけやないよ」
その言葉通り、一つ目と同様にして何匹もの獣が這い出てきた。中には人の様な形をしたものも居たが、言葉は勿論話せないし、こちらの言い分を聞いてくれそうにもない。只の、蠢く闇のようで。
「まさかこれ……みんな死族?」
「お、賢いやん精霊王。骨っこじゃないから分からんかなーとも思ったけど。やっぱり精霊の気配は読めるんやな」
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