42話:16
それから半時ほど、二人の神と共に木陰で身を休めていた。
リナ手製のパンはルーンの口にも合ったようで、彼女は頬張りながら何か言っていたが、は行が多くて内容までは聞き取れなかった。
『――む?』
突然、パンを貪っていたルーンが立ち上がった。
先ほどまでとはまるで違う表情を見せる彼女に、カルディアロスも直ぐに周りの気配を追った。
コウとリナは二人して目をまるくしていたが、一瞬流れた風に、何かとても怖しい憎悪の念が漂った。
『コウ嬢、伏せろ!!』
控えめに出されていた羽が瞬時に巨大な翼となり、コウ達を包み込んで地面に伏した。
それと同時に熱風が丘を滑り抜け、人間がまともにくらってはひとたまりも無いであろう高温に思わずルーンは唸った。
後ろの巨木も何とか無事そうだ。
『皆、大丈夫か!?』
「うん、平気……。でも、これは……」
先ほどまでは穏やかな気候だった。これは自然現象などではないだろう。
思った通りで、熱風が冷め視界が開けたとき、草木の緑に覆われていた草原が赤黒く恐怖の色に染まっていた。
轟々と勢いを増す炎に包まれ、地上に降り立つ数十の群れは、東国セニアの戦道具でもある飛竜であった。
「嘘、でしょう……!? どうしてここに東国の竜が……」
『コウ嬢、こいつら前の戦場で見た飛竜とは少し違うぞ。前よりもっと……凶悪になってる!』
只の空飛ぶ馬の代わりをする飛竜とは違い、戦闘用に鍛えられたものだった。
こういった所業には覚えがある。ずっと前に、ティレニアで会った真紅の男も改造された獣を楽しげに差し向けてきたものだ。
飛竜から飛び降りた男は、頑丈な鎧兜に身を纏った戦士であった。
「また会ったな、獅子の子よ。……いや、神に愛された精霊の支配者、アムリアと呼ぶ方が正しいか?」
コウは目を見張る。
まるで地獄から這い上がってきたばかりの魔王が放つような威圧的な眼が、戸惑うコウをしっかり捉えていた。
会ったことは、ある。
男が何者だったのか、次第に思い出してきたコウは妙な汗を一筋流した。
「あなた……東国の捕虜……」
「馬車の牢は窮屈で堪らなかった。礼を言うぞ、アムリア」
「なにを……」
「貴様らが騒ぎを起こしてくれたおかげで帝国の元老共の目を欺き、容易に抜け出せたのだ」
監守は何をやっていたのだと心中で叫んだが、何やら覇気の感じられない人達であったから、こうも簡単に敵国捕虜に逃げられたのだ。
人のことを言える立場ではないが。
「そこの女を追って来たのだが、思わぬ拾い物をしたものだ」
「そこの女?」
訝しげに聞き返すと、男はリナを真っ直ぐ指差した。
「くくく……この女が血を流した時の、聖王の取り乱し様には驚いたぞ。あの時殺してしまわなくて良かった、有効に利用出来そうだ」
この男はカイリの弱点を見抜いてしまったようだ。カイリはリナの事になると手を付けられなくなる時がある。それほど彼女という存在に弱い。
彼がどれほど公私を弁えた男だとしても、敵国の兵士に囚われたリナを目の当たりにして冷静でいられるだろうか。
「……こんなことをしても無駄よ。私もリナも貴方達の思い通りにはならないし、東国へ行く気もないからね」
リナは隣でこくこくと頷いている。
「それがどうした。まさか、アムリアよ、精霊の加護を得たくらいで優位に立てたと思っているのか? それは間違いだ。何故なら、精霊は本来人間に干渉出来ぬ存在だからな。お前の知らぬ所で幾人もの人間が死んでいる。今この瞬間も……」
その全てを救えるものかと男は吐き捨てた。
結局精霊の王は目に見える範囲でしか救うことは出来ない。更に言えば、精霊にとって大事なのは王であるアムリア只一人であって、その他はどうなろうと知ったことではないのだ。
「お前が精霊共に他人を救えと命じるか? 人間を襲うなら精霊にもそれなりの覚悟が必要なのだぞ? 相手が魔具を持っていれば一瞬にして消滅させられる。対抗する種族を向けられたら精霊同士、命の取り合いになる。それは争いを激化させるに他ならない」
だからお前の言っていることは矛盾しているのだと、男は嘲笑った。
「そんなこと……貴方に言われなくても分かってる!」
恐怖で潤んだ目を向けてくる少女が可笑しかったのか、東国男は余裕の笑みであしらった。
戦乱の世を生き抜いた者は強すぎる刺激に慣れていた。刃を向けられることは数多あれど、常にその刃先を圧し折って返り討ちにしてきた。
今だってそうしても良かったのだが、「退屈しのぎ」というもっと面白い遊びが彼の脳裏を掠めた。
飛竜はずっと上空を巡っている。こちらを監視するように、低い位置で羽を広げて旋回しているのだ。
女二人くらいなら、いつでも攫って行けるだろうと男は確信していた。
「来い、アムリア。お前ならば我ら東国も歓迎しよう」
男は大きな手を伸ばした。
その手を拒絶することはあっても、易々と受け取るなど考えられないことだった。
この身体に触れることは、愛しい相手にだけ許された行為なのだ。見知らずの東国男が容易く味わって良い感覚ではない。
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