42話:15 私は私
「……あ、でも。私は一月ともたなかったけどなぁ」
自嘲気味に呟くと、リナが不思議そうに首を傾げた。
「ううん、何でもない。リナは私と違って辛抱強いから大丈夫かもしれないね」
「……そうでしょうか? ありがとうございます」
よく分からなくても礼を述べるのが彼女らしい。
微笑ましい彼女の柔らかな表情を眺めていると、もうきっと大丈夫だと思えるようになった。
今朝からずっと怯えていた、神々の本当の意図について。表面上普通に接していても、心の何処かで晴れない疑念に悩まされ続けていた。
けれどそれも、今なら大丈夫な気がする。面と向かって聞くことも出来るかもしれない。
相手を想う方法は一つしか無いと決め付けていた自分を、そうではないと否定出来るようになったから。
「リナ、私はやっぱり逃げたくないよ」
コウはにこりと微笑んだ。
「今は聖域のはずだから、届かないかもしれないけど……通じる気がするの、何となく」
リナは益々訳が分からないといった顔をする。
そんな彼女にもう一度飛び切りの笑顔を見せて、体中を包み込む精霊の吐息を集約させた。それを風が手伝って、掌を中心に空気の渦が出来ると、一本樹に向かって一気に解放してやった。
会いたい、と……切ない言の葉を乗せて。
吹き荒れる風が止むと、一本樹の傍にぼうっと光る何かが現れた。
真っ白な肌に純金の線が絡まり、この現状に困惑しているのか、見慣れた美しい顔が僅かに歪んでいた。
この場所からどれだけ離れているのか知らないが、言の葉は真っ直ぐ彼の元へ届いたようだ。
現れた彼は黄金の神、カルディアロスである。
『これは……どうしたことでしょうか』
物事に動じない彼が時折見せる悩ましい表情をしていた。
『聖域で身体を休めていたら、懐かしい声が聞こえてきて、誘われるままに身を寄せてみたら……コウ、犯人は貴女であったというのですね』
「犯人なんて……まるで私が悪いことをしたみたいじゃない。やめてよもう」
『悪いとは言いませんが、驚きました。貴女の声は確実に威力を増している。……いや、その逆……でしょうか?』
「逆?」
『私の方が、貴女の声に敏感に反応しているのかもしれませんね。ああ、それなら納得出来ます』
カルロは勝手に持論を並べ、詳しい説明もないまま勝手に解決してしまうことが良くある。今回もそのようだ。
「急に呼び出してごめんね。大丈夫だった?」
『問題ありません。本体から離れているとは言え、ここには立派な縋り樹もありますし、暫くここに居られますよ』
「本当? 良かった!」
顔いっぱいに笑顔を咲かせて、まるでこの世の全ての悪を許すかの様な姿は見ていて涙が溢れそうになる。
その存在こそが罪深く、それでも彼女には何時までも変わらないでいて欲しいという、そんな身勝手な欲望が理性を蹴破りひょっこり顔を出すものだから。
カルロがふいと目を逸らすと、コウは上空に留まったままの風を呼んだ。
風神フェザールーンは真っ直ぐ地上へ降り、巨鳥の姿から人型へ変化した。
二人の神を並べて見ると、目を逸らしたくなるくらい美し過ぎる光景だ。
『コウ嬢、カルディアロスまで呼んだりして……どうかしたのか?』
「うん。二人に言っておきたいことがあって」
『何です? まさかまた何処か旅行に行きたいとか……』
「言わないよ! というかいつも旅行気分なんかじゃないんだからね」
コウは頬を膨らませて反論する。その姿がいつも通りで、他の何よりも安息を与えてくれた。
「前にも言ったかもしれないけど、私は人と精霊を区別しないよ」
『何を突然……』
「ついでに、私がどちら側なのかっていう問題だけど、それもね、大丈夫。私は自分が信じた人の味方になるの。だから種族なんかで区切ったりしない」
コウは一息つくと、また満面の笑みを浮かべた。
カルディアロスは言葉を失っていた。彼と同様に風のルーンもまた、戸惑いを隠しきれないでいた。
こうして覚悟を決めた時のコウは、誰かを庇っているのだと彼らは知っていた。
それも話の内容が内容なだけに、自分たち精霊に関していることは間違いない。
これが人と精霊の確執を消す為の覚悟だとしたら、突然彼女を駆り立てたのは何なのか。
どうしてもそれが知りたくて、ルーンはその手を伸ばした。
『コウ嬢……一体どうしたのだ』
ルーンの手が肌に触れる寸前で、コウは首元のボタンを外し、鎖骨から胸の上部辺りを曝け出した。
白い肌に刻まれた、漆黒の紋様を目にした途端、フェザールーンはその手をぴたりと静止させた。
『コウ嬢!? それは……まさか!』
「ごめんね。私に触れても無理なの」
『……あっ……』
ルーンは顔を真っ赤に染めて飛び退いた。
それと同時に激しい後悔が押し寄せてきた。
なんて馬鹿なことをしようとしたんだろうか。コウの考えが知りたいからといって、その高潔な心に土足で踏み入れる様な真似をして。
『コウ嬢、私は……そんなつもりでは』
「大丈夫、分かってるよ。私こそごめんね、勝手にこんな……隠すようなことをして」
コウはさり気無く服を正し、目を伏せたまま言った。
「隠し事はしたくないけど、これはリュートニアの遺産だから……私も彼らと同じ様に背負わなければ」
『隠し事? リュートニア一族の遺産って……』
「だけど、何があっても私は貴方達の敵になることはないわ」
その目は何の疑いもなく精霊の神を見据えていた。
唖然としたままの精霊に反して、コウは何故か満足げに頷いた。
視線を動かし、ずっと見守っていたリナに合わせると、彼女もまたいつもの優しい表情でコウを見つめ返していた。
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