42話:12
「そう、ね……」
「リナ?」
「ねえコウさん。さっきも言っていたけど今朝帝都を出発したのって本当?」
「本当だよ」
村の衛兵と同じようにリナも面食らった顔をした。
彼女らが理解に苦しむであろう秘業をコウは自然に行っていたのだ。
コウもやっとそれに気付き、彼女には説明をつける。
「実はルーンに手伝ってもらったのよ。1日じゃこの村に着きそうになかったから」
「まあ、ルーン……風の精霊さんね? 前にも見た……古の神様」
「そうそう」
パンを貪りながらこくこくと頷いた。
「くす……、ねえコウさん。私は貴女に御礼を言わなければならないですわね。あの時、私の殻を破ってくださって本当にありがとう。あのままだったら私、今頃きっと……」
こうして笑うこともなく、虚無の世界へ導かれていたことだろう。
確かに結果としてリナを助けたことにはなるのだが、彼女の希望までをも打ち砕いてしまったのではないだろうか。
コウはずっとそれを懸念していた。
「そんな、難しい顔をなさらないで」
「今は、ラフィリスは……」
「近くには居ます。でも、これ以上は近付けさせません。これ以上私と共にしても彼女には何の利にもならない……そう、元から私には彼女を満足させる力なんてなかったのですわ」
「そんなことは……」
反論しようとしたが、リナはいつも以上に優しく微笑んだ。
「大丈夫、分かっています。私もラフィリスが好きなんですもの。……だけど……」
言葉の途中で彼女は口を閉ざした。
香ばしい匂いとジャムの甘さが鼻に絡み付く。
コウは一口紅茶を飲むと、リナの目を真っ直ぐ見据えた。
「ねえ、リナが聖軍に入った理由って何だったの?」
「それは……」
リナの顔が青白く変貌した。かと思えば、次第に頬の赤みが増してゆく。これはどうしたことだろう。
「私……カイリ様の事、以前から知っていたんですの」
「以前って……聖軍に来いって言われた時より、もっと前にって事?」
「ええ、ひとつ前の本試験の時にね、私こんなだからへましちゃって、落ち込んでいたところを救ってくださったのが、あの方なの」
「……そうだったんだ」
意外にも彼女達には接点があったようだ。ただ、あのカイリが他人を元気付ける姿など想像も出来ない。弱音を吐くような人間は「勝手にしろ」と吐き捨て相手にもしないだろうと思っていたのだが。
どうやら彼にとっても、リナは特別に映ったようだ。
「私はね、あの人を守りたかったの」
リナはぽつぽつと心中を打ち明け始めた。
「部下を思い、国を背負って戦場を駆けるあの人を、守りたい。他ばかり見て自分を守ろうとしない人だから、足りない部分を私が補いたい。あの人が求めるものを少しでも叶えられたら……ただ傍に居られるだけでよかったの」
だけど、と彼女は落胆の色を見せた。
「至高のラフィリスと契約しても、私はあの人の足手まといにしかならなかった。こんな私でも魔力にはね、自信があったの。だけど……戦に必要なものはそれだけじゃなかった。戦士に優しさは必要ないと……」
「カイリが言ったのね?」
「ええ、本当は言われなくても分かっていたのかもしれませんわ。ただそれを認めたくなかっただけ……だって私は誰かに特別優しくしているつもりもないし、聖女だなんて、まさかそんな大胆なこと!」
まるで自分自身を嘲笑うかのようにリナは哀しく眉を下げた。
「私が私のままでいては、きっとカイリ様のお役には立てない。だけど私は……どんなに頑張っても自分を変えられない、変えることなんて出来ないの。私はリナという人間を捨てることは……どうしても、出来ないわ」
だから、これ以上聖軍にしがみ付いても仕方がない。得るものなど何一つとしてない。寧ろ、みんなの足を引っ張ってしまうだけなのだ。
「私ね、今まで自分の許容範囲を超えるような魔力の使い方ばかりしてきたから、その代償と言うのかしら……前よりも力が落ちているの」
「魔力が弱まったってこと……?」
「そうみたいですわ」
そんなことを、リナは笑顔で答えた。
彼女にとって魔力こそが自分とカイリを繋げる唯一のものだと思っているのだろう。その力が弱まり、司祭の資格も失い兼ねない。そうなればもう、聖軍に居る意味がない。居させてもらう理由がなかった。
だが、二人の間にあるものは、それだけではないような気がしてならなかった。
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