42話:01 プロローグ 東の地は灼熱の太陽に照らされていた。 砂漠に点在していたオアシスも今はほとんど見当たらない。いつの間にか枯渇してしまったようだ。 それでもまだ南部はましな方だ。森林は残っているし、精霊の加護はどうだか知らないが活気ある村も存在する。 特に東国最南端では戦火が届いていないおかげで、地域住民の手によって作られてきた独自の文化が絶えることなく密やかに守られていた。 祭る神も違えば、習慣は変わり、国内と言えども価値観は相容れないものとなる。 だからという訳ではないが、セニア国の歴代国王は最南端の地域にだけはあまり手を出さなかった。 ここは、最南端の森の中。 人の気配が全く感じられない森に、一軒だけ古びた小屋が建っていた。 周りには何もなく廃墟のようにも見えたが、そこにはちゃんと人が住んでいた。それも、若い男と女の二人だ。 男は朝早くから水を汲みに出かけていたらしく、大瓶を抱えて小屋に戻ってきた。 足で扉を開け、邪魔にならない場所に下ろす。 彼はふと目に入った女に対し、いつものように柔らかな笑みを向けた。 「まだ起きられないかな?」 「……」 「怪我の具合はどう? 結構深い傷もあったからしばらくは痛むと思うけど」 「……」 女は一切答えない。それに、ここ数日はずっと寝床に横になったままだった。 「癒えない、かな。まだ」 「……煩い」 か細い声がふとんの隙間から漏れた。 「煩いのよ、あなた。気安く話しかけないで」 仮にも怪我の治療をしてくれた男に対してこの態度は失礼だろう。だが、それでも男は怒ったりしない。 「余程辛いことがあったんだろう、可哀想に……けど、ここには戦火も届かないから安心して」 女の頭を撫でようと手を伸ばす。だが、寸前で拒絶されてしまった。 「っるさい、うるさいっ! 何なのよあんたは、人助けのつもり!? それならとんだ勘違いよ。あのまま死んだほうがよっぽどましだった!」 女の頬には涙の跡がいくつも残っていた。毎夜泣きはらしていたのだろう。 ここまで彼女を追い詰めたのは何だったか、それを思うと男の顔もきつく歪んだ。 「砂漠で、血だらけで倒れている君を見つけたとき、それでもまだ息はあって、十分助かる状態だった。私は医者だ、怪我人を助けるのが私の役目だからね」 男は淡々と告げる。 「じゃあ何でレッカを助けてくれなかったの」 「君の……傍に倒れていた少女は、もうすでに死んでいた。あの場には君以外に生きているものはいなかったんだ」 女は男から視線を逸らし、自嘲気味に言う。 「はっ、私の初陣の結果が、これ? 魔法隊全滅って、何よそれ……ほんと馬鹿みたい」 「……。何か胃に入れた方がいい。果物をもらってきたんだけど」 「煩いわね、放っておいて」 女は愛想の欠片もない態度で突っ返した。ここ数日はこういうやりとりが続いていた。 「……わかった。じゃあ、水はここに置いておくから。果物も好きに食べて」 遠慮がちに言うと、男は慣れた手つきで出かける支度を始めた。 彼が羽織るのは白いローブで、左肩に腕章が付いている。それは国際医師会の紋章と同じものだった。 「私は村に行ってくるから」 やはり女は答えない。振り向きもしなかった。 少し寂しそうに玄関を出て、男は村へと歩いて向かった。 しばらくして、女は体を起こす。昨夜から何も口にしておらず、咽が渇いて仕方が無かった。 雑に水を汲んで飲み干すが、まだ咽の奥が熱い。いくら水を通しても消えない渇きが、さらに奥の方で疼いていた。 「……? ……ああ、村の子供か」 子供たちの遊ぶ声が聞こえてきた。ここは森の中と言っても村からはそう離れていない。歩いて数分の距離だった。窓から覗けば村の様子も見れた。 女は呆然と窓の外を眺め、また水を飲む。 「……、あれは」 元気に遊ぶ子供たちが一所に向かって走っていた。そこには大勢の人々に囲まれた男がいた。 自分を助け、この小屋で療養させた、あの医者だ。 こんな辺境の地に来る医者などそうはいない。よほどの変わり者くらいだ。 東国出身でもない彼が何故この村に滞在しているのか疑問だが、女にとって今はどうでもいことだった。 ただ、見せ付けられる、価値の差。 「あのひとはこの村に必要とされてる。だけど私は」 私は、信じていた者に捨てられた無価値の戦士。 希望の医師と、絶望の少女。 「……あなたに何が分かるっていうのよ」 女はぐっと拳を握る。 もう涸れたと思っていた涙がまた、溢れ出ていた。 プロローグ[終] 次へ→ [戻る] |