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37話 混沌の海《12》


 コウは真っ青になって床にへたり込んだ。心なしか空に雲が掛かってきた様に思える。
 目の前は真っ暗だ。命を渡すとか奪うとか、もうそんな事はしたくないと思っていたのに、それは許されない事なのだと思い知らされる。
 私は、精霊王アムリアは、どこへ行っても厄介者なのだ。

 答えの出ないコウより先に反応したのはユーリックであった。

「ははぁ成る程、別に“王の力”じゃなくてもいいと言う訳だな。それならやり様があるってもんだぜ」

 彼は後ろを向く。そこには座り込むコウと、その後ろで複雑な表情をしたリセイが居た。ユーリックはリセイと視線を交え、少し口調を強めて言う。

「コウが来たら意味ないからなぁ。お前に頼むぞ、リセイ」

 リセイは無言で返す。彼は僅かな時間で思案した後、その場にコウを縛り付けるかの様に強く抱いた。
 リセイの行動に違和感を持ったが、それよりユーリックが何を考えているのか不思議でならない。

「な、に……ユーリック?」

 しかしユーリックは答えない。彼は再び海の魔物たちに鋭い目を向け、雄々しく言い放った。

「人間なめてもらっちゃ困るぜ、海精霊たちよ。俺の仲間には手出しさせない、絶対にな」

『ならばお前が命を捧げるか? 最も、お前一人ではまかない切れない量だがな!』

 海獣は馬鹿にした様に高く笑う。だがユーリックは少しも動じなかった。寧ろその逆で、挑戦的な目で海を睨みつけているのだ。

 彼は袖から何かを取り出した。それは蒼い数珠で、じゃらりと音を鳴らしながら手に巻いてゆく。しっかりと巻きつけたところで船首の上段に登り、にっと笑った。

「コレには俺が長年集めた精力が込められている。海王龍がここまで来られるくらいの力を与えるなら、コレで十分だ」

『それは……』

『確かに、人間の造り物とは思えんほど強い力を感じるが……しかしそれは』

「そ、これは精霊を封じる呪縛用。だからお前達には触れないんだよ」

 ユーリックは物欲しそうに数珠を見つめる海獣を見下ろす。

「神海底……ってところに瀕死の海王龍がいるんだろ? 俺がこいつを持って行ってやるからそこまで案内しろ」

『何を馬鹿な……』

『それでは確実にお前は命を落とすぞ? それに、もし海底まで辿り着けなければどうする。その呪縛道具はこの海に呑まれ全く無意味となるぞ』

 成功する確率は限り無く低い。だけど、零じゃない。それが唯一の救いだった。

「テメーの死場くらいテメーで決める。いいから案内しやがれ」

 ヴァハディナラは目を見開いた。よもや人間の目が恐ろしいと感じるなど思いもしなかったのだ。

『死ねるというのか……その女の為に』

 愕然とした。気は確かかと問いたくなる。
 ユーリックは口の端を上げ、満足げに笑い飛ばした。

「コウの為なら喜んでくれてやるよ
 ──俺の命」

『愚かな……っ!!』

 騒ぎ立てる精霊を他所に、ユーリックは数珠を駆使してヴァハディナラに封縛をかけてゆく。突然の出来事に対応が遅れた海の魔物たちは、忽ち数珠の力で拘束された。
 こうなっては精霊の力を満足に扱えない。
 荒々しい左右のヴァハディナラは舌打ちし、人間などにしてやられたと苦い顔をする。

「はっ! ま、こんなもんだろ」

 ユーリックは満足気に笑い、赤黒や白黄に輝く数珠をしっかり手に持つ。

「じゃ、まぁちょっくら行ってくるわ」

「ユーリック……? ちょっと、馬鹿なことしないで……私が行けばいいんだから、何とかなるんだから。ねぇ、ユーリ……」

「──やっぱり俺はお前が好きだ、コウ」

 コウは大きく目を見開いた。

「今まで出会った中で、お前ほど夢中になれた女はいねぇよ」

「何言ってるの……? そんな別れの言葉みたいな……」

 無意識に震えるコウの体を、リセイがきつく抱き締めた。

「本当に、頼んだぞリセイ。お前しかいないから」

「……」

 リセイは答えない。その数珠を扱えるのはユーリックだけだと彼は知っているのだ。誰よりも自分が行きたい筈だが、この役はユーリックにしか出来ない。それが悔しくて言葉も出なかった。

「来世でまた会おうな、コウ」

 ──その時は、君を支える一番の者でありたいと、ユーリックは心に願った。
そうして彼は、深い深い海へ飛び込んだ。

「…………ユー……リック?」

 突然、視界から消えた茶髪の青年。
 彼の最後の笑顔が脳裏に焼き付いて離れない。あの声、あの笑顔、全て温かく自分を癒してくれたのに。

 こんなにも簡単に、失ってしまうなんて……。

「いっ……いやああぁぁぁっ! ユーリック──っ!!」



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