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38話 穢れなき心《04》


 コウは甲板に出て、船先から海や港を眺めていた。勿論傍らにはリセイがぴたりと張り付いている。そのせいで商人達は誰一人としてコウに近寄れなかった。

 しかし、彼らは別である。

 リセイの牽制を意図も簡単に流し、コウに話しかけたのは金髪の美青年であった。彼の横には羽翼人もいる。

 シスター姿のコウを目の当たりにしたカルディアロスは一瞬動作が止まった。彼がもの凄く驚いている事をルーンだけは気付いた。

『コウ嬢、どうしたんだその格好は』

「これから帝国に上陸するから聖軍兵に紛れるんだって。変だと思うけどあんまり気にしないで……」

 遠慮がちにそう告げる姿が可愛らしい。それでも固まったままのカルディアロスをルーンが小突いた。

 「何か言え」という目を向けられて、漸く思考が働くようになった彼は思ったままを口にする。

『ああ……シスター服ですか。とても良く似合っていますよ、コウ』

 カルディアロスは目を細めて優しく笑った。色の白い肌がとても眩しい。

 少し頬を赤く染めて俯いたコウを、リセイが横目で見ていた。彼は酷く気に喰わないという意思を隠そうともせず、そのままを表情に出した。

 当然、周りはびくりと肩を震わせたが、カルディアロスだけは一歩も引き下がらない。
 本来、彼にとっては人間など取るに足らない存在である。特定の人間を煩わしいと思うなど彼の人生で一度も無かった。

 そうさせたのは、一番守りたい少女に好意を寄せている帝国の騎士。リセイである。
 あのカルディアロスを苛立たせるなどある意味貴重な人間でもあるが、リセイ本人にとっては迷惑なことこの上なかった。

 リセイとカルディアロスは目を合わせたままで、何も話そうとはしない。ただ緊迫した空気だけが漂っている。

「……カルロ? どうか、した?」

『……』

 返事はない。
 その代わりに腕を掴まれ、あっという間に抱き締められてしまった。

 何が起こったのか分かっていないコウは口をあんぐりと開けている。いつも思うがカルロの体は見た目より随分がっしりとしていた。

「カルロ……何……っ!?」

『力を、少し疲れたので精神を分けてくださいませんか?』

「ち、力? あ……そうか」

 二人を引き剥がそうとしたリセイも、その言葉を聞いて動きを止めた。精霊に力を与えるのもアムリアの仕事だ。つまりこれは精神の受け渡し行為なのである。

「力をあげるのはいいけど、ちょっと近すぎじゃない?」

『前と同じ様にキスでお願いしますね、コウ』

 カルロはそれを平然と言った。勿論コウの顔はビシッと固まる。
 前と同じとは、本当にかなり前の事だがティレニア軍事機関で頬にキスをされた、あの時の精神の受け渡し行為の事だろう。

 間違ってはいないがニュアンスが微妙である。

「あ……あのねぇカルロ」

『何です? ああ、皆の前では恥ずかしいのですね』

 彼は確信犯である。実際、コウは何も言えずに顔を真っ赤にしているのだから。

 俯いたコウはただ沈黙していた。照れ屋の彼女だから、とそう思っているカルディアロスだが、この時ばかりは予想が外れたようだ。

 なぜならコウは、鋭く目を光らせていたのだから。

「カルロ、私をからかうのもいい加減にしなさいね」

『……コウ?』

「カルロのお馬鹿! 可愛い狸に戻っちゃいなさい!」

 キッと睨まれて一瞬の隙をつくったカルロは、翳された手から放たれる精神力を全て受け取ってしまった。そして勿論、維持していた体型を崩されてしまう。

 白煙が視界を遮り瞬間の様子は見えなかったが、その後、リセイの目には懐かしい生き物が映っていた。

 コウの足元にちょこんと座る、緑の狸。

 カルロはやられてしまったと口を尖らせていた。

『おいおいカルディアロス、油断したな?』

 ルーンにからかわれても何も言い返せない。余りに不覚だったのだろう。
 少し落ち込むカルロをコウはそっと抱きかかえ、その腕におさめた。

「やっぱり精霊は可愛くなくちゃね」

『……不本意です』

「あら、それなら自分で人型に戻ってみたら?」

『コウ、分かっているくせに……』

 カルロはそれ以上は何も言わなかった。コウの言う通り自力で何とかすればいいだろうとルーンも思ったが、それが出来ればこんな無様な格好を曝け出してなどいない。

 カルロは勝ち誇った笑みを浮かべるコウを見上げる。

『いつの間に、こんな事まで覚えたのですか? おかげで力を放出できない』

『放出できないって……カルディアロス? それは本気か?』

『疑うならお前もされてみればいい』

 カルロの提案に乗っかり、コウはルーンの意思も聞かずに手をかざした。そして、再び白煙が舞う。

 次の瞬間、今までそこに居た右翼人は黄色の小鳥になっていた。

『……!? まさかっ……』

 カルロと同じ状態にされて漸く気が付いたルーン。コウは二人に同じ力を働かせていた。

 それは精霊の形態を一定にさせる力である。

「どうやってるかは自分でも分からないけど、ちょっとコツを掴んだみたい。さ、これで二人はたぬきとひよこね……」

 ふふふ、と明らかに何かを企んでいるコウを、この時ばかりは恐ろしいと感じたらしい。情けない姿になった古の精霊は何をされるのかと色々想像していた。

 ――そして、コウは彼らを一緒に抱き上げた。

「やんっ……可愛くて柔らかくて幸せ〜」

 小さくなったカルロとルーンを頬ずりして可愛がるコウに、二人は「どうとでもしてくれ」と全てを諦めた。
 そんな彼らの様子に、一番安堵したのはリセイだったろう。とんだ取りこし苦労である。

 そのまま暫くの間、カルロとルーンはスリスリされたりグリグリされたりで大変だった。



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