5:二次試験12 犬
もうばれちゃってたんだぁと苦笑うアモンだが、何処と無く余裕が伺える。
その事に少し不機嫌なガイアは更に頬を膨らましてワインをごくごくと飲み干した。
彼らの会話を聞いていたクリスは思う。
「お前がそんな失態をするなど珍しいな」
ふうん? と首を傾げる彼女にガイアは過敏に反応した。
がばりと起き上がり背掛けに腹を埋めると、逆座りの格好でアモンを睨む。
「クリスさんが思っている程その男大した事はありませんよ。最高司祭に昇格した時だってどんな手を使ったのか……」
「ガイア、言いすぎだぞ」
クリスは静かに制したが、当の本人は依然としてにこにこ笑ったままだった。
果てしなく呑気な奴だと頭を抱える彼女に、奥の寝台に寝転がっていたシェーンが話しかけた。
それも、かなり低い声で。
「けど、覇王がここにいる理由を聞いてない」
その声色には多少の苛立ちも含まれていた。
ガイアもシェーンも今回のリセイの渡来は全く知らされていなかったらしく、聖軍の騎士として十分な持て成しも出来なかった。
この時期、ティレニアは編入学や試験等で忙しく、帝国もまた帝王聖誕祭を控えた大事な時期だった。本試験には必ず聖軍軍総カイリが向かわなくてはならない。
つまり、その間帝国を守る事が神軍の第一の役目でもあった。
聖軍の主、カイリ=エディンのお供としてティレニアへやって来た彼らだが、よもや覇王が街の衛兵に化けて試合の警備なんかに当たっているなど到底信じられない現象だった。
「帝都でも色々噂流れてるよ、覇王が中々帰って来ないのは堕落者だからだとか、他国に女を作ってよろしくやってるとか」
「そりゃ酷いな、リセイに限ってそんな事は有り得ないねぇ」
教皇はからからと笑う。自分の主を悪く言われて腹が立たない筈は無いが、クリスは我慢して話を聞いていた。
「笑い事じゃないだろう。こんな大事な時に帝国を放ってまでここに来なければならなかった理由なんて、そう幾つもないはずだ」
腹の底に溜まった鬱憤が徐々に現れ始め、妙に大人気ないのは酔いの所為だとシェーンは決め付けた。
「正直言って今の帝国は蛻の殻だ。攻め込まれて落ちたら洒落にならない。それだけの責任を背負っていると理解して行動してるのか、あの男は」
「まぁまぁシェーン、リセイは愛しの彼女が心配で会いに来ただけなんだから」
アモンの言葉にクリスとガイアは酒を吹いた。
ごほごほと咽る二人を無視し、シェーンは一層驚きを露わにした。
教皇の何気ない言葉はいらぬ波紋を呼んだ。
「は? 覇王の愛しの彼女だって? あの男にそんな感情があるのか?」
口が軽いのは確かに酔いの所為でもあるが、普段から謎の多い神軍軍総に苛立っていたのも事実だ。
「シェーン、貴様、どういう意味だ」
クリスの表情は明らかに変貌した。
カタンと椅子の引く音を鳴らして立ち上がり、シェーンのいる奥の寝台へ歩みを進める。
彼女の心境を一早く感じ取ったアモンは、無言でグラスを置いて彼女を追った。
「もう一度言ってみろ。リセイ様が何だというんだ」
凄んできたクリスの表情は鬼の形相で、彼女の怒り様に戸惑いながらも彼は引き下がろうとしなかった。
「リセイ=オルレアンは確かに文武に優れた稀なる男だ、それは認める。だがな、広大な領土を支配する城主になどさせるべきではなかった。カイリ様は生粋なる貴族の血を引くお方だが、覇王は違う。あの男には裏切り者の血が流れているんだ。それなのに、何が覇王だ。闇中で蠢くしか能の無い異端のくせに!」
最早止められないシェーンの苛立ちが頂点に達し、それと同時にクリスの怒りが頬にぶつけられた。
シェーンは頬を押さえながら睨むと、闇に映える青の瞳とぶつかった。
繰り広げられた事態に目を丸くするガイアだが、突然過ぎてとっさに体が動かなかった。
二発目を繰り出そうとしていたクリスの腕を掴み、アモンが仲裁に入る。
「駄目だよクリスちゃん、それ以上は」
「どけ! こいつはリセイ様を侮辱したんだぞ!?」
「だめだめ、もうお終いだよ。シェーン君も自分の部屋に戻ってね」
アモンは興奮する二人を宥めようと柔らかく話しかける。
それが癪に障ったのかシェーンは怒りをむき出しにして叫んだ。
「黙れ! 皇帝の忠犬のくせに……貴族の血を持たない卑しい平民のお前が皇属司祭になれたのは銀精霊の加護があったからだ。それはお前の実力でも何でも無い!」
シェ−ンは頭に血が上ると見境が無くなる。今の彼はその状態で、アモンも重々承知していた。
優しい瞳は一瞬にして鋭く研ぎ澄まされ、教皇と言われた男は噛み付く小犬を見下ろした。
「ガイア、シェーンを連れて部屋に戻れ」
「えっ! あ、うん……」
ずっと呆けていたガイアは髪を振り乱して駆け寄り、シェーンの体をそっと支えた。
まだ興奮して息の荒い彼だが、流石に今の教皇たる威厳を見せられれば逆らう事も出来なかった。
「クリス、行くぞ」
いつもと違う口調に戸惑うクリスは毒気を抜かれ、冷静にならざるをえなかった。
気力を失くした彼女は肩にアモンの手が触れていることを怒ることもない。
彼に身を任せて静かにこの部屋から出て行った。
静寂が部屋中を包み、ガイアは何とも言えない気持ちに翻弄されていた。嫌悪していた相手に抑え付けられ、相当衝撃を受けている友になんと声をかけてやればいいものか、と。
そんな相棒の苦悩に気付いたのか、シェーンは弱く手を上げて大丈夫だと呟いた。
「本当に馬鹿だよシェーン」
「……煩い」
「僕でも本気モードの教皇には適わないのに、無謀すぎ」
「……分かっている」
落ち込むシェーンを優しく撫で、ガイアは静かにソファへ向かう。
残る熱がくすぐったくて、シェーンは膝を抱えて目を伏せた。
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