30話 帰郷04
目の前に居るのは、幼き頃より慕ってきた最大の存在。私の兄。けれど最早、受け入れるだけの小さな妹ではなかった。
「お兄様、私は、守られるだけでは嫌です」
突拍子もない言葉に、さすがのヘルトも首を傾げる。
「サラ? それは一体……」
「お兄様やお母様のお気持ちは分かっています。けれど、私は守られる為にここにいるのではありません!」
彼女の意思がはっきりと込められた言葉だった。守られる為の居場所じゃない。それはヘルトにも少し耳に痛かっただろう。
「一通りの事はカナリアから聞いただろう。後は私から説明するよ。今まで黙っていて済まなかったね……サラ」
「……」
怒りに任せて放った言葉だが決して嘘はない。兄の穏やかな口調に絆されて、サラはふうとため息を吐いた。
「サラ、お帰り」
「お兄様……ただいま」
歩み寄る兄の蒼い髪を、忘れた日はなかった。時に凍るように冷たい眼差しを向ける瞳も。全て懐かしく心地いい。
「ああそうだ、ロウベルトとカナリアも一緒に来てくれないか」
「勿論です、ヘルト様」
武将ロウはすぐに返答した。
「ヘルト様、お言葉ですが、私はこの館の女中です。込み入った事情は……」
「カナリア、こればかりは君にも聞いてもらいたい。お願いだよ」
「……畏まりました」
カナリアはぐっと堪えた。今にも爆発しそうな思いを抑えて。私はダイス=ケイストの代わりではない。そう言いたい気持ちを、今は捨て置いた。
ヘルトは方向を変えて本館の出口を目指した。それに対してロウベルトが疑問を持ち、躊躇いがちに尋ねる。
「ヘルト様? 一体どこへ……」
「ああ、今からアムリアの所に案内するよ。その方が話が早いだろうからね」
「左様でしたか……アムリア様は今どちらに?」
「この館の者を動揺させない様、離れの館を貸しきらせてある。ただ、今は……」
ヘルトはゆっくり口を閉じる。離れの館に居るには居る。だがコウは、フレアンとの別れに耐え切れず数日前まで放心状態だった。今はどうなっているか分からないが、恐らく無心で毎日を過ごしているのだろう。そう思っていたヘルトは、それが分かっている上で彼女を訪れる事に罪悪感を感じていた。
ヘルト達は本館を出て中庭を通り、古びた離れに辿り着いた。使用人もよこしていないので、離れの館からは物音一つしない。ヘルトは廃墟の様に静まり返った館へと足を踏み入れる。
「静か、ですな……」
思わずロウベルトも口に出した。それはサラやカナリアも同様に思ったことだ。ここに精霊の王がいるというなら、もっと幻想的で厳粛な風貌なのだろうと予想していたのだ。
「……上かな」
一階には明らかに誰もいないので、一先ず寝室のある2階を目指した。歩くたびに軋む廊下が少し新鮮だった。
「あ、お兄様、あの部屋のドア開いているわ」
2階に上がった途端、サラがそう言った。ヘルトも見てみるが、確かに扉が少し開いている。起きてはいるという事か……?
ヘルトはコウの寝室に歩み寄り、ロウベルトらもそれに続く。4人は部屋の前に立ち、この中に精霊の王が居るという不思議な心地に心臓が高鳴った。
ヘルトは半開きの扉に手を掛け、少し手前に引く。
その時4人の目に映った光景。それは……金色の空間、後光の射す一室にその身を置く神々。
ここは、聖なる領域──。
部屋の中を見た4人は、一瞬の間に幻を見た。しかし瞬きした後に映ったものは、一人の少女だけだった。
── 今の光景は……?
4人共がそう思い何度も目を擦り確かめるが、やはり寝室には少女しかいなかった。
「あれ? ヘルトさんに……えーと、どなただろう」
コウは不思議そうに見知らぬ男女を見る。ロウとカナリアは目をまん丸に見開いて、身を打つ様な衝撃に耐えていた。
「あ、いや……見間違いかな」
「え? 何がです?」
「いやいや、いいんだよ。それより紹介したい人達がいるんだ。ロウベルト」
名指しされたロウは固まった脳を奮い起こし、ヘルトの横に立った。彼は面長の顔に髭を若干こしらえており、背丈も普通男性と変わらないので一見どこにでも居そうな男性だが、目の据わりが普通とは明らかに違っていた。
「アムリア様、お初にお目にかかります。私はリュートニアと古くから関係を持つヴァスカ家の家長、ロウベルト=ヴァスカと申します」
「は、はい。ロウベルトさん、ご丁寧にどうも」
こんな挨拶はいつかの彼を思い出す。それは勿論ティレニア在中の髭執事の事だが。
「カナリア=ケイストです。アムリア様、この度のご来訪大変心嬉しく思っております」
「カナリアさん、だね。あ、ありがとう」
只の若い女中さんかと思いきや、非常に堅そうな人だった。教育が良くなされているとか、もはやそういう次元ではない。そうやって慣れない挨拶に戸惑うコウと同じくして、カナリアの後ろに立つサラはわなわなと肩を震わせていた。
普段は何事にも冷静なサラ、だが今は彼女の思考は既に入り乱れていた。何が起こっているのか解らない、理解できない、信じられない。ただそれだけだ。そんな妹の様子を見て、ヘルトは助言を加える。
「コウさん、この子が私の妹で──」
そう言いかけた時、鼓膜が裂けそうな程の金切り声が館中を伝った。
「うっうそでしょっ! まさか本当に……コウ──っっ!?」
「うわっ、びっくりした。その声もしかして……サラ?」
「え、あれ? 二人共知り合い、かな?」
思わぬ展開にヘルトまで混濁する。
サラとコウは確かに同じ機関に通ってはいたが、まさかこの二人が出会っていて、おまけによく知る者同士だったなど……周囲にとってはそちらの方が驚きだった。
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