22話 海の住人 「テラー! テラーー!!」 女性の叫び声が広い海に消えていく。船から落ちた子供はテラという子らしい。 その子の母親が必死で呼ぶが、波の高い海の中を見ることは叶わない。身を乗り出す母親だが、危険だと言って体を抑えられた。 それでも尚子の名を呼び続ける母親が、あまりに悲惨で見ていられなかった。 周りに居た男共は、海に落ちた子を助けようとするが……ここは海洋のど真ん中。 水深何千メートルという深さで、どんな生き物が住んでいるか知れない。 加えて海の伝説を知る彼らにとって、危険なことこの上なかった。 その伝説とは、海の底に潜む猛獣、海の獣と書いて海獣といわれる、恐ろしい獣が住んでいると噂されてきた。 その本当の姿を知るものはいないが、巨大な海の生き物という話に尾ひれがついて、「海獣」などと恐れられるのだろう。 人間の創造により化け物と化したその海獣は、決して人とは交わらぬ様に密かに息づいていた。 「海獣の存在は知ってるだろう? あいつらは通常海の底に沈んでるが、今日みたいな曇りの日には上まで上がってくる。今迂闊に海を荒らしてみろ、俺らは全員海の底に沈むんだ……!」 「でもっ……テラが……テラがぁーー!」 男共が制止するが、母親は悲痛な叫びをあげ続ける。コウは海の伝説など知るはずもない。 知ったところで、それを恐れるだろうか……? この世界の全ての自然物には精霊が宿る。 人間が化け物と言うその海獣も、おそらくは精霊なのだろう…。 「可愛そうに……だが仕方ない。もう手遅れだ」 コウの近くにいた商人の男がそう吐き捨てた。その発言に納得いかない。 腰に挿した愛剣をぎゅっと握り締め、傍にあったロープで固定する。 そのコウの動作に、商人の男はまさか……と思って声をかけてきた。 「あんた何する気だ?」 「助けにいく」 「なっ!? そんな無謀な事やめるんだっ」 男が止めるのも聞かず、コウは現場に駆けていった。 残された男は、嘘だろ? と驚愕している。 コウは荒れた集団の中を颯爽と通り抜け、子供が落ちたであろう場所に辿り着いた。 手すりに掴みかっかて、母親が泣き叫んでいる。その横にスッと出る。 母親もコウに気付き、枯れた声を出す。 「あなた……は?」 コウは母親を一瞥し、少し口に弧を描き、「大丈夫」という笑顔を見せた。 母親はコウの笑顔に気抜けする。母親を抑えていた男が、コウに向かって怒鳴り声をあげた。 「お前! 何やってんだ! 死ぬ気か!?」 「今ならまだ間に合うかもしれない。このまま放っておくなんて出来ない」 「しかしっ……」 男の腕を振り払い、コウは手すりに手を付いてグッと身を乗り出した。 気が遠くなるほどの高さ……下は海。 果てしなく深い海。恐くて足が震えた。 だが、このままじゃ何もしないまま、見殺しにすることになる。 助けれたかもしれないのに……という後悔だけが後に残るのは絶対に嫌だ。 コウは勢いよく飛び込んだ。ザパンッという波の打ちつける音が伝う。 一度体勢を立て直してから、息を吸って潜った。 「何だあいつ! 自殺行為もいいとこだ……!」 船の上では、コウの様子を呆然と見つめる母親と、その無謀な行為に苛立ちを感じている男共がいた。 騒然とした中で、一瞬空気が変わった。 それに気付いた男共は、船長の姿を見て助けを求めるかのように走り寄る。 「船長! 大変だ! 海に落ちた子を助けに……カイルがっ……」 「……何っ!?」 予想外の事に、船長−ユーリック−も愕然とする。もはや二人とも助かるまい……。 昔から、海に落ちて助かった者など一人もいないのだから……。 ←前へ|次へ→ [戻る] |