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19話 旅の始めに


 19話 旅の始めに


 昨夜は既に十二時を回っていた。

 自室に戻る時間もなく、コウはその日ティレニアの奥にある宮殿で体を休める事にしたのだ。

 けれど寝る間際の記憶があまり無い。次の日には西国へ渡らなければならないというのに、フレアンが同行してくれるというだけで浮き足立っていた。

 ところが、それからの記憶が曖昧だ。

「……?」

 いつ夢から醒めたのか。外の鳥達が騒がしく鳴いていた。

「……重、い?」

 体に違和感がある。
 背中が何だか暖かい。
 どうせカルロがひっついているのだろうと思い、コウはゆっくり体を起こした。
 ところが虚ろな目に映った者は想像より遥かに忌々しき人物だったのだ。

「ひ! ひゃーっ!?」

 まるで化け物を見たかの様な叫び声が朝の宮殿に響いた。
 朝食の支度をしていたダイスが慌てて天の間へと向かう。

「コウ様、何事ですか!?」

 そう言って天の間の扉を開くと、乙女の鉄拳をくらった黒髪の青年が寝台から転がり落ちているのが見えた。
 遅かったかと、ダイスは肩を落とす。
 赤く腫れた頬を押さえる青年は一旦放置し、その拳を振り上げた乙女を見た。
 彼女は寝床の上で膝を付き、前に手を付いて片手は未だ拳を作っていた。手は若干赤く擦れている。

「何で!? どうしてフレアンさんが私のベッドに居るの!? 何で一緒に寝てるのー!?」

 乙女とは言えない程の絶叫ぶりだ。
 ダイスは何とか宥めようと部屋へ入るが、それより先に青年が立ち上がった。
 黒髪と深い緋色の瞳はいつ見ても魅力的だ。
 殴られた部分を優しく擦るその青年、フレアンは普段通り冷静に返した。

「何故だと? 昨日の夜、君が俺を離さなかったからだろう。始めに言っておくがこれは不可抗力だ」

「うそよ! 騙されないんだからね! そんな恥ずかしいこと私がする筈ないもの!」

 コウはぶんぶんと首を横に振ってフレアンの言葉を拒否した。
 フレアンは軽くお手上げ状態でダイスに助けを求める。
 やっと弁明が出来ると、ダイスは一つ咳を払った。

「コウ様、彼の言った事は本当ですよ。昨日お休みになる時、貴女がどうしても彼の服を離さないものですから、とりわけ今日は起床も早いことですし、私から彼にお願いした次第でございます」

 ダイスは丁寧に頭を下げた。
 年頃の娘と若い男が一夜を共にするなど、ましてそれが精霊の王女ならば、守護家リュートニアの家令が許すはずも無い。
 この例外中の例外を許した理由は、ダイスのフレアンに対する絶対的な信頼にあった。

 そんな事などコウは知る由も無い。これだけ昨夜の話を聞いても記憶が全く無いのだから、自分が恐ろしくもなる。
 両手を頬に当て、この世の終りのような顔をするコウに、フレアンは納得がいかない様子だった。

 勿論、顔を殴ったくせに昨夜の記憶も無いとは理不尽な話だし、それに加えてそんなに自分と寝布団を共にするのが嫌だったのかと男としての純粋な心も砕かれた。



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