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30話 帰郷18

「それは……」

「本来の彼は別格だからね。彼の欲する精神量を満たせなければ、サラ、君が命を持っていかれる事になる」

「──っ!」

 精霊と契約するに当たり、欠かせないもの。それらは人間の精神量に依存する。力の強い精霊と契約するには、それなりの精神を持つ者でなければならなかった。

「わかりました……」

 サラはゼオロードに対峙し、ゆっくり顔を上げる。サラの金の瞳が美しく暗室に浮かんでいた。その心地良い眼差しを受けながら、ゼオロードは契約の法に則ってサラとの契約を解除する。

『サラ、初めに言っておくが、この私を封ずる者はお前以外では在り得ない』

「……上等よ、ゼオロード。何度だってこの私が捕まえてあげるわ」

 命を取るか取られるか。その境目に立たされたサラは、恐れる心を排除し、目の前の強豪に立ち向かう。

 この心を支配する、不思議な少女を思い描きながら……。


++++++++++


 夕食を済ませたコウは自室へ戻り、果物を頬張っていた。まだ食べるのかと呆れ顔のカルロは、今は人型をしている。金の長い髪が部屋に散布し、いちいち目につくのだ。

「カルロ、もういいんじゃない?」

『何がです?』

「だからね、もう元の緑狸に戻りなよ」

 葡萄の次に桜実を摘むコウを見て、カルロはゆっくり立ち上がる。

『この姿が本来の姿だと申し上げたはずですが』

「あれ? そうだっけ」

『はぁ……』

 出た、カルロの面倒くさがりが。説明するという行為は特に面倒らしく、私相手でもたまに話を止めてしまうことがある。

「カルロはおじいちゃんだもんね、仕方ないか」

『……ちょっと待て』

 カルロの口調が急変し、私は桜実をぐっと喉に詰まらせる。明らかに不服そうな顔をしたカルロは、絹擦れ音をさせながらすぐ傍まで寄って来た。明りを遮る程の長身が目の前に現れ、私の動悸がびくんと跳ねる。

「な……何よ」

『私をじじいだと言ったか』

「え? ……うん」

 意外に……気にしているのだろうか? 歳など数えられない程生きているのだから、そんな事は一々気にしないのだと思っていた。

『私のどこがじじいだと言う』

「態度変わりすぎだよ……恐い」

『……答えなさい』

 私が怯えているのに気付いたカルロは、口調を戻す。が、やはり表情は強張っていて恐ろしかった。

「そんなに怒らないでよ、どうしたの?」

『貴方は私をどう見ているのですか』

「どうって……」

 突然の、予想だにしていなかった質問に、聊か躊躇う。コウは目線を上に移し、カルロを見上げた。上目遣いとも言えるそれは、カルロの表情を少し崩した。

『私の想いも知らずに、貴方は……』

「え……何? カルロ?」

『もう……いいです』

「ちょっと!?」

 カルロがあっさり身を引いてしまった。ここまで言っても気付かないなら、敢えて言うまいと思ったのだろう。カルロは元の場所に戻り、ゆっくり腰掛ける。盛大な溜息のオマケ付きで。

「何よ、言いかけてそれはズルイわよー」

『…………』

「──もう知らない!」

 カルロは今までがそうだったからか、何でも隠す癖が付いていた。今更になって後悔するが、もう遅い。カルロが振り向いた時にはそこにコウの姿は無く、とっくに寝台に横になっていた。まるで子供が拗ねるように。

 怒らせたいわけじゃない、傷つけたいわけじゃない。ただ……思う様に言葉が出ないだけだ。

『……寝てしまったか』

 静かに寝息を立てるコウを横目で確認し、カルロは音も無く立ち上がる。テーブルに置かれたままのコウの鞄を開け、一冊の本を取り出した。

『古の本……太古の歴史と偽りの伝承、か』

 小さな風にも溶けて消えそうな程の呟きは、カルロを落胆させた。

『こんなもの、コウに渡して何をしようと言うのか、私は……』

 その本を片手に乗せ、もう片方の手をかざす。すると瞬間に本は消滅した。

『こんなもの、必要ない』

 だが必要ないと思える様になったのは、今になって漸くだった。

 初めてコウと出会った頃を思い出し、カルロは消し去りたい過去の自分を知る。あの頃の自分はまだコウという人間を理解しておらず、何千年、何万年と探し続けた世界の救世主を勝手に彼女と被せて見ていた。それは間違っていなかったと、今でも思う。コウなら全てを知っても変わらずにいてくれると、信じているから。

 ──だがそれは、己の傲慢でしかない。

 彼女に過去の事まで背負わせて、何をさせようと言うのか。いつまでも昔に囚われている自分こそ、愚かしい、何よりも。

 彼女に人としての幸せを与えてやりたいなどと思う精霊は、今はきっとどこにもいない。だが、これから先コウが精霊の王として立派に歩むにつれ、恐らく全精霊がそう願う様になるだろう。

 ただ今は、この小さな命が絶やされぬ様、護り貫く為に自分が居る。

 それだけで、十分だった。


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