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第1話:01ティレニア

闇の中にいた。
深い底に沈む様に、私は眠っていた。
偉大なものに包まれている感覚と、からだをすり抜けていく何かに、心が奪われる。ああ、こんな殺伐とした場所にも、風は吹くのだと。
次第に光と色が見えはじめ、ぱちりと瞬きをした目に、見事な青空が飛び込んできた。

第1話 ティレニア

小鳥の声が聞こえる。他にも何か生き物の鳴き声がしている。あれは何だろうかと考えながら、ただ、視界の全てを支配する青空を眺めていた。

少し落ち着いたところで冷静に考えてみると、今の自分は果たしてどういう状態なのだろうか、という疑問へ辿り着いた。手は、動く。足も動く。痛みを感じる部分はどこにもない。背中が少し冷たい気がして、土の匂いまでする。
冷たい地面が心地よくて、丘の草花が揺れるのを横目に、しばらくそのまま空を眺めていた。

「雲……大っきいなぁ……」

燦々と照りつける太陽が、何故だかいつもより大きく見えた。

「……あれ?」

間抜けな声で自分に問いかける。何故こんなに明るいのだろう。さっきまでは夜だったのだから、外は真っ暗なはずだ。夕飯のいい匂いがしてきて、そろそろかと部屋を出ようとして、それから。

「部屋って……自分の部屋?」

その辺りの記憶が曖昧だ。

「誰と一緒にいたんだっけ……」

自分は確かに頭がすごく良いとは言えない。よく忘れ物をするし、テストはいつも一夜漬けだからちっとも身につかない。それでも自分が誰なのか、何処の人間なのか、それを忘れてしまうことは流石にないだろう。
だが、今の今まで何処で何をしていたのか、自分が誰なのかも思い出せなかった。

「うそ…全然思い出せない。なんで…? 本当に、何も…」

自分でも信じられないことだが、どうやら本当に何もかもを忘れてしまったようだ。漠然と感じるのは、心にぽかりと穴が空いた様な喪失感と極度の不安だった。

人は尋常でないことに巻き込まれた時、きっと今みたいに何一つ驚けない状態に陥るのだろう。

「と、とりあえず頭の中を整理しなきゃ……」

整理といっても覚えている情報が少な過ぎる。

「名前は?」

「コウ!」

私は即答した。その声の主が誰なのかという疑問は今の頭の中にない。そんな余白はない。
だが次に聞こえてきた「何処の国の人間だ」という質問に対し、言葉に詰まってしまった。誰もが知っていることを冗談なくして覚えていないなんて。

「君は家出か?」

「まさかそんな…」

そこで漸く声の主に気付いた。正確には、思考が一瞬止まった事で疑問に気付けたということだが。

「それとも記憶がないのか。お前…大丈夫か?」

コウの横に、恐らく先程からずっと立っていたのは、兵士のような服を着た男の人だった。仰々しい兜のせいで顔をはっきりと見ることはできない。
今の自分の置かれてる状況も理解してないのに、質問攻めにあわされて、コウは非常に困っていた。そんな様子に普通ではないことを感じ取り、兵士も言葉を選んだ。

「君はここが何処か分かるか?」

質問に対してだけでなく、もう全てに対して分かってない。コウは力いっぱいぶんぶんっと首を横にふった。すると兵士は深い溜め息を吐いた。顔ははっきりと見えないが、面倒くさそうな雰囲気を匂わしている。一番説明して欲しいのはこちらなのに。

これ以上話しても埒があかないと判断したこの兵士は、ひとまず場所を変えることにしたようだ。

「仕方がないな。とりあえず町まで連れていく。おい、立て」

「え…でも…」

「早くしろ」

見知らずの男性について行ってはいけません、という常識的なことはもちろん忘れていないが、コウは全ての言葉をごくりと飲み込んだ。危機的状況に陥ると、本能的に回避行動をとるようになるのかもしれない。

兵士の後をついて行き、丘から少し歩くと、小さな町があった。煉瓦造りの家々が立ち並んでいて、そこら中が赤褐色で埋め尽くされており、独特な文化が現れていた。所々植えられている木々は景観をより一層統一させている。

なんと素晴らしい町だろうか。都会とは決して言えないが、見る人の心をとても優しい気持ちにさせる。コウは素直に感動していた。

「ここはフィナの町。私が警備している所だ」

町の名前を聞いてもさっぱりで、コウは首を傾げた。やっと町に着いたと思ったらまた知らないことばかりだ。

町の入り口だというのに中央広場の人々の声が聞こえてくる。ここ、フィナの町は活気のある町なのかもしれない。

「あれ、フレアンさんじゃないか! 元気にしてたかい!?」

町のど真ん中から、恰幅のいい女性が大声を出して走ってきた。歳は三人目の子供がいても可笑しくないくらいに見える。

「ああ、こんにちは」

兵士はにこやかにそう返事をした。先ほどの命令口調だったときと比べると、同じ人間とは思えない。コウは少し口を尖らせたが、よく考えてみれば、見ず知らずの人間に手を貸したフレアンという兵士は十分親切なのだろう。

「今日は新鮮な野菜が取れてねー。あれ? その子は…」

彼女は野菜を片手にコウへと視線を遣った。コウがすっかり戸惑って返事をしないでいると、すかさず兵士が間に入った。

「この子は今日から軍事教育を受ける子で、今から本部へ連れていく所です」

「まぁそうなの! まだ若いのに頑張るわねぇ」

「……ええ!?」

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