30話 帰郷15*
「ご無事でなによりでした」
船室で一息ついていたマリアとレッドの元へ、一人の若い男が現れた。彼を見るなりマリアはぱっと笑顔になり、久しい同志の名を呼ぶ。
「グレイ、貴方だったのね!」
「はい。と、もう一人」
部屋に顔を出そうとしない恥しがり屋な男が、やはり顔はそっぽを向けたまま部屋に入ってきた。
「あら、機嫌が悪そうね、アーク」
「……」
マリアは幼馴染に歩み寄り、その薄緑の髪を撫でる。優しく、まるで姉の様に。彼らの様子を黙って見つめるレッドは、この時だけはなぜか顔に影を落としていた。
「リセイ様が異変に気付かれたので、我々も早急に対応出来ましたよ。しかしこう何度も起こるとは何事でしょう」
「おいグレイ、俺らの他にも賊に襲われた奴がいるってのか?」
「はい。一次帰国者は自力で帰ってきましたが。並外れた体力をお持ちなんでしょうね、彼は」
マリアとレッドは互いに顔を見合わせる。自分達より先に帰国船に乗った者は、思いつく限り彼らしかいない。
「まさか……クリスお姉様が!? クリス様はご無事なの!?」
「彼女は大事無いですが……ご自分の兄の心配もしてあげてください」
グレイは少し呆れたように物を言う。対するマリアは、クリスと同じ帰国船に乗っていた人物を予測し、更に動揺し始めた。
「お兄様まで……」
「大丈夫ですよ、二人共怪我ひとつなかったですから」
「ははぁ、教皇の野朗も一緒だったのか。そりゃ奇怪な事もあるもんだな」
高笑いしながら言うレッドに構うことなく、マリアは大切な人の無事を知って心を落ち着かせた。アークもまた、そんな彼女を見て肩の力を緩める。同じ覇王の影として苦労する事は互いに同じで、特に役割上、覇王の傍を離れることが多い彼女にとって、日々の連絡は欠かせず、また消えることのない不安の種でもあった。
「それで、リセイ様のご処分は……」
「ああ、その心配は及びません。たかが十日の謹慎ですから」
冷静に答えるグレイだが、やはり罰が下されたこと事態が許せないようだ。怒りを静かに吐息に流し、再び報告を続ける。
「議会には帝王の姿はありませんでした。お体の具合が優れないのでしょう」
「心臓を患っておられますからね、帝王様は……無理もないですわ」
帝国の最高権力者、帝王クライス。彼はこの数年殆ど宮から出ることなく、病の苦しみに耐えながらひっそりと暮らしているという。そのせいで今の帝国は国を先導する絶対的な指導者が欠けている。
議会は成り上がり者の集まりと愚弄される王属司祭共の言いなりで、議会長も歳の所為かその権限を徐々に失いつつあった。帝国には歳を召した者か、まだ政治が何かも分からぬ若輩者が多く、国を担うだけの人材が異常に少ない。それは十年程前に起こった大規模な戦争により、多くの待望者を失ったことが原因でもある。
「それで、賊の割り出しはどうなってんだ?」
レッドの問いに、グレイは少し不機嫌そうに答えた。
「私には分かりかねます。アモン教皇にでも聞いてください」
「ああ、教えてくれなかったんだな、グレイ君」
図星を疲れた彼は頬を膨らます。それはグレイ特有の”ムッとした表情”。対するレッドは浅く溜息を吐き、あのまま永久漂流にならなくて良かったと、徐に寝台に横たわる。
「普通の賊だと思うけど、戦った時、少し違和感があったような気がするのよね」
「違和感?」
何かを思い出そうとしているマリアに、アークが聞き返す。
「そう、帝国船を襲うのだから何か特別な恨みがあってもおかしくないのに、彼らの目的が何なのかはっきりしないの」
「ただの嫌がらせ……ではリスクが高すぎるか。帝国に恨みを持つと言えば東国関係だろう」
「それも違う気がしたの。何なのかしら、こんな戦い方初めてだわ」
「同じ事を言うのですね、マリア」
黙って話を聞いていたグレイが声を出す。同じ事とは、つい先ほどアモンがリセイに伝えた言葉で、彼はそれを僅かだが聞き取っていた。
「アモン教皇も確かその様な事を。どうやら気のせいではなさそうですね」
「そう、お兄様が……」
何かを恋しむ様に、マリアの口から零れた呼び声、大好きな兄。彼と離れて軍に就くと決めたのは自分の意思だけれど、思い返して時々悔やむ事もあった。出来るなら兄と共にリセイを支えられたら……けれどその願いが叶う事は無い。例えこの先、国が平和になろうとも、兄は必ず泥を被るだろうから。
「とにかく、全ては帰国してからです。それまで体を休めていてください」
「ああ、わざわざありがとうな」
そうしてグレイ達が部屋を出る様子をぼうっと見ていたマリア。気が抜けた様に座る彼女は、いつもの可愛らしさなどはなく、少し落ち込んでいた。
「気にするなよ、これはお前の失態なんかじゃない」
「でも……」
「大丈夫、きっとリセイも分かってるから」
な? と宥めるように笑うレッドが優しくて、マリアは沈んだ心を浮上させた。この笑顔が幾度となく自分を救ってくれたというのに……やはりいつも通り素っ気ない態度しか取れない。
そうして各々が、波の揺れに身を任せ、恋しい故郷を待ち遠しく感じていた。
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