30話 帰郷10
大堂院の端で、青年達の話を聞いている者が居た。彼は顎に大きな白髭を蓄えた老人で、彼こそが帝国宰相ヴォルテール=ウィズナーである。
今回のリセイへの最終処分決定者でもある彼は、この結果に満足はしていた様だ。
ただこの時のヴォルテールの瞳が捉えていた男は、銀髪ではなく、長い金髪を持つ青年。
だが彼もリセイと別れた後直に司祭院に戻った為、大堂院には今は宰相の姿しかなかった。
そこへ現れたもう一人の影。それはヴォルテールの前に立つと、少し不機嫌そうに話しかけた。
「甘すぎはしませんか? 宰相」
「ふむ、何の事じゃて」
「とぼけても無駄ですよ」
その影は、深碧の短い髪を持つ青年で、宰相は彼を見ながらその名を呼んだ。
「ふぉふぉ、敵わんわい、ラグナにはのう」
「誤魔化さないでください、父上」
ラグナは老いぼれたこの宰相を真剣に見詰めた。老人は髭を擦りながら、ゆっくり言葉を紡ぐ。それも非常に小さな声で。
「リセイの処分はのう、あやつが先手を打ってきおったわい」
「あやつ、とは」
「言わんでも分かろう。一人しかおらんからな、煩い王属司祭共を抑えれる者など」
ヴォルテールの脳裏にはまだ金髪の青年の姿が残っていた。彼の子供の頃を思い出すと、自分の胸が少し痛む。
「これでは我が国は軍の思うままです」
「そう憂うな、今回ばかりは覇王もやり過ぎだと反省しておる様だぞ」
「……それが本心ならいいですが」
ラグナは顔を反らし、上を見上げて空を垣間見た。この空はこうも綺麗に晴れているというのに、この国の先々は一行に見えない。それがこんなにももどかしいとは……。
「このまま王属司祭達が黙っているとは思えません」
「放っておけ、どうせ小細工紛いの事しか出来ん。だが……大司教だけは」
「分かっています。今まで通り、監視を」
その答えを聞き、宰相は深く頷いた。偉大なる帝国議会の要、宰相ヴォルテールは七十歳を越えるという高齢だが、彼の後継者ははっきりとしていなかった。周囲は当然の様に息子のラグナティウスが継ぐと考えている様だが、宰相は未だに公言していない。それを気にしていると言えばしているラグナだが、今の彼には職や地位より大事なものがあった。そう、何よりも大切な人が。
「元気にしておるか、あれの倅は」
「はい、数日伏せる時もありますが、最近はよく外に出て散歩をされます」
「そうか……」
ラグナの返答に宰相の瞳が優しくなる。彼にとっても大切なのだろうか。不憫にも産まれた時から残酷な運命を背負うその者を……。
「私はこれにて失礼します」
ラグナは身形を整え敬礼すると、宰相の元を去って行った。久しく見た息子の後ろ姿が、想像していたよりも立派に見えて、またひとつ笑みがこぼれた。
「ふぉふぉ、さて、わしも行くとするかの」
──帝国の行く末はお前の手に掛かっている、リセイ=オルレアン──
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帝国ヴェーゼンス城の表門前に、数台の馬車が待機していた。それらは一般の貨物用ではなく、外側に帝国の紋様が刻まれており、聖軍の印を写した旗が掲げられていた。白の外装に緋と金で縁どられ、それだけで高い身分を表しているこの馬車から、一人の女性が顔を出す。
彼女は軽々と馬車から降りると、城門から出てきた男達を出迎えた。
「お疲れ様です、カイリ様」
女性は少し巻いた長髪を揺らして、カイリに歩み寄る。白服に赤の甲殻を纏った厳粛な男、カイリ=エディンは親しげに返事をした。
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