芦澤
「ハッ、入ってこいよ」
高宮が呼ぶと、ドアの壁から顔が少し覗いた。
芦澤だ。
どうやら既に普通の生活に復帰しているらしく、長い髪を後ろで結んでポニーテールを造っていた。
そしてゆっくりと片足を病室に踏み入れて、もう一方の足もまたゆっくりと踏み入れる。
「あ……芦澤……」
夏喜は少し驚いた顔をする。
しかし、その驚きの中に安堵のような表情も含まれていた。
「ぁ……」
両手を後ろに回した芦澤は扉の所で足を止めて、パクパクと口を動かしている。何かを言おうとしているのだろうが、言葉がなかなか出てこないようだ。
「あははっ、何をつまってる?」
朧はその様子をみて、口を大きく開けて腹をかかえて笑っている。本当に昨晩の面影はなかった。
「っ…う〜〜」
芦澤は朧にからかわれたために顔を真っ赤にして下を向いてしまっている。
歯を強く噛み締めていて、どこか悔しそうだ。
「だ……大丈夫なのか?朧?」
「なぁに。心配いらぬ……ないはず」
朧の言うとおり、芦澤が顔を上げた。
そして、顔を上げたかと思うと、大きく一歩一歩踏み出して、物凄い早さで近づいて来ると、あっという間に夏喜の横に立った。
「お……おぅ、芦澤…」
夏喜が少し戸惑いながら芦澤に話かけたが、言い終わらないうちに夏喜の鼻先に茶色い紙袋が現れる。
「あげます」
「うへ……?」
「あげると言っているんです!!」
そう言っている芦澤だが、夏喜となかなか目が合わない。ただ、紙袋を突き出しているだけである。
「あ……ああ、ありがとう」
夏喜は紙袋を素直に受け取る。その中身はたい焼きだった。
おそらくあんことクリームが一つずつ。
「もっといいものにしようかと思ったんですけど……財布が……」
顔を赤くしながら苦笑いを浮かべている芦澤。どうやら経済的な状況は夏喜と大差ないようである。
「別に大丈夫だよ?たいやきは案外好きなモンだし」
「そうですか……よかったぁ」
芦澤は胸を撫でおろしながら、安堵の笑みを浮かべる。
「……フンッ、じゃ、俺らは行かせてもらうぜぇ」
「お二人でごゆっくりとな〜」
高宮と朧はどこか居心地が悪そうにして扉に向かって歩き始めた。
「え……おい」
「あ……そうそう」
夏喜が呼び止めた事に反応したわけではなく、何か言い忘れたから朧は立ち止まった。
「禁書目録の件だが……あちきらの目的は達成されたから」
「え……?」
「記憶を消すことは必要なくなった。この学園都市のある生徒のおかげでな」
「どういう事だ?」
「そういう事。じゃあな」
夏喜にはなんの事だかよくわからないが、芦澤にとってはこれ以上ない知らせである。これには芦澤の心臓が大きく跳ね上がった。しばらくの間驚き、放心ように目を大きく開いたままだったが、それから2、3秒たつと、振り返って願いが叶った子供のように喜びに溢れた目に変わっていった。
「よかったね、芦澤」
朧はそう言って部屋から出て行った。
「芦澤……なんだったんだ?」
芦澤がハッとしたように夏喜に振り返る。
「いえ……気にしないでください」
「そっか」
[*前へ][次へ#]
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!