Merging Melodies
6
『バオップ、はじけるほのお…っ!』
フォアイトの心中の激しい変化など露知らず、知る必要もないポッドは、容赦なく目の前で身構えようともしないこうおんポケモンに指示を下す。
あ〜らよと馬鹿にしたような調子でそれに答えたバオップは、くるりと陽気に飛び上がりながら縦に回転、握った右の拳を腰に引き付けながら空中で正面を向く。
そのままぐぐっと右肩を引いて着地した彼はその右腕に、先端に向かって収束するような形で橙の螺旋を纏わせはじめる。
すかさず、ほいやの掛け声と共に掌を正面にして突き出された腕は、そこに集まった熱の螺旋を一くくりの弾丸へと変え、弾き出すようにそれをこちらへと発射した。
『なにあれ、ジャンプする意味あったのだ?』
『無駄口叩くなって。あなをほるだ。』
『え…?みずでっぽうで相殺とかj』
『あ・な・を・ほ・るだ。』
二度目の指令でようやくフォアイトに従ったイッキュは、そのドヤ顔に全く似つかわしくない素早さで指先を床に向かって突き刺すと、同じくそのドヤ顔に似(ryで腕を掻き回して、土に似せて作られているバトルフィールドの床を掘り返しはじめた。
あっという間に床下に隠れて見えなくなったイッキュの頭上を、元々彼の顔のあった位置ピンポイントで強い熱気が通過し、直後にポッドの舌打ちが耳を掠める。
的を失って突き進んでいった業火の実弾は、その先の殺風景な茶色い床面に勢いを失わないまま衝突、そのまま鎮火するかと思われたが、予想に反して床面で文字通り「はじける」ようにして破裂すると、荒ぶる火の粉を四方八方に大きく飛び散らした。
『ちょ、こっち飛んdあちゃちゃちゃちちちっ!』
バトルフィールドを飛び越えて赤絨毯上や並んでいる机の上に点々と赤黒い印を刻んで行く予測不可能な炎粉は、火の玉の被弾地点のごく近くに佇むフォアイトらにも、容赦なく降り懸かった。
長袖長ズボンで皮膚の露出の少ない彼の装備でも、不規則な火炎の粒子を全て防ぐのは無理な話で、衣服によって包まれていない彼の両手や頬のあちこちを周りの肌より一回り濃い赤に変えていく。
『おいこらてめぇポッド!今俺狙ったろう、俺を!直接攻撃じゃねぇか!ルール違反じぇねえか!もう少しで目に入るとこだったじゃねぇか!反則だろうがこの短足!』
突如襲い掛かってきた苦手な火に怯えて、再び上着の中に隠れていってしまったツンちゃんのぴゃぁぁ!火はやだ!炎無理!という大きな叫びで甚大な被害を受けた鼓膜や、ひりつき始めた所々の火傷を気にかけるのもほどほどに、フォアイトは真っ先にごく自然に反則事項を行ったジムリーダーに、度の過ぎた悪態をつく。
一方、先程から度々フォアイトの減らず口に乗せられてろくな目にあっていないポッドは極力、彼の言動に耳を傾けないよう尽力していたのだが、彼が最後の二文字を発した途端、今まで額に浮き上がっていただけの青筋がプツンと切れた。
『うぅっっるせぇんだよぉっ!さっきから聞いてりゃあっ、何だっ!その態度っ!それがっ!挑戦受けてやってるジムリーダーへの…っ!』
『あんたさ…。』
『って聞けよっ!』
振動でティーカップが割れるんじゃないかと身構えるほどの最大音量で憤慨するポッドを、フォアイトは直前の悪口雑言の時とは打って変わって、帽子に手をかけながら非常に淡々と制止させる。
『もう一度言うぞっ!俺達はなっ!お前の挑戦を受けてやってるんだっ!よくもまあそんな不躾な態度を続け…、……っ!』
再び食いかかろうと声を荒げたポッドは、ここにきて始めてフォアイトの目をしっかりと見て言葉を詰まらせた。
『あんた、…超乗せやすい…。』
真剣勝負の場では一瞬の油断が命取り、敵は常に自分の一抹の心の緩みを狙って目を光らせている。
そんなことは百も承知であった。
だが、ポッドにとって、目の前の少年は、口先のうまいだけのヒヨッコだった。
いくら「あの力」を使えるからといって、そんなポケモン手にして一週間経たないような小物に、自分が負けるわけがない。
ついこの間までタイプ相性の復習をしていたであろう未熟者に、マジになった自分が手傷を負うはずがない。
そう思っていた。
そんな彼の不備な部分をフォアイトは見逃さず、僅かに転がっているチャンスを手際よくかき集めた。
目を血走らせながら怒鳴り散らしていたポッドが、それ相応に固い何かが砕けるような音を聞いてハッとしたとき、ついさっきこちらの第一砲をかわして地中に姿を消したはずの空色の仔猿が、細かく砕かれて小石大になった地層と共に、余裕ぶって仁王立ちのままのバオップの背後にヒョロリと頼りなさげに伸びた自らの尾の先を向けながら宙に舞っていた。
『なにい!?』
『しまっ…!』
またしてもやられた、もうお前悪役何じゃないかってくらい釣り上がったフォアイトの口許を不意を突かれて丸まった瞳で見つめながらそう口に出すことも間に合わないまま、ポッドは一瞬間の油断と驕り省みる。
それも中途半端に過ぎ去ったころ、同じくポッドに背を向けていたバオップが彼の指示も無しに、今正にバオップ自身を狙撃せんとするイッキュと距離をとろうと、素早く体を反転させながら後方へと大きく弓なりに跳んだ。
しかし、ワンテンポ先に攻撃の準備に入っていたイッキュは、バオップが動きはじめて間もなく、フォアイトからこれといった指令も下されないままその次の動作を開始した。
元来、乾燥した環境を嫌うヒヤップは、頭の噴水みたく不自然に暴発している房に水を溜め込み、尾からそれを撒き散らして辺りを湿らせる習性を持つ。
本来この特性は、彼らヒヤップが乾いた土地でも生活していくために身につけた生きるための知恵だ。
が、時にその特性は、同じく生きるための知恵の一つとして、攻撃手段にもなりえる。
おつむの先に溜め込んだ大量の水分を、一気に尻尾の砲身へと送り込むイッキュ。
外部から目で見て分かる程に膨らんだ尾の標準を合わせ、尻尾の付け根から先端にかけて搾るように目一杯の力を込めた彼は、内部の水分を十分に圧縮する。
技―みずでっぽうが、唸りながら空を駆け抜けていったのはその直後。
水を高い圧力で放出し続ける本来のその技に比べ、先程のバオップのはじけるほのおにも似た弾丸のように凝縮して発射されたイッキュそれは、本来の「みずでっぽう」よりも格段に威力、スピード、共に増大していた。
故に、いくら肌で感ぜられる程のレベルの差がそこに存在していようと、まともに直撃すれば水が弱点であるバオップにとっては一たまりも無いはずなのだ。
しかし、それはあくまでヒットすればの話し。
水の凝縮によって威力、速さは跳ね上がったものの、当たり判定のある表面積、つまり、攻撃範囲は圧縮によって逆に縮んでしまっている。
それに、一撃を放つまでにタイムラグが激しい分、小回りがきかない。外れてしまえばそれまでなのである。
要するに、本来みずでっぽうに備わっている安定した命中率や連続性能は無いということだ。
驚愕の真っ只中にいながらも咄嗟にそのことを読み取ったポッドは、逸らせっとだけ早口にバオップに言い渡す。
彼と同じく、この技の盲点を瞬時に察知し、指示されるよりも前に動き出していたバオップは、空中で後ろに跳躍したままの体制で、右腕を目にも留まらぬ早さで突き出した。
僅かなオレンジのうねりがその掌で球を象り、それを目視するころには既に飛沫を散らしながら迫る水の弾丸に打ち出していた。
乱回転しながらまっすぐバオップに特攻する水弾の下端に、一回り小さな火球が減り込む。
須臾の間、反発しあうように表面を削り合わせていた両の玉は、直後には各々別の方向へベクトルをずらした。
火の玉は勢いを衰えさせながら下方へ、水の弾は一部を白い煙と化して空気に溶け込みながらもほぼ勢いを保ったまま上へ。
割合床に近い位置衝突だったため、火の玉は先に着弾して破裂する。
先程のそれよりも荒く飛び散った炎は大きさに統一のない火の粉を生み、着弾地の目の前で着地するイッキュに紅の雨を降らせた。
『あーぶねー…。』
アチアチと踊る青の同種を見遣りながら、バオップは久々に浮かんできた額の汗を拭う。
咄嗟のはじけるほのおでもやり過ごせたとはいえ、もし当たっていたら例え一発堪えれたとしてもその後がきつかっただろう。
こりゃもうレベル差あるからって余裕ぶってらんねぇなぁ、と下唇を軽く前歯で擦りながら着地した彼の大きな両耳を、室内では到底耳慣れない爆発音が頭上から襲ってきた。
続き、バオップっ!上だっ!という主人の声とともに、視界が明るさの一部を抜き取られてたしまったように明彩が薄まる。
え、と口の端から湧き出た濁った母音が自分の耳に馴染んで行く前に、バオップは一寸前の光景を再び脳裏に描く。
寸でのところで弾き飛ばし、自分すれすれ「上」へとすっ飛んでいった先程のみずでっぽうという名の実弾。
あれはあの後どうなった?
かわすので精一杯だったバオップの脳裏に良くない予想がよぎり、直後に野性の勘がやばいと警鐘を鳴らす。
あの先にあったのは天井。そして爆発音…。
ハッとなるより先に見上げた彼の視界の八割に、ついさっきまでこのバトルフィールドを必要以上にきらびやかに照らしていたシャンデリアが、幾つもの瓦礫を率いて彼に向かって来ているのが映った。
そう、イッキュの放った瞬速の水塊は、軌道を逸らされた後も完全には勢いを削がれず、そのまま今バオップのいる位置の頭上まで直進し、とてつもない威力を内包したままこの建物と外部を隔てる天井に、重低音を響かせながら見事命中した。
耐久力の限界を越える強い衝撃を一身に受けたコンクリートの天井は、室内にムードと明かりを提供するシャンデリアを攫って崩壊。
重力の導きに従い、予測できないにわか雨をバオップの頭上に降らせているというわけだ。
(あのガキども…、ここまで考えて…。)
着地したばかりの短い足に鞭打って再び地を蹴ったバオップは、視界の隅に映り込んだちっちっちと人差し指を左右に振るフォアイトと目が合って片眉を潜めた。
激しく動く事を予想していなかったためか、連続ジャンプについていけなかった脚の筋肉が引き攣るも、間一髪、シャンデリアはバオップの目の前を掠めただけで、うまく文表現できない粉砕音と共に、星の砂の如き七光りを散布しながら不格好な平面と激突した。
伴って落ちてきた瓦礫や元々大きな亀裂を備えていた床が衝突の影響で粉塵と化し、濛々と広がって視界を覆う。
『くっ!バオップっ!』
落下地点を中心に、波紋を描きながらその支配域を広げて行く砂や塵に目を庇いながら、ポッドは姿の見えない相棒の名を叫んだ。
彼自身も大暴れするとは言ったが、まさかここまで荒れ放題のバトルになるとは思っても見なかったようで、焦りから来る汗を額に浮かべている。
傍らでこの試合の行く末を眺めていたコーンやデントも、昼間のベル以上にハチャメチャなフォアイトの戦いぶりに、煙と化したコンクリートの塵が舞い込んで来るのも構えないくらい、開いた口が塞がらない様子だ。
『ちっ!嘗めやがってあの子猿が…って俺も子猿だわ…。』
『言ってる暇なのだ?』
トレーナーの指示が通らずともバトルは続く。
否、ポッドが指示できなくともの方が正確か。
ツンちゃん、イッキュ、共に、相手のバオップとの間には、「あの力を」使っても詰めきれない程のレベル差が横たわっているのを出会い頭に即座に感じ取ったフォアイトは、そのレベル差を埋めれるだけの有利な状況を作るのがこの窮地を切り抜けるのには一番手っ取り早いと考えた。
つまり、ポッドとバオップの間の疎通を遮ってしまおうと思考を巡らせたのである。
その結果、少々手荒だが上手いこと回った頭が弾き出したのがこの作戦。ツンちゃんを下げて手堅くみずタイプのイッキュで攻めると見せ掛け、隙をついて鬱陶しいほど光り輝いているシャンデリアを落とし、混乱を生じさせる。
対戦相手の性格も幸運してか、割合スムーズに運ばれたこの強攻策は、今ここに、フォアイトにとって圧倒的有利な環境の生産に成功したのだった。
「あの力」を通して指示を受けたイッキュが、視界を汚染する砂煙の中でも、寸分の狂いなくバオップ目掛けてみずでっぽうを何発も打ち込む。
繰り返し鼓膜を微妙に擽る水弾の爆ぜる音で確かな手応えを感じたフォアイトは、頃合いを見て「留め」の指令をイッキュに「送った」。
頭の中に、まるで電子メールのように音もなく入り込んできた「その力」を感じ取った彼は、頭頂部で景気よく繁っている草木のような房の中身を搾りだし、必要最低限を残してその全てを砲口となる尻尾へ注送。
指令に伴ってきたフォアイトの「勝った」と信じきった心情を肌身で感じながら、イッキュは独りでに動き出す全身の筋肉に従い、岩をも砕く破壊力を孕んだ水の大砲を発射せんと腰を落とした。
その時だ。
少しずつに晴れてきた視界の向こうで、煙とは違ったなにかがゆらゆらと揺れながら、その不定形なその存在を増しているのが確認できた。
それを疑問に思う間もなく、その揺らめきは一気に大きさと勢いを増し、異常なまでの熱気で辺りの塵を蹴散らしてその姿を顕わにする。
そこには、まだかわいらしさすら感じられる短い腕を全て灼熱の業火で包み込んだバオップが、あれほどの連続攻撃にあいながらも全く堪えた様子もなく、何故か気まずそうに目を逸らしながら佇んでいた。
『『!!』』
『あ゙〜…。なんだ、その。』
長らく視界の妨げとなっていた粉塵が取り除かれ白日の元に曝されることとなったその光景に、イッキュ、フォアイト、そしてフォアイトの上着に隠れながら外の様子をのぞき見していたツンちゃんまでもが、驚愕で声にならない声をあげる。
そんな中、炎を纏っていない方の手で口元をかきながら、バオップは語尾を濁しながら言いずらそうに重たそうに顎を上下させた。
『なんか…ポッドはお前らをマジでぶちのめすってか…、寧ろ焼き殺すつもりらしい…。』
嘆息を交えながら語るバオップの様子は、まるで自分は本当はやりたくないのになぁといった調子が伺える。
沈黙するフォアイトらを前に、それだけ言いきったバオップは恨むなよとだけ最後に言い放つと、右腕の炎の槌を更に膨らませる。
その表面に禍々しい紅蓮の棘をこしらえて業火の鉄球を形作ると、彼は発射の構えをとって微動だにしないイッキュに飛び掛かってきた。
「ほのおのパンチ」にしては余りにも悍まし過ぎるその巨大な炎塊に普段の調子を取りこぼしたイッキュは、あわわわと情けなく声を裏返して後ずさる。
しかし、ぴゃぁっ!おっかないよぅ!と、再び完全に上着に潜り込んだツンちゃんの叫びで我を取り戻したフォアイトが、「力」を使いすぎてがたつく体に鞭打って後退の指示を下したお陰で、竦み上がっていたイッキュの足腰が震えを拭った。
文字通り、ギリギリのところでバオップの振りかざした焔の鉄槌を、得意のバック走でかわしたイッキュ。
続いて送られてきた、さっきとは打って変わって猶予の感じられない、発射という二文字だけのぞんざいな命令に従い、彼は肌を焼く過剰な熱気にタタラを踏みながら、再び足腰を踏ん張って尾に溜め込まれたみずでっぽうを最大限の力を持って打ち出した。
拳を振り抜いて無防備に上体を傾けていたバオップは、飛沫で地面に黒点を落としながら迫り来る水の凶器を前に、先程の焦りを全く露出させないまま正面で構えると、右腕の一振りでイッキュの渾身の一撃を迎え撃った。
強大な力どうしがぶつかり、相反する性質で、互いが互いを打ち消しあう。
一秒ほど続いたぶつかり合いは、次の瞬間には呆気なく決着を付けないまま大きく弾け、失われなかった両者の勢いを波動の如く辺りに拡散する。
体の小さな両者は言うまでもなく地に留まり続けることが叶わず、体を宙に投げ出さた。
『ぅっ、ぐぁぁあ!』
『イッキュ!』
『お、お猿〜!』
苦しげな悲鳴を穴空きの館内に響かせながら自分達の前に投げ出された火傷だらけのイッキュに、フォアイトとツンちゃんは思わず彼の名を呼んだ。
『平気、…なのだ。まだ…いけるっ、のだ…!』
『馬鹿言うな!ボロ雑巾みたくなりやがって!いいから早くこっちに…!』
それでもまだ戦おうと俯せの体を震わせるイッキュに、フォアイトは裏返りそうなくらいな大声で彼を引き止めようとして、止まる。
再び襲い掛かって来るであろうバオップの弾かれたフィールドの外へ目を向けようと顔をあげた彼の目に、反対側で佇むポッドの姿が映り込んだ。
数分前の殺気とは比べものにならない、邪気とも言えるような闇色のオーラを纏わせたポッドがそこにはいた。
明らかに人の域を越えているであろう切っ先の尖りきった鋭い両目は、食い殺すようにこちらを見つめており、先のバオップの台詞が嘘ではない事を明確に物語っている。
全身から滲み出るような黒とも藍色とも着かない焔のようなオーラは、決して思い込みや幻覚ではない、実際に見えている。
そして、彼の左の手の甲に見える不自然な光。
フォアイトは、以前似たような輝きをどこかで見た気がして咄嗟に記憶の引き出しを手当たり次第引っ張り出し、そしてそれがなにかという答えを見つける。
旅に出る前、ツンちゃんと一緒にいじくってたら、なんか開いちゃった開かないはずのオルゴール。
まぬけた声が鼓膜から脳に浸透しないうちに突然光を発した開かないはずのオルゴール。
おかしなテレパシーと不協和音の飛び交う無秩序空間へと自分を誘った開かないはずのオルゴール。
そう、所々で見たオルゴールの発した不思議な光。
今自分の目の前で修羅の如く荒ぶっている不気味な光は、彼が旅に出てからというもの、常に存在を主張してきたじいさんの形見のオルゴールのそれと、どこか似た類の物であることに彼は感づく。
しかし、まばゆきこそは同種として見えるその光は、温かさと懐かしさを感じさせてくれるオルゴールのそれと違って冷たさと混沌を内包しており、見るものの心を酷く不安にさせた。
戦慄すら覚えるポッドのそんな様相に、いよいよフォアイトにもえも言われぬ悪寒が襲い掛かって来る。
しかし、だからといって今度ばかりは怖くて動けないなんて事は言ってられない。
なんせこの状況をどうにかしない限りは、先に待っているのは間違いなく死だろう。
ジム戦に来て死ぬなんておかしな話だが、ポッドのあの表情を見れば誰だってそう感じて当然だ。
なにか手はないか…。
そう思った拍子に、先程の衝突で再び巻き上げられた塵やら水蒸気やらの向こうに小さな、しかし圧倒的な存在感を秘めた影を見つけ、一先ずここは無理矢理にでもイッキュをボールに戻すべきだと判断した彼は、震えないように強張らせた手を、腰のホルダーに付けてあるイッキュのボールに向けて伸ばす―――
『バオップ、場外により戦闘不能。ヒヤップの勝ち。よって勝者、挑戦者フォアイト。』
一瞬、その場が凍りついた。
淡々とした口調で、フォアイトにとってはまるで擁護されているような感覚に陥る判定を下したのは他でもない、ついさっきまでフォアイトを監視するような視線で殺気を放っていた審判のコーンだ。
その殺気も、今となっては全く失われていた。
『な…何だよそ…。』
『聞こえませんでしたか?バオップは、当ジムの特別ルールにより、バトルフィールドの外へ出たため、戦闘不能とみなします。よって勝者は、挑戦者のフォアイトとなります。』
先に口を開いたのはポッドだった。
彼も既におかしな状態ではなくなっていたが、コーンの判定に納得しているようにはまるで見えない。
寧ろ不意を付かれた感はフォアイトよりも強いらしく、言葉に普段の跳ね返りが全く感じられなかった。
コーンが再び同じ判定を二人に告げた頃、彼の佇む反対側からぱちぱちぱちと拍手の音が再度降りかけた静寂の膜を突き破る。
『デリーシャースッ!素晴らしいバトルだったよ!フォアイト君!!』
両の掌を合わせたり離したりしながらフォアイトへ近付いて来るのは、試合前までは萎み込んでいたのにも関わらず、途中で酷く似合わないシリアス顔を披露したデントだ。
こちらも、試合中に見せた殺気はまるでなかったかのように感じられない。
『大変戦略性に富んだ味わい深い戦いだった。シャンデリアを落とした時にはちょっとビックリしたけど、ムキになったポッドを黙らせるのには、ちょうどよかったのかもね。』
『ぁ、あ……そう…ですか…。』
間髪入れずにいつものメンドーな散文を惜し気なくしゃべり尽くすデントに、フォアイトはどうしていいかわからなくなって、普段は滅多に使わないような敬語を口から零してしまう。
『はい、これがサンヨウジムを制覇した証、トライバッチだよ。そういえばフォアイト君は、これが初めてのジムバッチだっけ?実は僕たちもまだ、ジムリーダーとしてはまだ駆け出しの…。』
『え、ちょ、待っ…、え?待って。ちょっ…。まず場外ってなに?聞いてないんだけど…。』
懐から取り出した縦長金縁に、青、赤、緑の色の入ったバッチを押し付けるなり取り留めもない話を始めたデントに、フォアイトはいよいよ待ったをかけた。
この問い掛けに、デントはあぁ、と一旦言葉を区切り、ちらと後ろで未だ動かずに審判台に直立不動でいるコーンに、ほんの一瞬だけ視線を送ると、それはね、と続ける。
何でもこのジムでは、一般のお客さんが食事をしながらジム戦を観戦することも少なくないため、彼らの安全を守るために、極力バトルフィールド外にポケモンを出さないよう警告していたらしい。
ところが、バトルというのはやろうと思ったことすべてが実行できる程甘く出来上がってはいないので、出てしまう時には出てしまう。
故意ではないにしろ、それではやはりお客様の身の安全が脅かされてしまうため、仕方無しに、フィールド外に出る、つまりリングアウトしたら、その時点でそのポケモンを戦闘不能扱いすることになったらしい。
今回の場合、観戦客はいなかったが、客の観戦があった他のトレーナーとのジム戦を公平なものとするために、このルールを適応したのだが試合前にコーンが言いそびれてしまったらしい。
すみません、と頭を下げる彼の挙動に不自然なヵ所は見当たらなく、寧ろ本当に申し訳ないと頭を垂れているようにしか見えなかった。
『あ…、そ、なんだ。…で、でも…、あいつ…。ポッドのやつ、さっき…明らかに…。』
そう、例え本当にそうだったとしても、フォアイトはまだこの突然の試合終了の不自然さを拭い切れはしない。
負けを宣告された直後のポッドは、明らかに意味がわからないといった表情だったはずだ。
それに、今は完全になりを潜めてはいるものの、試合中の突然の豹変のことも捨て置けない。
これはポッドだけでなく、今にこやかに話しているデントやむこうでしれっとしているコーンにも言えることだ。
そう彼らに問おうとして、吃りながらもその断片を口にした時、再び辺りの空気が温度を下げた。
『ポッドが、どうかしたのかい…?』
フォアイトはそれに気がついた途端、へびにらみを受けたガマゲロゲのように全身が凍りつく感覚を覚え、俯いて言葉を詰まらせる。
戦闘可能の手持ちポケモンはツンちゃんのみ、その上、圧倒的な実力差を見せ付けられた直後だ。
勝てたのではなく、勝たされた…。
切り抜けたのではなく、見逃された…。
頭の中でそう導き出したフォアイトの顎から、貯まりに貯まった冷や汗が雫となって塵の積もったバトルフィールドに墜ち、浅黒い花を咲かせる。
辺りの温度はこの間にも更に下がろうとしていた。
『何でも、ない…。』
そう言いながら、顔をあげて再び拝んだデントの口は、しっかり緩やかな曲線を描いていた。
しかし、その両目は、これっぽっちも笑ってなどいなかった。
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