夕陰草
ぬばたまの夜08
「……こんばんは」
ドアベルを鳴らして要がそう言って入っていくと、大貫はやはりすごく綺麗に笑った。
「いらっしゃい」
要は定位置になりつつあるカウンターに腰掛けた。此処に来るようになって、あまりの心地よさに依存してしまう恐怖を覚えるようになったが、拠り所であることに変わりはなくて。
「今日も紅茶? 」
「あ、うん。ごめんね」
「あはは。コーヒー嫌い? 」
「嫌いじゃないんだけど、あんまり飲む習慣なくて」
「そーなんだ? ならカフェオレは? 一応コーヒーメインだからたまには飲んで欲しいかなぁって。それにミルクいれるから胃にもそんな刺激にならないと思うし」
嫌みのない言葉と笑顔はほんわかと暖かみがあって、自然に頬が緩む気がする。胃への刺激って言葉には少し吃驚したけれど、気を使ってくれるのが嬉しい。
「そうだな、じゃあカフェオレで」
「ありがとう」
何故だかお礼を言われて、少し戸惑う。
大貫は サイフォンに粉と水ををセットし、ランプに火を付ける。 その様を見ながら何気なく口を開いた。
「大貫さんの彼女さんはきっと幸せですね」
「え、そうかな? 」
思わず突いて出た言葉に内心焦るが言葉は止まらない。紛れもなく感じていることだから。
「うん。吃驚するくらいイケメンでさ。優しいし、美味しいコーヒー淹れてくれるんでしょ? 」
「まぁ、コーヒーは淹れるけど、でも大変だと思うけどな」
苦笑しながら、竹べらを混ぜる姿がとても絵になっている。濾し終わったコーヒーをカップに注ぎ、 カフェオレにすると「はい、どうぞ」と優しく笑ってくれる。
「どうして? 」
「こういう仕事だと朝も早いし夜も遅いから中々会えないし、多分優しくはないしね」
話ながらグラスやカップを磨きあげ、カウンターから出てくるとテーブルの上を一通り見て、また綺麗に拭きあげる。そうしてレジを開け本格的に店仕舞いの支度を始めたようだ。
要はそんな大貫を見ながらカフェオレを口にする。
「優しいと思うけどなぁ……あ、美味しい」
「でしょ? 口にあって良かった」
にっこりと微笑まれて、心臓がトクンと脈打つ。
大貫の笑顔が好きだなぁと思うと同時に、切なさも同時に感じる。要はまだ、暗闇の中に居る。
カフェオレの代金を大貫に渡し、そろそろ帰ろうと腰を浮かせたとき、携帯が震えているのに気がつく。
ドクリと嫌な緊張が身体を走る。
着信相手を見ればそれは洋兵で、慌てて震える携帯の通話を押すが間に合わずに切れてしまった。着信履歴は間髪いれずに2回残っていて、血の気が引いていく。
そんな要に気が付いて、大貫が「どうしたの? 」と声を掛けてくれるが答えようとした矢先、また携帯が震える。
深呼吸をして、要は通話ボタンを押した。
『何で直ぐ出ねぇんだよ!あっ?! 』
電話に出ると行きなり浴びせられる罵声。覚悟はして出るのに、気持ちが沈んでいくのは止められない。馴れたつもりでも、まだ何処かで諦めきれていないのかもしれない。
心配そうな目で見詰める大貫に、片手だけで挨拶をして店を出た。聞かれたくない電話、見られたくない姿。大貫の前では要はキレイなままで居たかったのかも知れない。
『聞いてんのか! 黙ってんなよ!このカスが! 』
「うん、ごめんね気付かなくて……」
声が震えないよう腹に力をいれるが、上手くいっているのかも分からない。
『すぐもどって来い! 』
通話は一方的に切れて、無機質な電子音だけが耳に残った。
無意識にため息がでる。
目の前が真っ暗になったようだ。
久し振りの洋兵からの電話は酷く荒れていて、不安を煽るのに充分だった。
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