長夢
6
…これからちゃんと生活できるだろうか。
スーパーにて、人参をカゴに入れながら考える。
この歳で、まさかこんな主婦のようなことをするなんて夢にも思っていなかったけれど仕方ない。
1時間目から昼休みまで寝て過ごした僕は、お弁当を食べて、また今まで不貞寝。
朝から物凄い疲労感だったから仕方ない。
放課後は「一緒に帰ろう」と言ってきた友達を振り切り、早急に学校を出た。
本屋でレシピ本を買い、スーパーで買い物している友達の姿なんて、たぶん見たくないだろう。
頭痛がひどい。
寝すぎたというのもあるだろうけど、絶対に8割は河合さんの件だろう。
家に帰るのは少し億劫だけど、河合さんを一人で家に残す方がもっと心配だ。
あぁ、今日から緊張の同居生活がはじまるのか…。
河合さんがいつ過去に戻るかは分からないけれど、同棲する、ともなれば、それまでの生活費などの出費がかさむ。
それに、服も買いにいかなければならないし。
そして何より、この時代の常識などをとりあえず知っていただかないと。
あぁ、やることが多すぎる…。
僕は何をしているんだろう。なけなしのお金を、6歳も年上の同居人のためにつぎこんで。
…まるでヒモ女だ。
いやいや。曽良さんは、この世界の常識を知らないから、世話を見るのは当たり前のことで…。
なら、ヒモ女っていうより、これは育児に近いのかもしれない。
…なんか老けたなぁ、自分。
レジにカゴを置いて、会計を待つ。
一応、親からの仕送りはあるけれど、それだけじゃお金は間に合わないだろう。
とりあえず、バイト探そう。
河合さんにも、ある程度現代での常識が身についたら、働いてもらおうかな…。
「2230円になります」
店員の言葉でふと我に返り、僕は財布から2530円を取り出した。
「300円のお釣りになります。ありがとうございました」
店員の笑顔を受けながら、ペコリと頭を下げて、かごの中の食糧を袋に詰める。
世の母親や家政婦は大変なんだろうな…。と、いまさら改めて思う。
食糧を詰め終えて僕はスーパーを出た。
綺麗な夕日が見えて、少し心が安らぐのが分かる。
制服のポケットから携帯を取り出して、念のために登録した新居の番号を探す。
探して気づく。…どうせかけても、河合さんにはどうもできないだろう。
携帯を同じところにしまって、前を見る。
…クヨクヨ悩んだって仕方がない。
大変なのを分かっていながらも、同居を了承したのは僕だ。
…大変さを理解する前に、反射的に返事をしてしまったかもしれないけど。
まあそれは兎も角、こんな恩返しできる絶好の機会、もう無いかもしれないんだし。
11年前の恩は何をしても返せないだろうけど、僕が少しでも河合さんの為になることができれば、それでいい。
それに、河合さんは明日過去に帰るかもしれないんだ。
…そう考えれば、出来るだけ、長く、一緒にいたいような気も……。
……いや、別に変な意味とかではなくて。
だから、返せる内に恩はしっかり返しとかないと。
若干、前向きになれたところで、僕のマンションが見えた。
家の鍵を開けて、ドアノブを捻る。
「…ただいま…帰りました」
一応小さく声をかけるけど、返事はない。
なぜ?疑問符の次に浮かんできた考えに、僕は血の気が引いた。
…まさか、もう過去に帰っていたりなんてしないよな…。
若干焦り気味に靴を脱ぎ、部屋を覗き込む。
「………」
そこには、僕の布団で、着物のまま寝ている河合さんがいた。
ホッと胸をなでおろし、上着を脱ぐ。
僕はキッチンにスーパーの袋を置いて、出来るだけ物音を立てないように歩く。
そして、河合さんの前に回り込んだ。
…少しくらい、許される…はず。
床に正座して、寝顔をマジマジと見つめる。
改めて見てみると、本当に整った顔だ。
きちんと整えられている眉、長い睫毛、細くてきれいな黒髪、筋の通った鼻、白い肌。
「……綺麗…」
無意識に出た言葉は、静まり返っていた部屋では思った以上に響いてきこえた。
慌てて口を押さえるが、時既に遅し。
「…そんなに、僕の顔が興味深いですか?」
寝転んでいる河合さんと、目があった。
聞かれていた…というか、バレてた。
いつから起きていたんだ。まさか、最初から起きてたりしないよな…。
まずい。恥ずかしい。
「あ、いえ、その…よく寝てるな、と…」
我ながらしどろもどろすぎて情けない。
目を泳がせながらオロオロしていると、曽良さんが起き上がった。
…盛大に着物がはだけてるんですが。目のやり場に困るので、早くなおしてください。
暫く無言の時間が過ぎる。…気づいてないんだろう。
目は合わせられないけど、勇気を出して言う。
「…あの、着物はだけてますよ」
「…なぜ、『曽良』と呼んでくれないんですか」
ほぼ同じタイミングで、河合さんが何かつぶやいた。
え?今、河合さん何を言ったんだ?
僕の声で全然聞こえなかったので、思わず聞き返す。
「河合さん、今何て…」
「…別に、何も言ってません」
いや、絶対何か言っただろう。口動いてたし。何故隠す。
いつもと同じ表情で、僕を見る河合さん。本当にわかりづらい人だ…。
「…いや、言ってましたよね」
「………。なら、素直に言いますけど」
僕の目をまっすぐ見て、曽良さんは口を開いた。
「なぜ、昔のように『曽良』と呼んでくれないんですか」
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